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飯田 泰之「歴史から「貨幣(マネー)とは何か」を考える意義と意味」

2019年09月10日

飯田 泰之
明治大学政治経済学部准教授

ヤップ島は西太平洋上、グアムとパラオの中間に位置する陸地面積100㎢、人口1万人の群島である。その名を石貨の島として記憶している者も多いだろう。その形状は円形で、中央に運搬の際に丸太を通したと思われる孔をもつ。大きさは直径30cmから3m、重さ5tにまでおよぶものもある世界最大の貨幣である。

ここまで大きく重い貨幣を持ち歩くことはできない。そのため、通常、石貨そのものの移動なく取引が行われることがある。路上に置かれたまま、海中に沈んだままの状態で、その「所有権」の移転によってその取引が行われるのだ。ケインズがその合理性を高く評価し、後にも多くの経済学者が言及したことで有名になったこの取引慣行――現実の貨幣を引き渡すのではなく、その所有権のみを移転させるという取引方法は現代ではごくありふれたものだ。

ヤップ島での石貨取引を成立させていたもの、つまりはヤップ島において「石貨」が貨幣として振る舞うことを可能にしていたものは何か。その用途が特別な取引に限定されていた点は注目に値する。少ない人口(日本統治時代の人口資料では3000人程度)の中で、土地の取引や冠婚葬祭といった大口契約の件数は多くない。すると、少なくとも当事者とその周囲にとっては、「丘の麓の中くらいの大きさの石貨」が「誰の手に渡ったのか」を記憶するのは難しいことではないだろう。全ての取引の記録を知っている人がいなくとも、周囲で起きた石貨取引の記憶を各人が持ち、その部分的な取引記録(記憶)の重なり合いによって、島民たちの記憶の中に島全体の「石貨所有台帳」がつくられていく。そこに中央記録所のような管理システムは存在しない。

今あらためてヤップ島の石貨が注目されるのは、その仕組みがビットコインに代表される暗号通貨(クリプトカレンシー)に重なる部分があるためだ。ブロックチェーン技術を利用した電子・暗号通貨の流通は、それぞれの取引(送金・受取等)が正当なものであるかを他の参加者に確認してもらうことで進められる。中央集権型の取引記録管理システムなしに、他の誰かの承認によって取引の正当性が確認され、その取引自体が過去取引記録としてデータ化されていくというプロセスが、人々の記憶の重なりによって貨幣としての機能をもった石貨のシステムとよく似ているというわけだ。

もっとも、この共通性を持って石貨が21世紀を先取りする進歩的な仕組みであったと評するつもりは全くない。より洗練された決済システムを持っていた過去の文明・文化はいくらでもある。注目されるべきは、石貨そのものではなく、貨幣を貨幣として存立させている論理に、時間・空間を超えた共通部分があるという点だ。そして、その共通の論理の中に、時に貨幣の本質に迫る「何か」が含まれているのではないだろうか。

「貨幣としての機能」を担ってきた、または担いうる様々な商品、債券、契約の背後にある論理は何なのだろう。歴史的な事例から、この課題への考察を試みる必要がある。求められるのは経済学による歴史的事例の解釈ではなく、歴史的な事例による経済論理の抽出が必要だ。ごく単純化するならば、「通常の実証分析における数量データ」の代わりに「歴史的事例」を用いた「実証分析」が求められていると考えられる。

実証分析におけるデータの役割は、その観察から1)共通事項をくみ上げて理論モデルを作る、2)理論・仮説の妥当性を検証する――の二つに大別される。しかし、データを計量経済学的に整理することを通じて行われる通常の実証分析には限界がある。

ある程度のまとまった数量データは、早いものでも19世紀、多くの分野で20世紀後半以降しか入手できない。例えば、景気循環における貨幣の役割を考えるといったテーマであれば、定番の計量経済学的手法の有用性は高い。戦後に限定しても、日本は十数回の景気拡大・縮小を経験しており、その統計的な性質を知ることには大きな意義があるだろう。しかし、制度や慣習の転換を考える、または制度・慣習の根拠を探るといった場合には事情が大いに異なる。過去半世紀の日本経済において、貨幣の制度的な転換が行われたのはせいぜい1回(固定相場制から変動相場制への移行)だ。これでは統計的に依拠しうる結論を得ることはむつかしいだろう。

データ数の不足以上に根本的な問題は、制度的・慣習的存在の一回性である。例えば、古代律令制期の銭(和同開珎など)と江戸期の主要銭貨である寛永通宝を用いて貨幣一般について考えるとき。両者は共通点を持ちつつも、それらが全く異なる経緯と論理に支えられている。類似の状況から繰り返し生み出されるデータを用いて因果や相関を導くという手法は、同一の制度や慣習が継続する中でこそ高い有用性を持つ。一方で、制度や慣習そのものについて考える場合、むしろ注目すべきは、同じものとして繰り返されることのない歴史の性質を踏まえて展開されてきた歴史学の成果であろう。

実証分析的な共通性の活用、歴史の持つ一回性の重視という観点の双方を行き来しながら貨幣について考えるとき。そのフィールドとして我が国の貨幣史は実に豊富な材料を提供してくれる。日本において、東アジアで最初の銀貨が流通したこと、中国に次いで政府が公的に鋳造する貨幣(銭)がつくられたこと。古代に限定しても、日本における貨幣の足跡は、それがいつ民間によって受け入れられて流通貨幣となるのか(ならないか)を考える貴重な材料を提供してくれる。

先進各国でもはや常態化したといってよい超低金利状態、暗号通貨(クリプトカレンシー)の興隆によって今私たちは「貨幣制度そのものの転換」の可能性に直面している。まさに一回性のある事象に直面しつつある中で、あらためて日本貨幣史と経済理論を合わせて考察する好機が訪れているのではないだろうか。

 

日本史に学ぶマネーの論理』(飯田泰之著、PHP研究所)の「はじめに」を著者による編集を経て掲載。無断転載を禁じます。

日本史に学ぶマネーの論理
著:飯田 泰之; 出版社:PHP研究所 ; 発行年月:2019年5月; 本体価格:1,600円(税抜)
飯田 泰之(いいだ・やすゆき)
飯田 泰之

1975年生まれ、東京大学経済学部卒業、同大学大学院博士課程単位取得後、駒澤大学准教授を経て、2013年より明治大学政治経済学部准教授。この間、内閣府経済社会総合研究所客員教授研究員、財務省財務総合政策研究所客員研究員を務める。現在、内閣府規制改革推進会議委員として活躍中。

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