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安田 登「社会的資源としての能」

2016年10月11日

安田 登
能楽師(ワキ方、下掛宝生流)、Rolf Institute公認ロルファー

「能」は、今からおよそ650年前の室町時代に観阿弥、世阿弥父子によって大成された芸能です。そして、それからは現在に至るまで、一度の断絶もなく上演され続けてきました。これは世界でも稀有なことで、「世界無形文化遺産」にも選ばれました。

長年続いてきたものは、ある種の化学反応を起こすことがあります。プランクトンが、バクテリアや地下熱の働きによって長い時間をかけて石油という「資源」になったように、能も長期間、演じられ、そして観続けられてきたことによって「資源」的な存在になった、私はそう思っています。

石油は、むろんそれ自体でも意味はありますが、しかしそれを使う人によってさらなる可能性が引き出されます。あるいはガソリンや灯油に、あるいは合成繊維や合成樹脂に、さらには化粧品や食品にと私たちの生活に役立つさまざまな商品へと姿を変え得ます。

能も石油と同じく、使う人によって、さまざまな用途を見出し得る「社会的資源」なのです。

では、私たちは社会的資源である能からどのようなことを引き出し得るのか、そのいくつかをキーワードを中心に、まずは簡単に紹介しましょう。

1. 長寿企業としての能

観阿弥・世阿弥の時代から650年の命脈を保ってきた能ですが、おそらくこれからも数百年は上演され続けられると思われます。となると、能は「千年(ミレニアム)企業」といってもいいでしょう。

なぜ、能はこんなにも長い間、続いてきたのか。それを可能にしているものは何か。

これを考えることは、近年とみに短くなってきている企業のライフサイクルを考えるヒントとなるでしょう。

キーワードは「初心(イノベーション)」と「伝統(伝える力)」です。

2. 健康と能:身体性

能というと「お年寄り」をイメージする人が多いようです。しかし、能の楽屋には幼児から青年、中年、お年寄りまでと幅広い年齢の役者がいます。それでも「お年寄り」のイメージが強いのは、能楽師がいくつになっても元気に、現役で舞台に出ているからです。能には定年というものがないのです。

長寿社会の現代。ただ長生きをするのではなく、何歳になっても元気に現役を続けるヒント、それも能の中にはあります。

キーワードは「呼吸(謡)」と「深層筋(すり足)」です。

3. ストレスマネジメントと能:精神性

織田信長が「人間五十年」の舞を舞ったことはよく知られています。テレビなどの影響で、本能寺の変で自害の直前に舞ったと思っている人が多いのですが、信長の伝記である『信長公記』によれば、信長がこの「人間五十年」を舞ったのは桶狭間の戦いの前です。

自軍のおよそ10倍の敵を前にしたストレスは、現代の私たちが感じるそれとは比較になりません。自身のみならず、家族や一族、さらには部下たちの命すらも、ほぼ確実になくなる。死刑を待つ囚人よりも、厳しく、つらい精神状態に追い込まれていたはずです。

そんな状況で信長は「人間五十年」を舞った。

それは武士にとって舞こそがストレスマネジメントの重要なツールだったからです。それも「舞で心を落ち着ける」なんていう生易しいものではない。ストレスを、そのまま行動エネルギーへと変換するための術、それが舞だったのです。

舞の何が、それを可能にするのか、キーワードは「“呼”の呼吸(強吟の謡)」と「陰陽の統合(舞)」です。

4. トップマネジメントのための芸能

江戸時代の能は(基本的には)武士だけのものでした。武士階級以外の人たちは能の上演に接する機会はほとんどありませんでした。それに対して武士たちは、ただ能を観ただけでなく、自身も能を学び、能の謡を謡い、舞を舞いました。

人口の7パーセントほどといわれている武士階級の人々(成人男子に限れば1.5パーセントと言われています)。しかも下級武士は能を学ぶ機会はあまりなかったようなので、中・上級武士限定。現代風にいえば能は「トップマネジメントによる、トップマネジメントのための芸能」でした。

