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ピックアップレポート

2011年10月11日

じゃあ、そろそろ運動しませんか? ―西洋医学と漢方の限界に気がつき、トライアスロンに挑戦した外科医の物語―

新見 正則
医師

私は外科医です。最近は漢方にもはまっていて、西洋医でありながら漢方の普及に努めています。
2年前、50歳だった私は運動嫌いで、カナヅチで、今更運動なんて縁がないと思っていました。もちろんトライアスロンなどまったく縁がなかった、それどころか水泳、自転車、ランニングのどれ一つとして興味も関わりもなかった私が、たまたま50歳で筋肉トレーニングをはじめ、その一年半後には、51.5kmのトライアスロンを完走しました。その過程で、ビジネスにとって、人生にとって、トライアスロンに学ぶことが多くあり、気づきがあり、健康にもなり、”素晴らしい”と体感しました。そこで、その過程を一冊の本に語ることにしました。
トライアスロンは歴史の浅いスポーツながらも素晴らしい解説書がたくさん出ていますが、経験あるプロトライアスリートのコーチ陣による著作がほとんどです。そういう本はトライアスロンをやろうと決めた人々にはとても価値がありますが、トライアスロンなど縁遠いと思っている人々はまず手にしません。そこで”私のトライアスロン挑戦の物語”を書くことにしました。
 

プロローグ

2010年8月28日
 「パパ、プールに潜って死んだふりしてよ」
 「馬鹿、パパはプールは大嫌い。お前も知ってるでしょ。お前がプールに行きたいって言うからしょうがなくついて来てるんだよ。水は大嫌い。ましてや顔を水につけるなんてとんでもないよ」
 当時、小学校1年生のひとり娘は、生まれて9カ月から家内とスイミングスクールのベビーコースに通っていましたから、水なんてまったく怖くないのですね。
 私がまったくのカナヅチですから、同じように水恐怖症では困ると思って、母娘がスイミングスクールに行くのを一生懸命応援していました。6歳にもなると、口が達者になります。
 「わたしのお願い聞けないの……?」
なんて話になり、嫌々、水に顔をつけました。仕事を兼ねて家族と宿泊した名古屋駅前にあるホテルのプールです。僕はその時までプールに入ることはあっても絶対に泳ぎませんでした。水に浸かっているだけです。だって泳げないのですからね。泳いだふりをしても、犬かきのような平泳ぎです。顔を水面上に常に上げて、腰が沈んで、まったく前に進まない。そんなことしかできなかったのです。
 娘に命令され、しょうがなく顔をつけました。なんと不愉快なことか。耳に水は入るし。息苦しいし。水が怖いし。
 死んだふりというのはプールの底に沈めということらしいです。
 やがて息をすべて吐かないと沈まないとわかり、思いっきり息を吐いてみました。そうすると沈むのですね。体全体がプールの底に沈みました。30 秒ぐらいプールの底に沈んでいると、不思議な感覚になってきました。なんだか、少し怖さが遠のいたのです。
 次に、
 「パパ、じゃあ、前転してよ」
 「えー、水のなかで前転するの? 馬鹿なこと言うなよ」
 そして、嫌々やってみると、鼻から水が入り、頭が痛くなります。とんでもない恐怖感です。
 やがて、息を吐きながら回ると水が鼻には入らないことに気がつきましたが、でも前転なんかできません。恐怖心に立ち向かいながら、頭を水に深く入れますが、回れないのですね。そんなことをして娘と一緒に水と戯れているうちに、なんだか急に泳ぎたいなと思ってしまいました。
 私の小学校時代にも、プールの授業がありました。しかし何回も中耳炎を繰り返しその度に鼓膜切開といって、たぶん注射針で鼓膜に穴を空けられていたのでしょう、その後数日間自宅で安静にさせられるという嫌な思い出があるのです。そんなことを繰り返すとプールなんてとんでもないと思うようになり、お医者さんもプールは止めろと言ったのでしょう。そして、小学校の3年生以降はまったく授業で泳いだことも、プールで水に顔をつけたこともないまま、40年近くが過ぎたのでした。

