KEIO MCC

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2015年06月09日

小田嶋 隆「書くことと教えることの間にある深淵」

小田嶋 隆
コラムニスト

 この5年ほど、いくつかの場所で文章の書き方について、ヒトサマに教える機会を持つことになった。ありがたい話だと思っている。
 これが実際にやってみるとなかなかの難事業で、おかげで私は、ここしばらく、文章を書くことに、神経質になっている。
 文章を書くことに対してナーバスになることが良いことなのか悪いことなのかは、いまの段階ではよくわからない。ただ、確実に言えるのは、神経質になって文章を書く書き方が、素人のマナーだということだ。つまりなんというのか、私は、文章の書き方を教えることを通じて、かえって素人くさくなった気がしているわけなのだ。
 困ったことだ。

 原則論から言えば、他人に何かを教える人間は玄人でなければならない。逆に言えば、専門家であると世間が認めているからこそ、その人間は、他人にものを教えることを許される。理屈のうえではそういうことになる。 私自身、自分がこの道の第一人者であるとまでは思っていなかったものの、とりあえずプロだという自覚は抱いていた。なにしろ40年近くこの仕事をやっているわけなのだからして。

 が、ヒトサマに教えるにあたって、あらためて文章についてのあれこれをひとつずつ考えなおしてみると、あらまあびっくり、私は、素人に戻っていた。
 アマチュアの書き手のように真摯な気持ちで仕事に取り組むようになったと言えばそう言えないこともない。が、それ以上に、着想から推敲に至る作業段階のいちいちで、仕事の運び方がギクシャクしている。

 私は、素人に何かを教えるためには、まず自分が素人に戻らなければならないというふうに考えたのかもしれない。とすると私は、他人に何かを教える人間としては、ナイーブに過ぎたのだろう。
 というよりも、そもそも自分を玄人だと思っていたこと自体が間違いで、私は、その幸運な思い込みを、人にものを教える過程の中で見失ってしまったのかもしれない。

 以下、本稿では、書くことと教えることの間にある相克について書くつもりだ。
 いささかくどくなると思うが、勘弁してほしい。こういう話は、たぶん、思い切り素人っぽく、くどくど書かないと伝わらない。

 教えることは学ぶことだ、という定番の話型がある。このテのお話は、「他人に教える作業を通じて、むしろ自分が学ぶ機会を得た」ぐらいな結論に着地する決まりになっていて、それゆえ、どのような具体的なエピソードを紹介できるのかが、出来不出来を左右する鍵になる。

 で、まず
「私はいかにして教えることを通じて学びを得たのか」
 という方向で印象的な体験談を並べにかかるのが最初の手順であるわけなのだが、そう思った瞬間に作業は暗礁に乗り上げる。
 というのも、「教える」という行為について書きはじめている原稿は、その時点ですでに自己言及のワナにハマっているからだ。

 自己言及は、原稿を書く人間にとって、なるべくなら避けて通りたい状況だ。いったん自己言及に陥った原稿は、歌についての歌や絵についての絵や、自分の話ばかりを繰り返す合コンの女王がそうであるように、作品として自立できない。
 だからこそ、職業的な書き手は、ふだん、無意識のうちに「書く」ことについて考えるなりゆきを避けている。

 実際、「書くことについて考える」ことは、「書く」という作業にとっての最初の敵で、彼が職業的な書き手として曲がりなりにもやって行けるようになったのは、長年の苦闘の末、「書くことについて考える」ことから逃れ得た結果だったりする。
 もっとも、考えない境地に到達するためには、さんざん考える段階を踏まないといけないということもまた事実ではあるわけで、このあたりの事情は常に錯綜している。

 ともあれ、書くことについて教えるミッションを担った書き手は、一旦、書くことについて考えるところに立ち返らなければならない。当然のことながらこの作業は、危険をはらんでいる。やっとのことであれこれ考えずに泳げるようになったのに、またはじめから泳ぎ方について考えたら、彼は溺れるかもしれない。悪くすると死ぬ。教えることには、そういう怖さがある。

 そもそも「書く」という行為は、多かれ少なかれ自己言及を含んでいる。
 「教える」ことも同様だ。
 ということは、「書くことについて教える作業」は、二重の意味で自己言及に陥る危険をはらんでいるわけで、これはもう、学ぶどころの騒ぎではない。

