KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2013年11月07日

「夢があれば道理は引っ込むⅡ」  三浦雄一郎さん

まずはこちらのブログを読んでいただきたい。
5年前、三浦雄一郎さんが75歳で二度目のエベレスト登頂に成功した後に夕学に来ていただいた際のものである。
-------------------------------
「年を取ったら無理をするな」というけれど、
私にとっては、それは間違い。
「年を取っても無理をする」でないと冒険は出来ない。
夢中にさえなれれば道理も引っ込む

-------------------------------
photo_instructor_686.jpg三浦さんのこの言葉は、夕学13年の歴史の中でも、とりわけ印象深い名言のひとつである。
5年前の宣言通りに、今年5月三浦さんは80歳で三度目のエベレスト登頂に成功した。自身の持つ世界最高齢登頂記録の更新であった。
本日の講演を伺うと、三浦さんにとっての5年間は、やっぱり「年を取っても無理をする」5年間であったようだ。
二度目の登頂の翌年、76歳の冬にスキーのジャンプで転倒し、大腿骨、骨盤四箇所骨折という大怪我を負った。医者は5ヶ月の入院治療を宣言したという。
普通の76歳の老人であれば、ここまでの大怪我を負うと、そのまま寝たきりになってしまうだろう。三浦さんは、「治る」という確信、「治してみせる」という意志の強さが半端ではなかった。
サムゲタン風に煮込んだ鮭の頭を一日一匹、それも中骨ごと食べるというノルマを自身に課し、サントリーのセサミンをがぶ飲みするという我流治療法で治してしまった。
医者は「10代の回復力だ」と驚嘆したという。
2ヶ月半で復帰、一年後は普通にトレーニングが出来るようになった。
今年の1月には、持病の不整脈で4度目の心臓手術をした。
心臓にメスを入れるのだから、これも普通であれば復帰まで半年はかかる。
にもかかわらず、2ヶ月後にはヒマラヤに出発してしまった。
現地での高地順応フェーズをリハビリ兼用にするという荒技であった。
無理するばかりではなかった。マイナス材料をプラスに転化する発想の転換もやった。
1日のルートを半分に分けて、倍のペースで登る決断をした。
「年寄り半日仕事」
そんな格言を口にしながら、疲労を蓄積しないようにゆっくりと山頂を目指したという。
面白いもので、二倍の時間がかかるはずのものが、ベースキャンプを過ぎた頃から、通常のペースに追いつきはじめたという。
通常のルートだと、疲労がたまり高地にいくほど順応に時間がかかる。三浦さんはゆっくり登ったので、そのロスが少なくてすむ。結果的には、通常ルートの登攀とほぼ同じ日程で登ることができた。
8,000Mを越えてから、ウニの手巻き寿司、お茶会を楽しむ余裕もあった。
家族を中心にしたチームの結束もあった。
次男の豪太氏が常に父に付き添い、長男の雄大氏は、ベースキャンプで通信と情報発信を担当。日常のマネジメントを担当する長女の恵美里さん、妻の朋子さんは、いつも健全なるブレーキ役を務めてきた。
80歳の父の冒険を、40~50代の息子・娘達がチームで支える姿は、理想的な家族像でもある。
「三浦さんの次の挑戦は何ですか?」
この問いを待っていたかのように、三浦さんは楽しそうに夢を語ってくれた。
5年後85歳で、ヒマラヤにある世界で6番目の高峰「チョ・オユー(8,201 M)」に挑戦することである。
チョ・オユーは、8000M級の山で唯一、山頂からスキーで滑り降りることができる山だという。
プロスキーヤー三浦雄一郎氏が、原点であるスキーを履いての挑戦である。
「夢中にさえなれれば道理も引っ込む」
5年後もこの言葉を聞けることを楽しみに待ちたい。

メルマガ
登録

メルマガ
登録