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2012年09月11日

武石 彰「MOT(技術経営):経済社会の変革による企業の成長・発展」

武石 彰
京都大学大学院 経済学研究科教授

1. MOTとは

 MOTとは、Management of Technologyの略称です。日本語では、「技術経営」と訳されるのが一般的です。

 MOTへの関心が日本で広まりだしたのはさほど前のことではありません。10年程前のことでしょうか。それが今や、書名に「技術経営」「MOT」を冠した多くのテキストや著書が書店の棚を賑わし、MOTを専門とする大学院がいくつか創設されるまでになっています。

 MOTとは、文字通り、「技術」と「経営」を扱うものです。その意味するところについてはいくつかのとらえ方がありますが、ここでは、MOTを「技術革新を経営の成果に結びつけるマネジメント」とします。目的は経営の成果であり、技術の革新がその手段となります。つまり、「技術革新による経営」です。
 

2. 技術革新から価値創造へ:経済社会変革としてのイノベーション

 経営の成果は、事業を通じて獲得するものであり、事業とは商品を売ることです。事業として成り立つ価格で商品を売り、その商品を市場で買ってもらえることを、「価値の創造」と呼びます。価値の創造は企業経営の基本であり、事業である限り、常に価値は創造されなくてはなりません。MOTはその価値を技術革新によって創造するのです。

 技術革新による価値の創造には二つのタイプがあります。いままでなかった価値を創造するか、既存の価値をいままでなかった方法で供給するか、のいずれかです。つまり、新しい種類の製品やサービスを提供するか、既存の製品やサービスを新しい方法で供給するか、のいずれかです。これを「イノベーション」といいます。イノベーションとは「革新によって価値を創造すること」であり、MOTにおける技術革新による価値の創造とは、イノベーションを実現することをいいます。

 技術革新から価値を創造するには、事業として商品を供給できるように、生産体制、販売サービス体制を整えなくてはなりません。そのために新たな投資や関連する人々の協力が必要になります。しかし革新である故に、事前にはうまくいくかどうかわかりません。見通しが不確実な中でそうした資源(ヒト、モノ、カネ、情報等)を動員するのは容易なことではありません。「死の谷」という表現があります。開発された新しい技術の多くが商品化・事業化に至ることなく死に絶えてしまうことをさします。「技術革新」から「価値の創造」に辿り着くのが難しいことを表しています。

 技術革新から新たな商品が生まれ、価値が創造されるためには、さらに補完的な役割を担う商品やインフラ、そして制度や規制が必要になることがあります。蓄音機を売るには魅力的なレコードと関連する著作権制度が必要でした。TVが売れるためには放送網と魅力的な番組が必要でした。自動車が受け入れられるにはガソリンスタンド、道路、交通規制、免許制度が必要でした。これから電気自動車が売れるためには充電のインフラが整わなくてはなりません。そうした補完商品、インフラ、制度、規制を整えるには、関連する他の企業や機関の協力が必要になります。

 価値の創造は事業化によって終わるわけでもありません。事業化は価値創造のスタートに過ぎません。創造された価値が大きなものになるためには、新しい商品が広く社会で受容され、普及しなくてはなりません。また、新たな価値が創造されることで、既存の商品の中には価値を失うものも出てきます。そうした既存商品の担い手 ── その一部が社内にいることもあります ── からの抵抗・反撃もあるでしょう。そうした抵抗・反撃を退けなければ、価値の創造・拡大はかないません。

 つまり、技術革新から価値を創造するには、成功の見通しがない中で、資源を動員して事業を立ち上げ、一方で(必要であれば)補完商品やインフラ、制度、規制を整え、他方で既存商品からの抵抗・反撃を退けながら、商品の普及をうながしていかなくてはならないのです。これはつまり、経済社会を変えていくということです。イノベーションとは技術の革新をテコにして経済社会を革新していくことなのです。

 とりわけ、画期的な技術革新をイノベーションに結びつけるには、経済社会の変革が重要になります。従来の延長線上の技術革新であれば、既存の経済社会の中で価値を創造することができるでしょう。しかし、画期的な技術革新の場合には、経済社会を変革しないことには価値が創造されません。それは技術の世界だけで完結する問題ではありません。経済、経営、社会、心理、法律、政治の世界が関わる問題です。そこでは、どのような技術を開発したかが問われるのではなく、(その技術を使って)どのような経済社会を創造したいのかが問われるのです。

