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夕学レポート

2016年11月21日

田中角栄は「天才」なのか―金権政治と人間的魅力―

photo_instructor_844.jpg日本列島改造論、日中共同声明、ロッキード事件。田中角栄といえば、功績と罪過を残した人物である。しかし、早野透教授が過去の文脈で角栄を語ることはない。現代の政治にIfを付け「もし角栄だったら」という視点で、独自の「田中角栄論」を語る。
元朝日新聞記者で角栄のバンキシャ、そして現在では桜美林大学名誉教授。今回の講演は「体制と政策を考える」というクラスターに分類される。しかし、視点は「人間田中角栄」であった。つまり、金権政治と非難された角栄像だけではなく、人間としての魅力を存分に語って頂いた。それは人間関係を築くにあたって、または強いリーダーシップを発揮するにあたって非常に役立つ内容であったと感じる。また、質疑応答では、石原慎太郎が言うような「天才」だったのかについても言及して頂いた。
とはいっても、何から書いていいのやら…キーボードを打ちながらもまだ悩んでいる。講師には様々な内容を盛りだくさんに話す先生もいる。しかし、早野教授のお話はいくつかのトピックがありながらも「かくして田中角栄という人物は魅力的なのだ」という結論に落ち着いてしまうのだ。つまりは角栄の魅力に抗えない一人なのである。


まず、今日の講演を色鮮やかに伝えるためにルールを決めよう。
ルール①冒頭で述べたような角栄の功績や罪過については、多くの人がご存知であろうからここでは触れないことにする。また、早野先生が伝えたい内容と合致しない気がする。
ルール②金権政治と言われている角栄がいかに人間味あふれる人物であったか伝えることに労力を注ぐ。
準備完了。

角栄と老婆心、そして金権政治の真相

「福田(赳夫)には老婆心がない」。この言葉は、佐藤栄作の腹心で、誰もが福田に付くと思った保利茂が言った言葉である。七年続いた佐藤政権の後、角栄、三木、大平、中曽根が争った。保利は続けた「田中には老婆心がある」。ここで言う老婆心とは何なのか。手元の辞書を引いてみる。「老婆心――親切すぎて、不必要なまでに世話を焼きたがる気持」とある。しかし、早野教授が示した角栄の老婆心とは、本来の意味とは異なる。言うなれば「炬燵で寝てしまった孫に、そっと毛布をかけるような」そんな老婆心である。
具体的に言えばどういうことか。角栄が行った「国家ではなく国民中心の政治」である。自民、社会二党の五十五年体制時には「日本社会の底流には老婆心があった」と早坂教授は現代の政治体制と比較して述べた。特に角栄は国民の生活に結びつく財政支出を活発にした。それは、出自にも深く関係する。新潟で生まれ、貧しい生活を送り、小学校しか卒業していない。政治家でありながら上の権力に対抗し、恵まれない人々の側に常に立っていた。そういう優しさがあったのだ。
例えばロッキード判決後の1983年12月の衆院選挙では自民敗北36議席減の250議席獲得という結果に関わらず
新潟3区 田中角栄 22万0761票
     野坂昭如  2万8045票
であった。ここにどれくらい角栄が地元の人々の心を掴んでいたのかが表れている。得意の金権政治の結果では――なんて疑ってはいけない。
立花隆氏の著書『田中角栄研究 其の金脈と人脈』の出版以降には、角栄=金権政治の論ばかりが目立つが、金だけで人の心が掴めるかと早野教授は我々に問うた。金を渡すから、俺の言うことを聞けという奴に素直に従うかと。
「人にカネを渡すときは頭を下げて渡せ」
有名な角栄の言葉である。金をもらうということは誰にとっても恥ずかしいことである。だが、政治には金がかかる。必要だから受け取るのだ。受け取ったから俺の言うことを聞けではダメなんだ。頭を下げて受け取ってもらうんだ。金だけでは人の心は掴めない。

角栄は天才だったのか

質疑応答では「角栄は本当に『天才』なのか」という質問が出た。つまり、彼の強いリーダーシップは「生まれながらなのか、もしくは揉まれながら身に付いたものか」という疑問である。「角栄は沢山の本を読んでいたが、本を読んで学んだような気になる男ではなかった」と早野教授。もちろん安岡正篤に相談することはあった。しかし、角栄は自分の経験が自身の行動指針である。行動して得たものであるから、具体論であって抽象論はない。それは教授が紹介したいくつかの格言に表れている。
「人の悪口はひとりで便所のなかで言え」
「人は誰しもできそこないだ」
「できることはやる。できないことはやらない。すべての責任はワシが負う。以上」
この講演が行われた11月18日は、安倍晋三首相がいち早くトランプ次期大統領を訪問した。角栄だったら、未だ大統領になっていない人物に会うことはないと教授は言い切る。冒頭の言葉を思い出してほしい。早野教授は、常に現代の政治で田中角栄を語るのだ。過去の人としてではない。最初はこの原稿を2000字も書けるのか不安であったが、実際ここまで書いて、教授が肌で感じた角栄の魅力はまだまだ書き足りない気がする。もっと深く知りたい方は、早野透著『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』(中公新書)を読んで頂きたい。
(ほり屋飯盛)

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