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夕学レポート

2015年10月17日

内省的実践家 為末大さん

「内省的実践家」 Reflective Practitioner
ジャンルは問わず、プロフェッショナル・専門家の育成に携わる人々の多くが口にするコア概念である。
組織心理学者のドナルド・ショーンは、プロフェッショナル・専門家の仕事は、理論・技術に習熟するだけでは不十分で、矛盾や不条理に満ちた実践の場で葛藤や試行錯誤を繰り返しながら、自分なりの解決策を見い出していかなければならない、と喝破した。
それが出来る人を「内省的実践家」と呼んだのである。
photo_instructor_795.jpg為末大氏の話を聞きながら、内省的実践が出来る人の実例を見る思いがした。
為末さんには、25年の陸上選手生活を通して、いや引退して3年経つ今もなお、ひょっとしたら一生を通じて、追究し続けるかもしれない知的な営みがある。
それは、自分のやったこと、歩いてきた道を振り返り、そこに意味を見いだし、概念化する行為である。
3年前、引退して間もない時期に夕学に来ていただいた時の講演と比較してみた。テーマは大きくは変わっていない。しかしその内容には、スポーツを越えた普遍性が増していることが分かる。
圧倒的な身体能力の違い、マスコミや周囲の喧噪、天候、コース順等々、努力ではいかんともしがたい矛盾や不条理に満ちた世界で、悩み・苦しみ・失敗し、それを乗り越えて身につけてきた「自分なりの解決策」を、他の世界にも通用する方法で語ることが出来るようになったのではないだろうか。
為末さんは、プロ・専門家の成長には6段階のプロセスがあるという。


覚える → 考える → 疑う → 忘れる → 変える → しぜんになる
日本のスポーツ指導の限界は「覚える」段階に加重をかけ過ぎることだ、と為末さんは指摘する。反復練習をやり過ぎる。やり過ぎるからこの段階で停滞してしまう。
反復の正確性を問われる競技(為末さん曰く”リハーサル系”)は強い。シンクロ、体操、フィギュア等々。一方で、状況に応じて臨機応変的な対応が決め手になる競技は弱い。
エディ・ジョーンズがジャパンラグビーに徹底的に植え付けようとしたのは「考える」ことの意義であった。身体の小さい日本人が勝つためにはどうすればいいか。適度な緊張を保つためにはどうすればいいか。世界に類を見ない猛練習の中で培ったことのひとつが、「考える」ことであった。
限界を「疑う」段階も難しい。
「そんなことできっこない」と言われていた限界も一度誰かが突破してしまうと、「なんであんなことが出来なかったのか」不思議に思えてくる。
目標が明確であればあるほど、競争相手が近くにいればいるほど、実はそれが限界を決めてしまっている。人間は、限界を自分で決めてしまうのだ。
「そんなことできっこない」という思い込みをはずずことが出来るかどうか。それが次の段階へと進めるターニングポイントになる。
「忘れる」ことはもっと難しい。
為末さんは、シドニー五輪での転倒という「忘れがたい」記憶と戦った日々を紹介しながら、そのことを語った。忘れよう、忘れようと意識すればするほど忘れられなくなる。
忘れるためには、別の何かに集中すること。為末さんは、海外レースに出まくった。移動や準備に追われ、ハードルのことを考える余裕がない状態に身を置くことで、失敗を忘れていった。
「変える」ということは、フェーズを変えることのようだ。
選手生活の終焉は人生の終わりではない。新しい世界の始まりでもある。山を越えた時には次の山があることに気づくことである。
人生には、オリンピックや世界記録といった明確な目的がない。言い方を変えれば目的をモチベーションにした生き方から抜け出なければならない。
どうすれば、楽しくいられるか。結果ではなく、プロセスから来る喜びを見つけることが重要である。持続可能な努力の方向を見定めることでもある。
最後の段階は「しぜんになる」こと。
「自然」という字は、”自ずから然り”と読む。
何も考えなくても自然に、軽やかに走っている。自分がどう走っているかさえ意識しない。スポーツでは、それを「ZONE」と呼ぶ。
「ZONE」の瞬間、そこに意識はない。自分はそこにいない。
為末さんが「自分なりの解決策」を他者に伝えるとき、もっともフィットする概念枠組みが、「禅」の思想であった。
禅の修業は、ひたすら坐禅と作務を繰り返す。余計なことを考えられないほどのルーティンに身を置くことで無を作り出そうとする。
禅の思想は、「捨てる思想」と言い換えることもできる。自分がとらわれ、執着してきたものを捨てなければならない。
禅の悟りは、捨てきった後に残った「ありのままの自分」を認めることである。絶対自由な境地、愉快な人生がそこにはあるという。
禅=単+示 禅とはシンプルに示すこと。
為末さんはそういう。
25年間の内省が詰まった超濃厚のハードル人生を、90分でわかりやすく話す。
為末さんの講演そのものが、「禅」であったように思う。

城取一成

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