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「聴き込む快感」 クロシングが実現する新しい講演の楽しみ方

2017年05月09日

城取 一成
慶應丸の内シティキャンパス ゼネラルマネジャー

新たな講演の楽しみ方

 

・・・本の読み方というのは、生き方と同じである。この世界にひとつとして同じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方はない。・・・

村上春樹は『若い読者のための短編小説案内』という本に、このように記している。講演の楽しみ方も、これとよく似ている。講演を聴く目的も人生と同じで、たったひとつの正解にたどり着くことではない。この世界にひとつとして同じ講演の聴き方はない。

それにもかかわらず、世の中に数多の読書論はあっても、残念ながら講演の聴き方論と呼べるものは存在しない。
講演は、一度きりの刹那的な出会いのようなものなので、本のように手元に置いて繰り返し楽しむことはできない。あるいは、規模や会場、開催趣旨や聴衆層の違いによって、聴き手の印象が左右されてしまうので、汎用的な講演の聴き方はあり得なかったのかもしれない。

私は、慶應MCCの開設と同時に始まった定例講演会『夕学五十講』を2001年4月10日の第1回から、一回も欠かすことなく聴いてきた。その数は、16年間で800本以上。その他に慶應MCCの他のプログラムの講義や他社セミナーの講演・講義を含めれば、聴いた講演は1,500本を越えるであろう。日本で最も多くの講演を聴いてきた人間の一人ではないかと思う。

慶應MCCが昨年から始めた「クロシング」は、そんな私に、「ひょっとしたら、新しい講演の聴き方のようなものが生まれるのかもしれない」という予感を抱かせてくれた。

小説の読み方案内があるのなら、講演の聴き方のそれがあってもいいのではないか。
本稿では、そんな願いを込めて、クロシングを通した「新たな講演の聴き方」を提案してみたい。

私のクロシングスタイル

クロシングは昨年4月からサービスを開始した。開始にあたってはこのMCCマガジンでも3回に渡り、「クロシング」が生まれるまでと題して企画の裏側をご紹介している。

企画段階で、こういう風に利用してほしいという、活用スタイルを想定していたこともあって、この一年間は、私も個人の立場で意識してそのように使ってみた。
私の「クロシングスタイル」は次のようなものである。

クロシングを視聴する時間は、朝と夜の通勤の電車内。iPhoneで聴く。
毎月2~3本程度の講演が新たにアップされるが、1本の講演を何度か聴き直すことを常にしている。1回目はまず90分間を通しで聴き、2~3回目はインデックス機能を使って、印象に残った部分に絞って聴き直すようにしている。
インデックス機能は、講演を内容に従って、15分~30分程度で区切り、小見出しを付けたものである。

私は横浜市金沢区に住んでいるので、丸の内までの通勤は京浜急行とJRを乗り継いで1時間ちょっと。実際に視聴に使えるのは、そのうち正味30分程度。つまり1日1時間である。

毎日視聴しているわけでなない。クロシングは月2回、第1と第3水曜日の夜に1時間のライブディスカッションがある。それまでに題材となる講演(2~3本)を視聴しておいて、議論を楽しむのである。
私は、ライブディスカッションにも一人の受講者として参加しているので、1回目のライブディスカッションに合わせてクロシングを視聴している。

具体的には、第1水曜日から第2水曜日までの8日間を、クロシング視聴期間と決めている。週末は違うことに使いたいので、実質は通勤日6日間で6時間。ただし、飲んで帰る日があった場合は、土日にキャッチアップすることになる。
これで、複数の講演を2~3回は聴き込むことができる。

私は、このクロシングスタイルを一年間続けて、年間で31本の講演を視聴した。総視聴時間は約3,900分。全利用者の中でも上位10人に入ったので、かなり視聴した方ではある。それでも、月に一週間、朝と夜に30分をクロシングに費やしただけで、これだけ視聴することができた。
なによりも、自分なりのクロシングスタイルを確立できたことは大きな収穫であった。

