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夕学レポート

2017年06月16日

遠藤謙氏に聴く、義足のランナーが健常者を抜き去る日

photo_instructor_871.jpg夕学五十講で取り上げられる幅広いテーマのうち、特に自分が引きつけられてしまうのが「障害」をめぐる話である。視覚障害者と晴眼者のいつもの立場を逆転させるDIALOG IN THE DARKの暗闇を作り出した志村(金井)真介氏、人を環境に合わせるのでなく環境を人に合わせることで障害者の就労支援を行うLITALICOの長谷川敦弥氏。そこには、凝り固まった自分の「常識」を根底から揺さ振り覆す、思いがけない「逆転」がある。
そしてこの日の遠藤 謙氏は、「健常者の最速ランナーを抜き去っていく義足のランナー」というビジョンを描き、近未来に実現しようとしている義足エンジニアであった。


慶應の機械工学科時代、遠藤氏のエンジニアとしての関心は二足歩行ロボットにあった。しかし骨肉腫で足の切除を余儀なくされた友人に寄り添う中で、「自分の足で歩きたい」という彼の望みを叶える義足の開発が自らのライフワークになっていった。そんな折、MITメディアラボのヒュー・ハー教授の存在を知る。凍傷で両足の先を失い義足を使うこのアルピニストの、「足が軽くなった分、岩場が登りやすくなった」という言葉に、技術で機能を補完できれば障害が障害でなくなり、それどころかアドバンテージにもなりうることを確信し、留学を決意する。
もちろん日常生活では、足に障害があるのは不便なことの方が多い。人間の足には50余りの筋肉があり、それらが相互に絶妙なタイミングで伸長収縮することでなめらかな歩行を実現している。義足でその一部を代替させて自然な歩行を実現するのは、ある意味、二足歩行ロボットをつくるより難しい。階段を上る、坂道の途中で止まる。健常者には何でもない動作のひとつひとつが、義足ではちょっとずつ困難になる。そのちょっとの差異の積み重ねが、日常の場面で健常者と障害者を分け隔てる大きなギャップとなっている。
やがてMITのD-labで講師となった遠藤氏は、貧困で義足の買えない人が数百万人もいるインドを舞台に、現地の障害者を巻き込みながら安価で性能のよい義足の共同開発に取り組む。その姿には、単なる義足エンジニアではなく、社会そのものの変革を目指すイノベーターとしての横顔が浮かび上がってくる。
障害ある市井の人々に直接向き合う地道な活動の傍ら、社会変革の旗印として人々の耳目を集める活動に取り組むことも重要である。最先端技術を駆使した義肢を用い、障害者が身体能力を競う世界的イベント「Cybathlon」(サイバスロン)。昨年スイスで開催された記念すべき第1回大会に、遠藤氏はもちろんチームを組んで参戦した。結果は惨敗だったが、勝ち残った他国のチームの義足を見ると、必ずしも最新技術とは言えない旧来型のものが多かったという。これは、人間と義足の最適な組み合わせが一朝一夕には出来上がらないことを示すと同時に、この先の技術進化次第で成績(記録)が大きく伸びる可能性があることをも意味している。
障害者の世界的なスポーツイベント、といえばパラリンピック。年々その知名度が上がり障害者スポーツへの関心が高まるのは結構なことではあるが、一方でそこには「健常者(オリンピック)」と「障害者(パラリンピック)」の分断を強化してしまうという側面もある。同じ人間なのに。
垣根を越えようという動きはある。両脚義足のランナー、オスカー・ピストリウス選手のオリンピック出場が認められたのは2008年のことだった(実際に出場を果たすのは2012年)。だが2016年にマルクス・レーム選手がリオ・オリンピック走り幅跳びへの出場を希望した際、国際陸連はそれを認めなかった。健常者の世界記録に匹敵する実績を有している彼が実際に(パラリンピックではなく)オリンピックの表彰台に立つことを、健常者の側が拒んだとも言える。そこには、「速く走れる・高く跳べるのは義足のおかげ。ずるい」という、障害者本人の努力と能力に目を向けない先入観のようなものがある、と遠藤氏は言う。
いま遠藤氏たちは、2020年の東京を目指し、プロジェクト「Xiborg」(サイボーグ)を立ち上げ活動している。為末大コーチのもと、3人の義足アスリートと、遠藤氏を含む2人のエンジニア、そして多数のアドバイザーやボランティアスタッフが、パラリンピック100m走での優勝を目指して走り始めている。
そしてもちろん、トップアスリートの育成だけが最終目的ではない。遠藤氏が日本で思い描くのは、6万人にも上る下肢切断患者、個々に違った障害状況を持つその誰もが義足をつけて当たり前のように走ること。それはつまり、自らの足で「風を感じる」という体験を提供することである。その第一歩として、多種の義足を義肢装具士の支援を受けながら気軽に試着できる「義足の図書館」を豊洲に作ろうとしている
また健常者に対しても、小学生向けの義足体験会の活動等を通じて、「足がない=障害」というマインドを人々の中から払拭することに務めている。
ピラミッドの頂点から裾野までの様々なレベルで障害者と健常者の垣根をなくし、その差を見えなくしていこうという遠藤氏。その挑戦において、2020年はひとつの通過点に過ぎない。むしろ宴の後こそ、高齢化の進むこの国にとって、遠藤氏らの起こすムーブメントは重要性を増していくに違いない。
講演の最後、どうしても気になったことを、直接訊いてみた。
「遠藤さんは、障害者が義足で健常者の大会に出て金メダルを取ることを『ズルくない』と言う。だとしたら、健常者のトップアスリートが義足をはいて障害者の大会で優勝しても『ズルくない』ですよね?」
私の質問の真意を訝りながら遠藤氏は、あっさり答えた。
「健常者が出てもいいですけど、足を切らない限り障害者には勝てませんよ。足がある、というのはそれだけ身体が重いということで、そこに義足をつけてもバランスが悪くなるだけですから」
ありがちな感情論ではなく、どこまでもエンジニアの視点で、障害者と健常者の区別が消えていく世界を夢見、また実現しようとする遠藤氏。その論理的な説明に、納得した。
(白澤健志)

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