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夕学レポート

2013年04月19日

監督選定の基準はただひとつ「ファンサービスが出来ること」  藤井純一さん

9年前2004年に巻き起こったプロ野球再編騒動を憶えているだろうか。
オリックスと近鉄の統合(現オリックス)に端を発し、セ・パの複数球団が経営統合し、10球団or8球団で1リーグ制に移行しようという構想が表面化したものだ。
慢性的な経営悪化に悩み続けてきた多くの球団が、いよいよ赤字を抱えきれなくなってきたという背景があった。
同じ年に日本ハムファイターズは北海道へのホーム移転を決断した。
合併と方向性は異なったが、移転を決意させた理由はまったく同じであった。
球団は2003年一年間で46億円の赤字を出した。広告宣伝費として補填をする日本ハム本社内にも投資効果への疑問の声が渦巻いていた。
チームは20年以上優勝から遠ざかり、人気も低迷していた。観客が267人しか入らない試合もあったという。
そこに送り込まれたのが藤井純一氏である。
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ファイターズと同様に日本ハムがスポンサーであるJリーグのセレッソ大阪を再建した手腕を買われての任命であったと思う。
2005年に役員として入り、翌2006年からは社長に就任する。
藤井さんの再建コンセプトは明確であった。
ファイターズに「経営」を導入することである。
企業の広告塔として発展してきた牧歌的時代が長い日本のプロ野球には「球団経営」という発想が薄い。ファイターズも業績さえ社員は知らなかったという。
「経営」の要諦は二つだと言われている。
「組織」を組むこと、「戦略」を立てること。
セレッソ大阪でプロスポーツ経営に通じていた藤井さんは、それを果敢に実施した。


「組織」については、当たり前のことを、かっちりとやった。
ビジョンを作り共有する
予算を策定し、数字意識を持つ
組織構造を変え、セクト意識を廃す
成果連動型の人事制度を導入する
等々。
「戦略」の柱は三つに括られるのではないか。
ひとつは、「スカウティングと育成で勝つチームを作る」である。
ドラフトで獲得した選手を鎌ヶ谷のファームで鍛え上げ、札幌ドームで勝利に貢献してもらう。高額年俸の選手を無理して引き留めず、若手にチャンスを回す。
ダルビッシュ、中田翔など有名選手を獲得する一方で、糸井、田中、小谷野といった無名選手が数多く育った。
ふたつめは、「ITのフル活用」である。
「BOS(ベースボール・オペレーション・システム)」と名付けた情報システムを開発し、選手に関わるあらゆる情報を一括管理する。
選手の評価と配置はもちろんのこと、ドラフトで誰を指名するか、どの若手を抜擢するか、どう育てるか、強化すべきポジションはどこか、まで、このシステムが答えを出すという。
札幌ドームのQRチケットシステム導入は、どこよりも早かった。いまではチケットの7割がネットで売れるという。当然利益率は高い。
最後に、そして最大のポイントは「ファンサービス・ファースト」であろう。
ファイターズでは、フロント、監督、選手全てが顧客第一主義を共有する。
監督選定の基準はただひとつ「ファンサービスが出来ること」
そういえば、ヒルマン、梨田、栗山と歴代監督は皆、笑顔ばかりが印象に残っている。
ファンクラブ育成にあたってはロイヤリティの醸成をなによりも重視する。会員期間が長ければ長いほど厚い優遇を提供する
北海道民全員に試合を見てもらうためにラジオの放映権は無料、テレビも放映回数を増やすほど料金を安くする仕組みに変えて、全試合を放映する。
地方開催試合を増やし、野球教室も積極的に出掛ける。
社員が喧々諤々議論して、ユニークなイベントを企画する。球界初という条件を課すことで、広報価値もグンと高まる。
藤井さんの改革は成果として結実した。
チームはこの10年で4度のリーグ優勝を果たした。
監督が替わっても、有力選手が次々と抜けても強いチームとして定評が定まった。
中田翔、斎藤佑樹、大谷と話題の選手の獲得にも成功した。
観客動員数は百万人台前半から二百万人へ、ファンクラブ会員数は3万人から10万人へ
球団の売上収入にいたっては4.9倍に増加したという。
当たり前のことをかっちりとやる。
トップが社員の輪の中に入って、ともに考え共に楽しむ。
顧客を誰よりも大切にする。
経営のコツというものは、いつだってシンプルである。

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