なぜ、当時のトップマネジメントである武士たちは能を学び、そして能を観たのか。

キーワードとして上述の「身体性」と「精神性」に加えて、「阿吽の呼吸(股肱の臣)」と「以心伝心(深層意識のさらに奥にあるもの)」もあげることができます。

5. シンギュラリティを見据えた未来戦略としての能

いままでの常識がまったく通用しなくなるという「技術的特異点(シンギュラリティ)」が2045年に訪れるというカーツワイルの予測の当否はともかく、いまが大きな変換期に差し掛かっているということに異論のある人はいないでしょう。

いままで、世界を理解する基盤となっていた「論理」や「リニア的思考」では理解できない世界が訪れます。これからの世界を理解するためには「論理」や「リニア的思考」を超える新たな思考方法の創出が必要になりますが、そのヒントが能の中にはいくつもあります。

キーワードでいえば、たとえば「何もない舞台(AR、VR民族の芸能としての能)」、「道行(ウォーク・スルー文化)」などです。

初心(イノベーション)」と「伝統(伝える力)

上記についてすべてを詳しくお話していると、それこそ本が一冊書けてしまうので、今回はその中のひとつ、「長寿企業としての能」について簡単にお話をしましょう。

なぜ、能が「千年(ミレニアム)企業」になり得たのか、そのキーワードとして「初心(イノベーション)」と「伝統(伝える力)」を挙げました。

「初心」も「伝統」も手垢のついた言葉なので、「なーんだ」と思ってしまうかも知れません。しかし、世阿弥が、この「初心」と「伝統」を能の中に仕掛けたことによって、能はこんなにも長く続いているのです。

では、まず「初心」から。

能を大成した観阿弥・世阿弥父子が残した言葉でもっとも有名な言葉は「初心忘るべからず」でしょう。私たちは、この言葉が能に関連した言葉とは思わずに、ふだんからよく使っています。しかも、多くの人は世阿弥がいった趣旨とは違う意味で、この言葉を使っています。

…といっても、世阿弥は「初心忘るべからず」という言葉をさまざまな意味で使ったので、「これが“初心忘るべからず”の正しい意味だ」というのはありません。また、世阿弥がどんな文脈の中で、どんな意味で使ったのかを詳述するほどの紙幅はないので、ここではこの句の基本である「初心」という言葉を見ていくことにします。

初心の「初」という漢字は、「衣」偏と「刀」からできています。

「初」のもとの意味は「衣を刀(鋏)で裁つ」です。すなわち「初」とは、まっさらな生地である布に、はじめて刀(鋏)を入れることを示す漢字なのです。

「初心忘るべらかず」は、「それを始めたときの初々しい気持ちを忘れてはいけない」という意味で今では使われています。しかし、世阿弥の「初心忘るべからず」の真意はそうではなく、「折りあるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」という意味なのです。

これは能楽師という「能そのもの」と、そして能楽師「個人」をも規定する基本システムです。「初心」というシステムを能の中に取り入れたことによって、能は常にイノベーションを繰り返す芸能になったのです。

まず「能そのもの」の中に仕組まれた「初心」のシステムの話をしましょう。

能の歴史を見てみると、能には4つの大きな「初心」、すなわち大きな変化がありました。

最初の変化は豊臣秀吉の時代です。それまでの装束(衣装)はふつうの着物のようなものだったといわれています。それが秀吉の影響で、今のような重量感のある能装束になりました。これによって演技の質も大きく変わったと想像ができます。

2番目の変化は江戸時代初期。おそらく五代将軍、綱吉の時代あたりだったのではないかといわれています。能のスピードが突然、ゆっくりになりました。現在私たちが能にもっている「静かな能」がこの時点でできあがったのです。

それまでの能は、今の能に比べると、2倍から3倍くらいのスピードで演じられていたのではないかと言われています。今の能の謡を2~3倍で謡ってみると、まるでラップです。ひょっとしたら世阿弥の時代の能はラップの謡にヒップホップ・ダンスだった可能性もあるのです。

3番目の変化は明治時代。それまでの能は外で行われていました。それが「能楽堂」という屋内で演じられるようになりました。それまでは大きな声、大きな演技が求められていましたが、明治以降、能は洗練された繊細な動きや声が求められるようになりました。