 たとえば、
「この文は10文字です」
 というこの文の内容は、書いている時点では確定できない。ということは、
「いま書いているこの文の文字数は何文字だろう?」
 と考えた瞬間に、文字を書く行為は文字数をカウントする作業によって中断されてしまうわけで、執筆はその時点で自縄自縛に陥る。

 何を言いたいのかというと、現在進行形で自分が従事している作業について語ることは、原理的に不可能だということで、つまり、「書く」ことについて「語る」ことは、原稿を書くためのルーチンを獲得している人間にとっては、そのルーチンを失うことを意味しているのである。

 スランプに陥った野球のピッチャーは、ピッチングフォームについて考えすぎた結果、フォームがバラバラになってしまう。
 というよりも、良い状態で投げている時、ピッチャーはフォームのことを考えないものなのであって、ピッチングフォームについてあれこれ考えていること自体が、既にスランプの兆候なのである。

 同じように、うまく書けている書き手は、書いている間、書くことについて考えない。
 逆に言えば、書くことについて考えはじめてしまった書き手はスランプに陥り、泳ぐことに懊悩する魚は溺れる。
 が、ものを書く手順について他人に考えを伝えようとする書き手は、いったんフォームをバラバラにせねばならない。で、もしかすると、そのままフォームは戻らない。
 これは、なかなか深刻なことだ。

 テニスのスイングを教える人間は、他人に教える前に、まず自分のスイングを分解しなければならない。そういうふうに自分のスイングを対象化することで、ようやく他人にその細部を伝えることができる。別の言い方をするなら、スイングについて教えるためには、あらかじめ「スイング」という身体動作を、言語化しておかなければならないということだ。

 ところが、テニスのスイングのような動的な身体運営は、往々にして言語化を試みた時点で、微妙な狂いを生じる。
 書くことについては、さらにその傾向が強い。
 原稿を書く人間が、「書く」という行為を客観視し、逐次的に言語化することは、「書く」という動作のうちにある、最も精妙な部分を毀損しかねない。

 どうこうことなのかというと、書く手順について考えながら書いた文章は、書道における二度書きや、絵画制作におけるなぞり書きが「線の勢い」を損なう結果をもたらすのと同じように、文章から自然なリズムを奪ってしまうということだ。
 そんなわけで、私は、この数年、自分が書くことについて考えすぎているという実感を抱いている。で、そのことに、なんだかとても苦しんでいる次第だ。

 しかし、ひとつ注意しなければならないのは、かつて、自分がもっと無邪気に、思うままに原稿を書いていたとする記憶は、実は、かなりの部分で錯覚であるのかもしれないということだ。
 本当の話をすれば、いついかなる段階でも、書くことは苦しみを伴っていたはずだ。
 私がこの5年ほど、書くことを教えたことの副作用としてオートマチックな執筆に困難を覚えるようになったと自覚しているのは、おそらく、執筆回避のための新しい理屈を、発見したということにすぎないのかもしれない。その可能性は高い。というよりも、気づいてみれば、これは、どんぴしゃりだ。

 以上の事実に、私は、つい最近、リハビリの中で思い至った。
 説明する。
 私は、この3月に足を折って、以来2ヶ月余り入院生活を送っている。
 現在は、杖をついて少しずつ歩くトレーニングをはじめている。
 で、歩行のためのリハビリに取り組んでみてあらためて気づいたのは、リハビリの過程が、うまく書けない時に原稿を書き始める時の手順と、驚くほど良く似ているということだったわけだ。
 
 2ヶ月間歩けないでいた人間が、一から歩き始めるためには、歩くという動作を、ひとつひとつの手順に還元して、とにかくできるところから再獲得して行かなければならない。
 それというのも、歩けていた間はまったく意識していなかった「歩く」という動作は、いったん歩けなくなった大人があらためて再挑戦してみると、意外に複雑で、いちいち言語化しないと再構成できない課題であったりするからだ。

 たぶん、私は、書くことについて教える過程を通じて、自分の執筆姿勢なり文体についての、リハビリをしているのだと思う。
 結局、書くという行為についても、手癖だけで書き飛ばしていられる幸運な時期はそんなに長くは続かないわけで、いずれどこかのタイミングで、全過程をオーバーホールせねばならない時期がやってきたはずだ。
 その意味で、仕事をしながらリハビリに取り組む機会を与えられたことには、感謝せねばならない。

 筆を折る前で本当に良かった。
 あるいは心を折る前で。

小田嶋 隆(おだじま・たかし)
1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。
2008年から日経ビジネスオンライン「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』」を連載中。浦和レッズファン。
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