KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ピックアップレポート

2019年02月12日

小林 喜一郎「戦略論の新たな潮流」

小林 喜一郎
慶應義塾大学大学院経営管理研究科・ビジネススクール教授

序:変化の時代と新たな戦略理論

近年、企業経営を取り巻く環境は激変している。これを受け実務の世界及び学会でも取り上げられている4つの経営戦略課題と、それに対応する新たな戦略理論を考察していきたい。経営戦略課題とは、1)持続可能性(Sustainability)、2)グローバリゼーション、3)デジタライゼーションの全産業への波及、4)変化とスピード時代の新たな経営管理論、の4つである。

企業戦略上の課題   新たな戦略論
持続可能性経営(Sustainability) 共通価値の戦略1
グローバル化(Glibalization) リバース・イノベーション2
ICT革命の全産業への波及 モノのインターネット(Internet of Things)3,4
変化とスピード経営 経営管理イノベーション(俊敏な現場組織)5

1:持続可能性(Sustainability)と企業戦略

新興国の人口急増、環境破壊、経済格差の拡大、労働問題、エネルギー問題、先進国での高齢化等の社会問題が、持続可能性(Sustainability)という課題を提起している。これに対し戦略研究者も新理論を展開している。例えばポーター&クラマー1(2011)はCSR(企業の社会的責任)を戦略レベルにまで発展させたCSV(共通価値の創造)概念を提唱、利潤最大化という営利目標と社会への貢献目標をトレードオフなく両立させるべきであり、その行為こそが企業の長期的優位性につながると主張している。

資本市場に目を向けてもESG投資が今や運用機関の一つな重要な基準となっており、業界リーダーを目指す企業にとって社会課題への取り組みによる利益創出は企業戦略上、避けて通れない流れになりつつあるようだ。実際、P&G、ブリヂストン、三菱商事、キリン、キヤノンといったグローバル・リーダー企業は、その表現はまちまちながら、CSV概念を戦略の中核に取り入れ、持続可能性戦略を推進している。

グローバル企業を中心にこの戦略コンセプトが広まっている理由は、今後の世界市場の中核的存在である新興市場の取り込みにはこの概念が欠かせないためである。新興国ではインフラその他の社会資本や経営資源が不十分であるがゆえに、地域社会の問題を解決しながら地道に事業を築き上げていく努力と忍耐力(投資の物差しを変える)が必要である。実際ユニリーバ・インドが政府やNPOと協力して、公衆衛生概念を普及させながらインド農村地帯へ自社製品を展開している。こうしたCSV推進は、次に述べる「リーバース・イノベーション」と大きなつながりがある。

2:グローバリゼーション新時代:新興国が主役に

2番目に挙げられるのは、新興国が新たにイノベーション発生の中心地になりつつあるという事実である。これは新興国で技術革新が起きているという意味ではない。技術がない、資本がない、人がいない、といった社会資本上の制約がありながら、また先進国ほどの購買力もない顧客層に対して、どのようにして製品・サービスを提供するか、という限界状況下で起こるビジネス・モデル・イノベーションの話である。

リバース・イノベーション2(ゴビンダラジャン&トリンブル,2012)という概念がその実態をよく示している。彼らはその著書で、「かつてのイノベーション論は先進国で開発されたものがやがて新興諸国へ浸透していく経路が主流であったが、昨今は新興諸国の大きな需要がイノベーション創造を刺激し、これがひいては先進国に逆流してくるという現象が増えている(2p.6)」と主張する。実際新興市場の立ち上がりに歩調を合わせるかのように、新興国発のローカル企業が国内市場を掘り起こし、その余勢を駆って先進国の低価格ニーズセグメントに当初参入した後で徐々にその市場地位を確立、気が付けばグローバル巨大企業になっていたという例も珍しくない。ハイアール(家電)、セメックス(セメント)、華為技術(通信機器)などがその良い例であろう。コスト・パフォーマンスに優れたシンプルな製品群は、先進国でも十分な需要があるのだ。

新興国発グローバル企業の台頭は、先進国企業にも多くの教訓をもたらす。まず将来性のある新興市場を掘り起こすには、先進国人材よりもむしろ優秀なローカル人材に任せることが不可欠である。経営管理の国際化が求められることに他ならない。換言するなら、現場のみならず本社経営人材の多国籍化や処遇の世界共通化が緊急課題となり、特に日本企業の不得意なところである。製品開発・コスト管理・人材管理など、従来の先進国の慣例に囚われない新たな経営管理手法をもって、現地に即したイノベーションを起こすことがリバース・イノベーションでは求められるため、現地へのエース級の人材投入、現地の優秀な人材の経営層への登用、さらにはゴビンダラジャンらも指摘するR&Dなど経営中枢機能の移転3(2012.p.74)が必要となるだろう。

3:デジタライゼーションの全産業への波及とIoT(モノのインターネット)3,4

3番目の大きな環境変化は、情報通信技術(ICT)の全産業への波及という現象である。90年代に始まったインターネット革命は、これまでは主としてソフトウェア・流通・サービス業界において、新たなビジネス・モデルを生み出すことに成功してきた。代表的企業として、Amazonや楽天などのeコマース企業、Googleなどのインターネット情報サービス企業、FacebookなどのSNS、MicrosoftやIBMなどのソフトウェア開発企業が挙げられる。しかし近年ではこれらネット企業にとどまらず、インターネット・センサー・大量データ解析アルゴリズム・AIを活用し、製造企業が大きく変わろうとしている。

