HOMEへ戻るMCCマガジン「キャリアとは、自分の生きている意味を、のたうちまわりながら見出していくこと」小柳晶嗣

「キャリアとは、自分の生きている意味を、のたうちまわりながら見出していくこと」小柳晶嗣

2011年09月13日

プロフィール

広告会社で人事部に勤務、1961年生まれ、東京都出身。
趣味は旅とバイクと音楽と読書とキャンプと宴会と料理など。プロのギタリストになるつもりだったが、才能と覚悟が足らず、挫折。
1986年に現在の会社に入り、営業部門で15年の後、人事部門で10年。光陰矢のごとしとは本当で、気が付けばもう今年で50歳。いまや鏡の中で「立派な中年」となった自分の姿には驚きを隠せず、今年は減量のため運動に励む予定だが、すでに今年もあとわずか。家族は妻が1人、娘が1人、オカメインコが1羽だが、おとなしいのはインコだけ。
社内で人材開発や人事の仕事をしているうちに、学校教育の問題にも関心が向いてしまい、企業やNPOが持つ優れた教育プログラムを公立中学に導入する事業の立ち上げに参加。現在もボランティアとして活動中。最近は小学生や中学生のキャンプなどもお手伝い。また今年は文科省の中央教育審議会にも参加させて頂き、さらに教育方面に深入り。
現在、会社では人事部長として多難な毎日だが、めげずに業務に邁進中。

 

これまでの25年を思う

早いもので、現在の会社で働きだしてから25年が過ぎた。
「キャリア」について何か書かなければいけないのだが、この25年間、まずは健康に恵まれ、元気に仕事を続けることができたこと、そして、その仕事で自分と家族の幸せな暮らしを支えてきたことに、少なからず感謝と満足を覚える。

そして同時に、毎日のように職場で起きた、うれしいことや楽しいこと、苦しいことや悲しいことを通じて、深い学びをいくつも得たことに感謝したい。当たり前のことながら、学生のころの自分と比べると、ずいぶん成長もした。会社で仕事をしていなかったら、経験できなかったことばかりだ。

また、信頼でき、尊敬できる友人や知人が大量に増えたこともうれしい。
人との出会いによって、今の自分があると言っても過言ではない。多くの人がそう語るものだが、やはり私も同じようにそう語りたい。今もなお、今日に会う人たちとの時間が明日の自分になっている。願わくは、その人の明日に、自分もわずかであっても役に立ちたいと思う。

さて、「私の10年史を書く」というお題なので、書きながら、少しずつ思い出していこう。

私の10年史(2002-2011)

40代に入って営業から人事部に異動した。
入社以来ずっと営業で仕事をしてきて、営業としての自分に自信を持っていたし、当時、現場で大きく仕掛けていた仕事もあり、人事部への異動には抵抗があった。実際、人事側と営業側で異動時期に関して揉めることになり、いったんは辞令が撤回されたが、結局、2カ月後に2回目の辞令が出て、渋々ながら人事部に異動した。

異動して最初の仕事は、年功型の人事制度の撤廃と成果型の人事制度の導入だった。
制度の切り替えに際しては、年配の社員に処遇上の不利益が生じる場合もあったため、一部の先輩社員から冷たい視線を浴びることとなり、精神的にも肉体的にも疲労した。ある年配の社員からエレベーター内で暴言を吐かれ、しばらくはエレベーターに乗るのが嫌だった。

電車のある時間に帰れることは珍しく、夕食はほとんどが出前となり、夜半に職場で食べた。
結局、全社員の職層・賃金の貼り替えと、新しい評価制度の導入にほぼ1年をかけた。
精魂をこめた仕事だったが、残念ながら「制度改定で社内が活性化した」という実感は得られず、また多くの先輩社員が希望退職制度に申し込み、複雑な顔つきで会社を去っていった。
徒労感のみが残り、もう人事はいいだろう、早々に営業に戻ろうという気持ちになっていた。ただ、そんな気持ちが上司に伝わったのか、ほどなく人事部から人材開発部に異動した。