そして4番目の変化は戦後です。戦前までの能は、スポンサーとしての貴族や華族が能の経済的基盤だったために、観客からの入場料というものをあまりあてにはしていませんでした。それが戦後、貴族・華族がいなくなったために観客からの入場料によって能の上演されるようになったのです。

ここで大切なことは、これらの変化が徐々にではなく突然に起こったということです。それこそが「初心」の特徴です。能は徐々にゆっくりになったのではなく、あるときを境に突然ゆっくりになったのです。

このような「初心」による変容、すなわちイノベーションを経て、能は生き続けてきたのですが、しかしちょっと想像をしてみてください。

ラップの謡にヒップホップ・ダンスをしていた昔の能楽師が、いまの能を見たら「こんなのは能じゃない」と思うでしょう。おそらく、それが2番目の変化のときに起きたに違いありません。

それまでの権威のある能楽師たち(おそらく老人たち)は、ゆっくりした能に変容しようとする能を見て「そんなのは能じゃない」と批判をしたに違いありません。しかし、時代は「ゆっくり」を求めている。どんなに権威のある人の意見でも、あるいはどんなに力のある人の意見でも、それを断ち切り新たなものに変容していく。

それが能の「初心」です。そして、それを可能にするのは能楽師「個人」にも「初心」システムを仕組むことなのです。

ここで「個人」の初心の話をすることにしましょう。実は、こちらこそが「初心」の基本です。

私たちの身体の細胞は一刻一刻、死と再生を繰り返し、それにつれて私たち自身も刻々と変化をしています。しかし、ふだん私たちは自分が変化しているとは感じません。それは「自分はこんな人間だ」と考えている自分、すなわち「自己イメージ」がほとんど変化しないからです。日々の成長に気づかない、あるいは気づきたくないのが人間です。

しかし、固定化された自己イメージをそのまま放っておくと、「自己」と「自己イメージ」との間にはギャップが生じます。成長している本当の「自己」と、昔の自分としてあり続けようとする「自己イメージ」としての自分との差がどんどん広がり、ついにはそのギャップの中で毎日がつまらなく、息苦しいものになってきます。

そうなると好奇心も減って行き、成長も止まってしまいます。人生も、その人間もつまらないものになっていくのです。

そんなときに必要なのが「初心」です。古い自己イメージをバッサリ裁ち切り、新たなステージに上り、そして新しい本当の自分に立ち返るときなのです。

世阿弥はこれを「時々(じじ)の初心」と名づけました。

また、世阿弥は「老後の初心」ということも言っています。どんな年齢になっても自分自身を裁ち切り、新たなステージに上る勇気、それが必要だというのです。

これは厳しい。

年を重ねれば身に着けたものも多いし、大きい。過去の栄光もある。しかし、自分の生にも限りが見えている。いまこれを断ち切ったら、本当にもう一度変容し得るのだろうか、と思ってしまいます。

しかし、それでも断ち切る。それが「老後の初心」なのです。なぜならば生きている限り、人は変化をし続ける存在であるからなのです。

初心とは、自分を裁ち切るわけですから、それには痛みが伴います。

今までの価値観が崩れ去り、今までの地位がなくなり、ひょっとすると友人や財産までも失うかも知れない。今までの自分がガラガラと崩壊していくのを感じる。「魂の危機」を感じるかも知れない。

しかしそんな「危機」こそまさに「危険なチャンス(機会)」なのです。

危機を避けていては成長はありません。自ら進んで危機を受け入てこそ成長があります。そして、それを要求として突きつけるのが「初心」なのです。

初心に向き合う能のシステム「披き」

能の稽古では、弟子を「初心」に飛び込ませるために「披き(ひらき)」とか「免状」というシステムを作っています。

お茶でもお花でも、お稽古を始めると、何級とか何段とかいう段階的なカリキュラムがあります。謡や舞など能の稽古でも、やはり段階的なカリキュラムがあり、その段階を昇る過程で「免状」をもらいます。また、ある特別な演目に関しては、それを学んで観客の前で披露するときには「披き」といって、特別な準備が必要となります。