トライアスロンが人気ですよ

 ある日、出版社の方と会食をする機会があり、
 「丸の内の本屋のビジネス棚に並ぶような漢方の本を書きたい」と言ったら、
 「漢方とあるだけで、絶対にビジネス棚には並びません」ときっぱりと言われました。そして、
 「最近は、エリートビジネスマンの間ではトライアスロンが人気ですよ」とも言われました。どうも納得できない自分は、ではトライアスロンとはどんなもんだろうと思ったのです。
 それが、2010年11月某日でした。
 ”トライアスロン”をネットで検索すると、いろいろな情報が得られました。なんとなく知っていたとんでもない距離を耐え抜くスポーツだというのはアイアンマンのことで、一日で水泳3.8㎞、自転車180㎞、ランニング42.195㎞をこなすものです。ところがオリンピックディスタンスという水泳1.5㎞、自転車40㎞、ランニング10㎞というのも目にとまりました。つまりトライアスロンと言ってもいろいろな種類があるとわかったのです。ともかく水泳と自転車とランニングの三つをこなすのがトライアスロンで、最長のものがアイアンマンと呼ばれるとてつもないレースだと理解しました。
 無謀ですが、まずオリンピックディスタンスを目指してやってみようとなぜか思ったのです。出版社の人をびっくりさせようという思いもありましたが、それ以上に何かに自分自身が挑戦したかったのですね。

挑戦しない自分

 私は、33歳で結婚し、34歳から39歳までイギリスのオックスフォード大学大学院に留学し、そして帰国間際に子どもを作ろうと思いましたが、残念ながら子宝には恵まれませんでした。帰国し大学病院で働いても、やっぱり子どもはできず、諦めかけていた頃に、やっと子どもを授かりました。45歳の時に幸運にも生まれた娘です。その子も小学校に行くようになり、宿題がはじまりました。親としては、
 「宿題やったのか? ピアノの練習は?」
などと娘にいろいろと強制し、命令します。
その時、ふと思ったのです。
 娘にはいろいろと挑戦することを要求しているのに、自分は真剣に挑戦しているのだろうか。もちろん仕事は一生懸命やっています。でも25年近く医師をやっていると、仕事の緩急や頑張りどころ、ちょっと息抜きをするところなどを知るようになり、まったく未知の世界に挑戦するということはあまりありませんでした。
 一方、娘には、当然にこの子のことを思って言うのですが、挑戦を要求しているのですね。そうであれば、自分が挑戦する姿を見せないと、「しめしがつかない」と直感的に胸に響いたのです。それならいっそのこと、まったく泳げない水泳をやってみようと思ったのが、ことのはじまりです。
 これまでに築いてきた土台に安住し挑戦する意欲を持たないことは、自分の成長に対してマイナスです。自分ができるようになったことだけをやるようになります。そんな自分の新しい能力への挑戦をしない生活を続けると、厳しい努力や修練の緊張感を失い、そして次第に自分自身を大切にすることを忘れます。その結果、いつの間にか自分が築いた土台、つまり自分の専門分野に関する判断力も、新しいことを避けるような守りの姿勢になってしまいます。これではまったく新しい考えや企画は当然できませんし、今までのレベルを維持するのも危うくなります。そんな状態はビジネスにとって人生にとってマイナスではないですか。
このようにして、ふとしたきっかけで、運動嫌いのカナヅチから、トレーニングを始め、トライアスロンを完走するまでとなり、体は健康になり、生活も充実しています。この私の経験と方法論を、西洋医としての専門性、漢方医のパイオニアとしての視点と実践、総括して、このたびagora『人間の体 ―医学の視点から人体の不思議と可能性を探る―』を担当させて頂くことともなりました。皆様にこれらの著書や講座をお役立ていただければ光栄です。

『じゃあ、そろそろ運動しませんか?―西洋医学と漢方の限界に気がつき、トライアスロンに挑戦した外科医の物語―』
株式会社新興医学出版社、2011年11月上旬刊行予定

新見 正則 (にいみ・まさのり)
医師
夕学プレミアムagora「西洋医であり漢方医 新見正則先生と学ぶ 【人間の体】」講師
帝京大学医学部外科准教授、愛誠病院漢方センター長、日本大学医学部内科学系統合和漢医薬分野兼任講師。
慶應義塾大学医学部卒業、英国オックスフォード大学医学部博士課程卒業(博士号)。専門分野は、臨床分野として血管外科・移植外科・一般外科、研究分野として移植免疫学・腫瘍免疫学、セカンドオピニオン。
保健診療のセカンドオピニオン外来を本邦で最初に帝京大学病院に開設し、セカンドオピニオンのパイオニアとして、また、漢方を用いた西洋医としても知られる。

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