3. イノベーションから価値獲得へ:持続的競争優位

 こうして革新から価値が創造され、イノベーションが実現され、それが社会に広く普及したとして、MOTには次の難題が控えています。

 購入者や社会にとってみれば、イノベーションが実現されれば、ひとまずそれで満足できるでしょう。しかし企業にとっては、そうして創造された価値を誰が獲得するのかという問題が残っています。価値が創造されれば、そこには必ず、砂糖に群がる蟻のように、価値の獲得を狙う競争相手が現れます。その競争を勝ち抜き、買い手に選ばれる企業が価値を獲得するのです。

 価値を獲得するのは持続的な競争優位を持つ企業です。持続的な競争優位の源泉は、有利な立場(特定の企業に有利な競争構造)か、勝てる能力(同じ立場で競争しても勝てる組織能力)のいずれか、もしくはその組み合わせにあります。技術革新によって創造された価値をめぐって、この持続的競争優位をいかに構築するかがMOTの課題となります。

 技術革新を経営の成果に結びつけるということは、イノベーションで他社に先駆け、持続的な競争優位を築き、後発者による攻勢を退けながら価値を持続的に獲得することを目指すことなのです。技術革新による価値の創造で先行したことによる潜在的な優位をいかに戦略的に活かすかが重要な鍵となります。

 後発者の立場からすれば(企業は、先行者であるよりは後発者であることの方がはるかに多いでしょう)、他社が先行して実現したイノベーションからいかに価値を獲得するかを考えることが重要になります。後発者が価値の獲得に成功するならば、苦労を重ねて他社に先駆けてイノベーションを実現した企業の苦労は水泡に帰してしまいます。種を植え、水や肥料をやり、ようやく花を咲かせるまで育てても、果実を他社にもっていかれては、元も子もありません。果実を収穫するところまで辿り着いて、はじめて技術革新が経営の成果に結びつくのです。

4. 経済社会の変革による企業の成長・発展

 日本でMOTに関心が寄せられるようになった一つの理由は、技術の開発において世界の先頭に立ちながら、それが経営の成果に必ずしも結びつかずに苦闘している日本企業の姿が目立つからです。技術革新で成果をあげても、それが経営の成果に結びつかなければ、企業として成長・発展はかないません。

 「技術革新」は、あえていうならば、今の日本の企業にとって問題の中心ではありません。革新的な技術の開発においては、多くの企業が多くの領域で世界の先頭集団に位置しています。問題は、それが価値の創造と獲得に結びつかないことです。つまり「技術革新を経営の成果に結びつけるマネジメント」が問題の中心なのです。技術革新が経営の成果に結びつかない状況が続けば、やがて技術革新も生めなくなってしまいます。技術革新は、持続的な経営の成果に支えられながら生み出されるものだからです。

 MOTとは、技術革新を梃子にして、事業活動を通じて、内外の経済社会の変革を主導し、そのことによって企業として成長・発展していくことです。それは企業が全体として取り組むべきものです。技術革新を生み出す技術者はその重要な担い手ですが、MOTは技術者だけが担うものではありません。技術革新から価値を創造し、獲得していく過程の全体に関わる、トップをはじめとする全ての関係者が主体的に担い、取り組むものです。

 MOTとは、困難な挑戦ですが、やりがいのある大きな挑戦です。技術革新で世界の先頭集団に位置する企業だからこそできる挑戦であり、名誉ある挑戦だということもできるでしょう。

なにより、今、日本にも、世界にも、いろいろな問題があり、様々な可能性があります。日本も、世界も、変革を必要としています。MOTは、そういう変革への挑戦をしようという企業や人のためのものです。

武石 彰(たけいし・あきら)
武石 彰

1982年東京大学教養学部卒業後、株式会社三菱総合研究所に入社、自動車産業を中心にした製造業の調査研究に従事する(~94年)。90年マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院M.S.(経営学)取得、98年同大学院Ph.D(経営学)取得。98年一橋大学イノベーション研究センター助教授、2003年同教授。 2008年より現職。 主な研究テーマは企業間分業のマネジメント、アーキテクチャとその革新、イノベーションのプロセス、音楽ビジネスと技術革新など。
主な著書に『イノベーションの理由』(共著、有斐閣)、『メイド・イン・ジャパンは終わるのか:「奇跡」と「終焉」の先にあるもの』(共編、東洋経済新報社)、『分業と競争:競争優位のアウトソーシング・マネジメント』(有斐閣)、『ビジネス・アーキテクチャ:製品・組織・プロセスの戦略的設計』(共著、有斐閣)などがある。
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