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夕学レポート

2012年12月11日

西郷隆盛と明治維新  坂野潤治さん

untitled.bmp坂野潤治先生の『日本近代史』は、新書ながらも400頁の大著にして、4万5千部を売り上げたという。個人的には、2012年新書大賞の最有力候補だと確信している。
坂野先生が、夕学登壇にあたってつけた講演タイトルは、「『日本近代史』刊行後に考えたこと」 これは8月に決定した案だが、いま最新のタイトルをつけるとした「西郷隆盛と明治維新」であったであろう。
ちなみに、来春、連休前には同名の本が刊行される予定だという。
江戸後期から西南戦争後までの半世紀を、西郷を主役に見据えた本になるとのこと。
慶應MCCでは、5年ほど前に半藤一利さんを講師に迎えて、この時代を学ぶ連続講座を開催した。こちらの拙文を流し読みいただければ、この時代の全体像と流れが一望できると思う、
さて、坂野先生講演は密度が濃すぎて、詳細を正確に再現する自信がないので、連休前の刊行予定の坂野さんの新著を楽しみに待ってもらうこととして、ここでは、坂野さんが語る西郷像をまとめてみたい。


1953年のペリー来航から明治維新までの日本の国論は、二元論で語られる。
攘夷か、開国か。倒幕か、佐幕か。等々
「西郷隆盛はどちらでもよかったのではなかったか」
坂野先生はそう言う。
西郷は、もっと高い次元の「日本の国力強化」にこそ関心があった。
狭い日本で、藩の壁、身分の差、主義主張の違いで相争うのではなく、一日も早く、挙国一致体制を構築せねばならない。
維新の英傑(特に薩長の志士)のなかで、その必要性に、もっとも早く気づいた人ではなかったか。
西郷は、公武合体を推し進めた薩摩の出身ではあったが、藩や身分、党派を越えて、有能な人材と分け隔てなく交流をしていた。
それが出来たのは、他の人々よりも、高次元のレイアーで問題を捉えていたからである。
橋下左内、武田耕雲斎、勝海舟、坂本龍馬等々、西郷と心を通じ合った人々は実に多様である。
残念ながら、同時代人で、西郷の視野の大きさを理解できる人は少なかったようだ。
西郷が二度までも流罪の憂き目を見たのはそのためである。
島津斉彬は西郷を抜擢したが、その弟島津久光は、公武合体政策の主導権を薩摩が握ることにこだわり、西郷の視野の広さと人脈を使いこなせなかった。
この時点では、幼少からの盟友であった大久保利通でさえ西郷には追いつけていなかった。
西郷の視野の広さと先見性は、維新後も衰えることはなかったようだ。
設立当初の新政府は、脆弱な中央集権体制であった。
脆弱性の所以は、力(軍備)とカネ(財政基盤)の裏づけを備えていなかったことにある。
戊辰戦争に勝利した官軍は、薩長土肥をはじめとした各藩の臨時供出部隊で、戦争終了とともに解体しており、新政府の直属軍は存在しない。
新政府の収入は幕府から簒奪した直轄領からの年貢しかなく、各藩が個々に握っている年貢(租税徴収権)を中央に集めなければ、国家財政は成り立たない。
「政府の軍隊を創設すること」
「租税徴収権を政府が握ること」
この二つの荒療治は、藩と越え、身分を越えて信頼を勝ち得ていた西郷にしか成しえないことであった。
さらに言えば、西郷が、新政府の将来像として見据えていたのは、勝海舟や横井小楠が兼ねてから唱えていたように、公議会を設置し、身分を越えた人材の登用できる新しい国家を作り、万国と対峙することであった。
西郷は、新しい国家をつくるために確立せねばならない基盤だからこそ、「御親兵」「廃藩置県」を断行したのだ。
1871年2月 西郷は、薩摩、長州、土佐の三藩から献上された約6000人の御親兵の最高指揮官に就任し、政府の軍隊を構えた。
同じ年の秋には、御親兵の軍事力を背景にして、各藩に廃藩置県を迫り、実現させた。
坂野先生は、この二つの改革策を断行したことで、西郷の明治維新は終わったのではなかったかと推察している。
わたしのような通俗的な歴史ファンが抱く西郷隆盛像には、司馬遼太郎の影響が大きい。『龍馬が行く』や『翔ぶが如く』に描かれた西郷である。
坂本龍馬は西郷を評して、次のように言ったという。
「少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く、馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だ」
ひとことで言えば”大人”(たいじん)西郷隆盛である。
あるいは下記のような見方をする歴史家もいる。
西郷は根っからの革命家であって、新たな国家像を思い描くことには関心はなく、目的(維新)を成し遂げた後は、ある種の喪失状態に陥って、死に場所を求めていた。それが征韓論争による下野と西南戦争につながった。
坂野さんの西郷観は少し違うようだ
大局観と先見性を持った比肩なき大構想家、もっとアクティブで戦略的な動的な西郷隆盛像を頭に描いているように思える
「司馬を読んで歴史が分かるなら、我々(歴史学者)の存在する意味はありませんから」
お見送りの際に、坂野先生がさらりと口にしたひと言に、「その通りだ」と納得した次第である。

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