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夕学レポート

2013年04月09日

戦わずして勝つためのインテリジェンス 手嶋龍一さん

インテリジェンスとは、西洋流「孫子の兵法」である
photo_instructor_654.jpg手嶋龍一さんのインテリジェンス論を聞いた私の感想である。
「孫子の兵法」は、非戦・非攻の思想、つまり“戦わずして勝つこと”に本質がある。
兵を損傷することなく、国土を痛めることなく、財貨を費やすことなく、求めるものを手にいれる。そのために孫子は、「謀」「間」といった情報戦の意義と方法をつまびらかに説いたのだ。
孫子は「間に五有り」と説く。情報には五つあるという意味である。
因間、内間、反間、死間、生間の五つ。
・因間-その地に精通した者がもたらす地元情報
・内間-官僚・知識人が知っている専門家情報
・反間-心理の裏側や内面をなど見えないものから読み取る情報
・死間-偽りの噂を流して、相手の出方を探る攪乱情報
・生間-現場を自分の目で見てきたものだけが知る現場情報
まったく異なる出自と文脈で形成される五間(五種類の情報)を統合し、的確な意思決定につなげることが「戦わずして勝つこと」に通ずる。
インテリジェンスも同じであろう。
手嶋さんの定義に基づけば、インテリジェンスとは、
「膨大な一般情報(インフォメーション)から、情報の原石を選り抜き、真贋を確かめ、分析を加え、全体像を描き出す」こと。
巨大で精巧なジグソーパズルによく似ている。


孫子は、日本でも古来よく読まれてきた。
そのゆえか、明治までは日本にも立派なインテリジェンスオフィサーがいた。
手嶋さんは、柴五郎石光真清といった優れた情報将校の系譜を紹介してくれた。
戦後その系譜は途絶えた。いまや日本は、G8で唯一対外情報機関を持たない国である。
現在は、防衛庁にも外務省にもインテリジェンス的な発想は皆無だという。だから突然変異種的な天才インテリジェンスオフィサー佐藤優氏はパージされてしまった。
手嶋さんは鋭く喝破する。
それで大過なく過ごせた時代はよかったのかもしれない。
しかし、21世紀の外交・安全保障問題、特に東アジアのそれは、インテリジェンス戦略無しには読み解けない複雑怪奇なものに変質してしまった。
9.11を契機に、米国の国防的関心がアラブに偏った間隙を縫うようにして、中国の覇権意識が拡大し、北朝鮮の軍事力が強化された。
いまやアラビア海に換わって、東アジアの海域が世界のホットスポットになりつつある。
オバマのアメリカは、強い危機意識をもって、軸足を東アジアに戻しはじている。
TPPやRCEP(ASEAN+6)といった自由経済協定は、東アジアの安全保障問題という裏の顔を抜きにして議論することなど出来ない。
東アジアの外交と安全保障が大きな軋みとともに動いている中で、インテリジェンスなき日本はこの数年で、何度か情報を読み誤ってしまった。
東アジア共同体構想、尖閣沖での中国漁船衝突事件、尖閣国有化と大規模反日運動、中国艦隊レーダー照射事件、いま現在も、北朝鮮のミサイル発射を巡る虚々実々の情報戦が繰り広げられている。
いずれも、五間(五種類の情報)を統合しなければ読み解けないやっかいな問題である。
日本版NSC構想が議論されているが、肝心の器に入れるべき酒がない。飲むべきリーダーがいない。それが手嶋さんの問題意識である。
孫子にはこんな一節もある。
聖智に非ざれば間を用ふる能はず。仁義に非ざれば間を使うこと能はず。微妙非ざれば間の実を得る能はず。
聖智をわきまえ、仁義に厚く、微妙を使いこなせるリーダーでなければインテリジェンスは使いこなせない。2500年前から言われてきた普遍の真理である。
日本の問題は、またしてもリーダー論に帰結してしまった。

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