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夕学レポート

2013年10月08日

経営センスとは、抽象と具体の往復運動である。 楠木建さん

photo_instructor_682.jpg「歌って、踊れる唯一の経営学者」を自認する楠木建先生の夕学講演。
まずは3年前のブログを読んでもらいたい。
ビジネス書として画期的な売れ行きを記録した『ストーリーとしての競争戦略』にちなんだ講演を聴いてまとめたものだ。
「イケてるストーリーが人を動かす」
2010年10月 6日
「競争戦略の本質はこの二つに尽きる」と、楠木先生は言う。
「違いをつくること」と「つなげること」である。
戦略をストーリーとして語れるかどうかは、「つなげること」にかかっている。
多くの場合、戦略は「違いをつくること」に止まる。つまり静止画でしかない。動き、流れをもった動画として「つなげること」で、戦略はストーリーになる。
ではなぜ、静止画で止まってしまうのか。
それが今回の講演の主題である。
担当者と経営者の本質的な違いを理解していないからだ。
楠木先生は、そう喝破する。
経営者とは、商売全体丸ごとを動かし成果を出す人。
これに対して担当者は、ある一つの機能を部分として担い、方法論を駆使して答えを出す人といえる。
経営者に必要なのは「センス」であり、担当者に求められるのは「スキル」である。
「センス」とは、
定義や記述があいまいで、良し悪しを計る物差しがなく、千差万別。努力したかといって上手くいくわけではないし、育てることができない。よって代替もきかない。
「スキル」は
標準的な定義が社会に共有されており、物差しで多寡を測ることができる。努力すればある程度は獲得できるので、育てることが出来る。だから代替が利く。
経営者の「センス」と担当者の「スキル」を組み合わせることで理想的な経営となるはずが、両者の混同が」散見される。
代表取締役担当者のような人が、「スキル」で戦略を立てようとするから、静止画どまりの戦略に陥る、というわけだ。


楠木先生によれば、
「センス」とは、抽象と具体の往復運動だ、という。
しかもセンスの良い人は、その振り幅が大きく、スピードが速い。
何気ない現象を見て、「これだ」とひらめき、現象の背景や理由を、徹頭徹尾論理的に考え抜いて抽象化する。
こういう因果論理の「引き出し」をいくつも持っていて、新たな現象に遭遇すると「引き出し」から引っ張りだして使う。
それが「センス」を駆使する経営者である。
「センス」のある経営者は、
良し悪しではなく、好き嫌いがベースになる。
話が面白い、自分が一番面白がっている。
「●●するべき」「××せねばならない」「■■せざるをえない」と言わない。
情報を追いかけ回したりしない、ましてや振り回されることもない。
経営に、必殺技や飛び道具がないことを知っている。
とりあえず分析しよう、調査しようなどと言わない。
楠木先生が出会ってきた「センス」のある経営者の特徴だという。
「センス」は育てられない。しかし「センス」を見極めることはできるはずだ。
「これは!」と思う人間に、早いうちから商売全体丸ごとを動かす機会を与え、場数を踏むことでセンスは磨かれる。
人材輩出企業と言われる会社には、総じてこういう風土がある。だから「センス」の良い人が次々と育っていく。
では、私たち個人はどういう努力をすればいいのか。
センスがある(と思う)人を、視る、視続ける、視破ることだ、と楠木先生は言う。
師匠に弟子入りした徒弟のつもりになって、一挙手一投足をつぶさに視ることで、にじみでるスタイルを見極める。
そして、スタイルが作られた背景や理由を自分の頭で論理的に考える。論理を駆動させるエンジンとして本を読む。インプットではなく、対話の対象として向き合うために。
「孤独こそが思考の友である」

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