ポーターとへプルマン3(2015)は「接続機能を持つスマート機器が従来の製造業のビジネスモデルならびに競争構造を変えつつあり、これに合わせて社内の体制も変えなければならない」と主張する。企業はもはやハードウェアの提供のみでは持続的優位性を築くには至らず、製品を提供を受けた顧客がそれを使うことでいかに自己のパフォーマンスを改善できたかに、その存在価値が移っていく。「モノ」から「コト」へという流れの変化である。その結果、社内における製品開発方法、営業手法、もすべて変わらねばならないと言う3

コマツでは従来のコムトラックスによる遠隔監視とメンテナンスの最適化に加えて、最近ではドローンを使った測量システム等を投入し、スマート・コンストラクションと称し工期短縮にICTとアルゴリズムを使って顧客をサポートしている。自動車各社が自動運転システム開発にしのぎを削り、ICT企業と提携を始めているのも全て「モノ作りだけではダメで情報分析とそれによる制御」をリードできる企業だけが、今後の製造業で生き残れることを理解しているからに他ならない。

デジタル化の本質は「個」(pesonalaization)と「結果」(performance)の2つだ。BtoBであれBtoCであれ、最終的に求められる結果は各人・各企業により異なる。結果とは例えば「体重を減らしたい」「燃費を削減したい」など具体的な成果指標を示す。「結果をいかに出すか」が今後の企業に求められる最も重要な機能となる。すなわち、データ解析により最終的に個の属性に応じた対応ができること、顧客の成果指標を充たすこと、がデジタル化時代の企業の中核的使命となる。ハードウェア企業でも、医薬品産業でも、ソフトウェア企業でも、金融業でも、すべてこの流れは同じである。

4:変化とスピードの時代の現場組織の経営管理

現在企業を取り巻く変化のスピードはかつての比ではない。まさに組織として「変化とスピード」にいかに迅速かつ適切に対応できるかが、企業の優位性に直結する。現場で起きている変化に、いちいちトップまで指示を仰いでいたのでは、とても間に合わない。トップはトップにしかできない仕事、例えば全社的資源配分やM&Aや仕組みの構築に集中し、一方で現場が臨機応変に戦略意思決定をできる仕組みがなければ、この時代に生き残っていくことはできないであろう。

ゲーリー・ハメル&ビル・ブリーン5(2008)の主張する経営管理イノベーションは、まさにその点を意識した新しい経営管理論である。彼らの考えを要約するならば、「組織内の情報の透明性を高めながら、現場が戦略的意思決定権限と情報へのアクセス権限を握り、変化する多様な状況に対し臨機応変な戦略意思決定ができるような内部の仕組みを作るべき」ということだ⁵。これは「戦略的現場能力」と名付けることもできるだろう。例えばGoogleでも、開発の現場がフラットな環境で議論を尽くしながら新たなICTサービスを開発していく仕組みを持っており、まさにこの組織形態を体現する良い事例であろう。

戦略的現場能力の開発、その実施の為の意思決定権限の現場化と情報の透明化・共有化は、スピードと変化に特徴づけられた今日の経営環境にとって必然の経営管理の考え方ではないだろうか。
以上、今日の経営戦略課題に対応する戦略論の新たな4つの潮流について概観した。

 

参考・引用論文および文献
1『共通価値の戦略』マイケル E. ポーター&マーク R. クラマー著(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2011年6月 pp6-30)
2『リバース・イノベーション』ビジャイ・ゴビンダラジャン&クリス・トリンブル著(渡部典子訳、小林喜一郎解説、ダイヤモンド社、2012年 pp6-30)
3『IoT時代の競争戦略』マイケル・E・ポーター&ジェームズ・E・ヘプルマン著(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2015年4月 pp38-69)
4『GEが目指すインダストリアル・インターネット』マルコ・イアンシーニ&カリム・R・ラカニー著(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2015年4月 p.72)
5『経営の未来』ゲイリー・ハメル&ビル・ブリーン著(藤井清美訳、日本経済新聞社、2008年)
6『ネクスト・マーケット』C.K.プラハラード著(スカイライト コンサルティング訳、英治出版、2010年 pp339-411)

小林喜一郎(こばやし・きいちろう)
小林喜一郎

  • 慶應義塾大学大学院ビジネススクール教授
1980年慶應義塾大学経済学部卒業。三越に入社し87年まで経営計画室・人事部に所属。1989年慶應義塾大学経営学修士(MBA)。その後1993年まで三菱総合研究所経営コンサルティング部主任研究員として、上場企業を中心に経営コンサルティング活動に従事。1996年慶應義塾大学より博士(経営学)を取得。1997年にハーバード・ビジネス・スクールに訪問研究員として留学。2000年慶應義塾大学ビジネススクール助教授、2006年教授。この間2001年から2006年までフランスのランス・マネジメント・スクールの訪問教授も務める。日本電産元社外監査役、NECフィールディング元社外取締役、エイベックスホールディングス社元外取締役。専門は企業戦略論、組織戦略論。
慶應MCC担当プログラム
メルマガ
登録

メルマガ
登録