ところが、採用や研修に担当が変わってから仕事がだんだん面白くなってきた。
きっかけは、ある大学の就職課が開催する企業研究会に講師として呼ばれたことだった。
何を話せばいいんだろう?と戸惑いつつ、多少の説明用資料を作って大学に赴いたところ、200名を超える学生が講堂に集まっていて、非常にびっくりした。そしてかなり緊張もした。

40分ほどの持ち時間でありながら、用意した資料での説明はすぐ終わってしまった。冷や汗がでたが、あとは大学生に質問を促しながら、対話のスタイルで進めていった。いろいろな質問をもらいながら、それまで自分が営業の現場でしてきた仕事や、社会で働いていることの面白さや厳しさを、できるだけ率直に自分の言葉で話していった。
ありがたいことに質問は続き、気がつくと1時間以上も大学生たちとの対話が続いていた。説明会の最後でもあり、就職課の課長も会場の最後列に座ってずっと見守っていてくれた。

終了後のアンケートで、「就職に対する気持ちがすっきりした」との感想を頂いて嬉しかったが、いわば「集団による公開コーチング」を受けたようで、すっきりしたのはこちらも同じだった。
その後も5年ほど、機会があればいろいろな大学を訪ねてお話をさせて頂くようにしたが、これらの機会を通じて、「人が元気に・幸せに、働いて・暮らしていくことを支援したい」という動機と、「そのチカラになると思うことを見出して、人に伝えていきたい」という動機が自分にあることを、あらためて認識した。また、制度改定で味わった苦い体験は、むしろ自分のチカラとなった。

広告会社の営業としても、お客様の商品に「広告する(広く告げたくなる)価値」を見出して、それを工夫して世の中に伝えていくことを仕事の根幹にしていたが、人事での経験を通じて、「自分が本当に広告したい(広く告げたい)こと」が何かもわかった気がした。そしてそれは、いまも変わっていない。むしろどんどん深まっていると感じる。

また、自分の興味や動機がはっきりすると、同じような考えの仲間ができ始めた。
セミナーなどへの参加を通じて知り合った、多様な人たちとの付き合いを通じて、未来の学校教育を考える場や、社会人のメンタルの問題を考える場に参加させて頂くようになり、家庭と職場の次の、いわば「第3の場所と仲間」を得た。

この「第3の場所」や「無償でも働きたいと思う場所」を持つことの意義・効果は大きい。
普段では考えられないような出会いや、聞けないような話を聞けることも楽しいが、職場や家庭のほかに自分を活かす場所を持つことで、新しい自分を発見できたりする。そして、その新しく発見した自分を、また職場や家庭で活かすことができたりする。人は家庭と職場のほかに、もう1つの場所や仲間を見つけると、人生の好循環が生まれるようだ。

キャリアとは、自分の生きている意味を、のたうちまわりながら見出していくこと。

拙文の最後に、私なりのキャリア観のようなものを申し上げるとすれば、キャリアとは、社会のなかで自分が生きている意味を、仕事を通じて見出していくことであり、深めていくこと。そしてそのことを通じて、より良く・より自分らしく、元気に・幸せに生きていくことだ。

とはいえ、ご存知の通り、実際の仕事や職場とは、そう簡単なものでも整理されたものでもない。これまでのように、これからの日々の仕事でも悩みつつ迷いつつ、カッコ悪くのたうちまわるのだろう。しかし、であれば、私はその「のたうちまわること」を楽しむしかない。

そう、楽しむとは意思なのだ。また、のたうちまわっているうちに、何かわかることもあるだろう。いや、身を持って、のたうちまわったからこそ、ハッキリとわかってくることがあるのだろう。そして、もしかすると、それが面白いから働いているし、生きているのかもしれない。

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