しかし、能の稽古の場合は、段階といっても、その段階はただ簡単なものから徐々に難しいものになっていくというものだけではありません。

ある程度稽古をして、節(メロディ)、拍子、型という基本が大体わかってくると、急にそこに大きな「初心」を突きつけられます。

自分の実力ではとてもできそうもない演目を「やってみろ」と命じられるのです。ピアノやバイオリンとは違って指の動きが難しいとか、そういう技巧的なことではない。やれといわれてできないことはない。謡おうと思えば謡えるし、舞えといわれれば型をなぞることはできる。しかし、とても自分にはできない、太刀打ちできない、そんな風に思われる演目をやれと命じられるのです。

技巧の問題ならば稽古時間さえ増やせば何とかなる。そうでないから難しい。やればやるほど自分にはできないという確信が押し寄せてくる。

先生もどうすればいいのかは教えてくれない。ただ「ダメだ」というだけ。

前に進んでもダメだし、後ろに戻ってもダメ。にっちもさっちもいかなくなり、一体どうしたらいいんだと叫びだしたくなる。

少なくとも現在の自分でいる限り、そこには解決策は見つけられません。断崖から飛び降りるつもりで、今の自分を切り捨てる。すなわち「初心」をして、はじめてそこに可能性が見える。が、そんなことは稽古をしている間はわからない。いまの自分でいる限りわからない。

「ダメだ」と思いながらも、それでもがむしゃらに稽古をする。やればやるほどダメになる感じがする。それでもお披き舞台の日は決まっている。だからがむしゃらに、ただひたすら稽古をする。

ほとんどの人は、全く不本意なままお披きの日を迎えるでしょう。そして、無我夢中で舞台を勤める。当然、結果は不本意です。

しかし、それでもそのとき、その人は何かをぴょんと飛び越えているのです。そのとき、その人はまた新たな「初心」を迎えたのです。元来が弱い私たちは、自分で初心に飛び込むなんてそんなに簡単にはできません。

「披き」というシステムを使って「初心」に無理やり向かい合わせる、それが能の稽古に隠されている「初心忘るべからず」のシステムなのです。

そして、それを能楽師「個人」の基本的な性とすることによって、能そのものの劇的な変化も受け入れ得る心性を身につけさせた。それによって能そのものも変容し得るのです。

「陰陽の和するところ」に「伝統」がある

ミレニアム企業である能を作ったキーワードの2番目は「伝統」です。

私がここでいう「伝統」とは、「“どのようなことがあって継いでいく”という意志」をいいます。しかも、世阿弥はそれを個人の責任に帰すのではなく、システムとして能の中に取り入れました。名人上手でなくても、ある程度のレベルが維持でき、次世代に能をつないでいける、それこそが「伝統」です。

その具体例を示すことは紙上では難しいのですが(上演が必要になります)、そのほんの一端をお話します。

世阿弥は「陰陽の和(か)するところの境を知るべし」ということを言いました。

これは、例えば「晴れた日は観客の気分が盛り上がりすぎている(陽)ので、ちょっと抑えめ(陰)に演じなさい、曇っている日や雨の日は反対で、観客の気持ちが萎えてしまっている(陰)ので、皆の気持ちを引き立てるよう派手目(陽)に演じなさい」と言うような意味です(ほかにもありますが)。

ところがこれはなかなか難しい。

噺家(はなしか)の方が落語をしているときに観客が誰も笑わなかったらどうなるか、という実験がありあました。当然、やりにくいので「間」も短くなります。すると噺(はなし)はさらにつまらなくなってくる。