「読み込む」ように「聴き込む」

「座右の書」があるように、「座右の講演」があってもいいのではないだろうか。
良い本を噛みしめるように何度も読み込む人がいるように、良い講演を染みこませるように、何度も聴き込む人がいてもいいのではないだろうか。
ボロボロになるまでページをめくる本があるように、暗唱するまで聴き込んだ表現やフレーズがあってもいいのではないだろうか。

web社会の到来は、私たちのライフスタイルやラーニングスタイルを着実に変えているが、講演のような20世紀モデルの古い学習形態であっても、しっかりと変化の波を受けているはずだ。
web上に大量のアーカイブが蓄積され、いつでも、どこからでも手軽にアクセスできるようになったことで、一度限りの刹那的な受け身の学びでしかなかった講演も、新しい能動的な学びが可能になったのではないだろうか。

先ほど、1本の講演を何度か聴き直すと書いたが、聴き直す部分は、講演にもよるが、せいぜい15~30分程度。90分間の講演でも、エッセンスが凝縮されているのはその程度である。
ただし、そのコアな30分を2度、3度と聴き込むことが重要である。何度も聴き込むかどうかで、理解には雲泥の差が生じる。

人間の認知には、S字曲線の閾値のようなものがあることが知られている。ある値(時間・回数)を越えると、突然、目が開くように理解が進むことがある。
講演にも同じことが言えるようで、何度か聴いているうちに、あるいはしばらく時間を置いて、何ヶ月後にもう一度聴きなおすことで、ある言葉やフレーズから、異なる意味が創出することがある。異なる写像が立ち現れてくることがある。

講演者は、なぜ、その言葉やフレーズを選び取ったのか。講演内容を深く理解することによって、あるいは、その人の人生の歩みに自らの歩みを重ね合わせることによって、言葉やフレーズに込めた思いが、実感の張り付いた知識として浮かび上がってくる。
それは、「聴き込む快感」とでもいうべき瞬間である。脳内シナプスが結合して、なにかが発火する感覚に近いものである。

クロシングの背景理論は、「Bisociation」という概念である。
Bisociation は創造研究の大家アーサー・ケストラーが提唱したもので、日本語では二元結合、異相連結などと訳されている。

  • あらゆる創造活動は、互いに独立した二種類の思考母体が交差する所で生まれる。
  • 創造とは、ある事実・アイデア・理論・技術等を別の思考母体に転換し、これまで結びつけられなかった他のものと結合させることである。

クロシングという名称の由来でもある「思考の交差」という概念は、Bisociation をヒントにして考え出したものである。
「思考の交差」は、二種類に限らず、もっと数が多い=未知の数「X」の方がふさわしい。「X」という字型イメージと交差点の英語表現から、名称を「クロシング」とした。


私たちは、当初「思考の交差」を単純に、ジャンルの異なる二つ以上の講演を聞くことだと考えていたたが、一年間やってみると、ひとつの講演を聴き込むことで生まれることの方が多いのかもしれないと思うようになった。

ひとつの講演から得られる感想や印象は人によってさまざまである。でも、その違いを含めて、いや違いがあるがゆえに、私たちは周囲の人々と深く理解しあうことができる。
つまり、ひとつの講演を聴き込むことで生まれる「思考の交差」が、他者のそれと響き合うことで、多様な視点が共有できる。

「同じ講演を視聴していても、受け止め方はこうも広がるものなのですね。新鮮な驚きでした。」

こういうコメントが、ディスカッションルームには、毎月のように書き込まれる。
いまや、手垢が染みついた言葉になりつつあるが、ダイバーシティという言葉は、本来はこういう意味であったはずだ。

良い本を「読み込む」ように、良い講演を「聴き込む」。
良い講演を「聴き込む」ことで得られる快感は、私たちに喜びを与えてくれる。
その喜びは、誰かに語りかけたいという衝動へと、私たちを誘う。

クロシングを通して、そういう講演の楽しみ方がもっと広まって欲しいと思う。

城取 一成(しろとり・かずなり)
  • 慶應丸の内シティキャンパス ゼネラルマネジャー

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