観客の気持ちが萎えているときに引き立てるように演奏するなどということは、とても難しいことであり、誰でもができることではないのです。

そこで、能では楽器の構造自体に「矛盾した複数の原理の拮抗」を仕組ませることによって、これを可能にしようと思ったのです。

能の鼓には「大鼓(おおつづみ)」と「小鼓」がありますが、この2種類の鼓には理想的な天気や湿度というものがありません。

「大鼓」は演奏前に火鉢でカンカンに乾燥させます。乾燥が好きな楽器です。「小鼓」は舞台上でも唾をつけて湿らすほど湿気が必要です。

「大鼓」は晴れて乾燥した日によく鳴って、「小鼓」は湿度の高い日によく鳴ります。

晴れた日によく鳴る「大鼓」は基本的に奇数拍を打つのが基本です。奇数拍というのは宴会拍子です。あの宴会のときの手拍子ですね。ですから、囃子の進行は自然にゆっくりになります。

雨天や曇天、あるいは夜のような湿度の高い日に鳴るのは「小鼓」の偶数拍で、これは裏打ちです。当然、囃子の速度は速くなります。

晴れていると曲が抑えられ、曇っていると華やかになる。このように演奏者や役者だけに依存しない構造が仕組まれているんです。

世阿弥のいう「陰陽の和するところ」が、自然に実現されてしまうのです。

誰にでもできる、これこそが「伝統」なのです。

「社会的資源としての能」のほんの一端をお話しました。

能は芸能ですから、本当は文章で読むよりも、自身で謡って、舞って、初めてその本質を知ることができます。

江戸時代、能が武士のものだったという伝統を継いで、明治から戦前までは貴族・華族をはじめとして、多くの政治家、経済人、文化人が能を学び、それを自身の修養や仕事に活かしてきました。

また、能の謡の詞章の文体である「候(そうろう)文」は、各地の方言がしっかりとあった江戸時代、江戸城での公用語として使われてきた歴史を継いで、明治になってからも地位のある人たち同士の手紙の文体として使われ続けて来ました。

しかし、戦後、日本文化をないがしろにする風潮が世を覆ったために、能を学ぶ人は減りました。いま、その風潮は消え、むしろ日本文化を見直そうという・・能の謡や舞を学ぶ人の多くは「趣味」として学んでいます。むろん、それもいいことです。しかし、私は「社会的資源」としての能から多くを吸収し、そしてそれを世に問うことができる力のある人にこそ能を学んでほしいと思っています。

能は「普及」よりも「浸透」に適した芸能です。能が普及して、多くの人がそれを享受するようになると、自然、消費されるようになります。消費は飽和を招き、やがて飽きられ、捨てられます。

それよりも、本当に能の真価を汲むことができる方たちに深く知っていただく、すなわち「浸透」させることこそが、能という稀有な芸能を有する日本人のすべきことだと思っています。

能には、江戸時代に定まったいくつかの流派があり、中でもシテ方の観世流と宝生流は大流派です。ちなみに私の所属するワキ方の「下掛(しもがかり)宝生流」は両流派に比べると所属する玄人(プロ)の数も少なく、数字的に見れば弱小流派です。

しかし、明治時代には文豪、夏目漱石をはじめとして、高浜虚子(俳人)、河東碧梧桐(俳人)、野上豊一郎(学者)、野上弥生子(作家)、安倍能成(哲学者)などの文化人が学んだ流派です。

慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)開催agora講座では、夏目漱石も学んだ当流の謡を参加者の皆さんと謡いながら、「社会的資源としての能」について考えていきたいと思っております。参加される皆さんが能の中から何を汲み取り、そしてそれをご自身と、世界のためにどのように使われているのかが、とても楽しみです。

安田 登(やすだ・のぼる)
1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。 25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。
また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。
能の語りの技法を使った作品も作成、上演しており、代表作として『間(平城遷都1300年記念グランドフォーラム。金梅子氏により韓国にも招聘)』、『水の夢(御茶ノ水WATERRASのこけら落し公演)』、『海神別荘』、『おくのほそ道幻想』、『イザナギの冥界下り』、『オルフェオの冥界下り』、『結婚(ストラヴィンスキー)』、『イナンナの冥界下り』など(以上、山のシューレ)などがある。
『イナンナの冥界下り』はシュメール語と日本語で上演するもので、東京都の助成を得て、2017年度にイギリス(大英博物館)、フランス(ルーブル美術館)、リトアニアでも公演の予定。

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