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ピックアップレポート

2020年10月13日

小田嶋 隆『コラムの切り口』

小田嶋 隆
コラムニスト

まえがき

この20年ほどの間に執筆した原稿は、書きかけのものから中途で投げ出した断片も含めて、すべて、クラウド(←雲)上に保管している。クラウドとは、インターネット回線に仮設されている記憶領域のこと。私は、いくつかの企業が運営するクラウドサービスと契約している。まるで雲をつかむような話なのだが、じっさい、データの保管場所として最も信頼できるのは、架空の領域なのである。
半世紀とはなんと、あっという間のことだろう。

本書は、その雲の上に積み上げられたあれやこれやの半端仕事を再構成したものだ・・・・・・という言い方は良くない。誤解を招く。ご近所の奥様方が不用品を持ち寄って開催するバザーのようでもあれば、ゆうべのハンバーグをもう一回煮込んで弁当のおかずに仕立て上げた間に合わせのミートボールみたいでもある。どっちにしてもケチくさい。

違う。本書はそういういいかげんなものではない。ミシマ社の優秀なスタッフが、オダジマの20年間の全仕事の中から最上級のテキストを厳選して、丁寧にホコリを払った上で、テーマ別に陳列展示したリミックス版のコラム集がすなわちいまあなたが手にとっているこの本なのである。

章ごとのテーマは、2012年にミシマ社から刊行した拙著『小田嶋隆のコラム道』の中で、私が「コラムの書き方」として提示したメソッドをほとんどそのまま持ってきている。ということはつまり、本書は、「小田嶋隆のコラム道・実践編」ないしは「書き方から学ぶコラム執筆のABC」とも言うべき実例集としての機能を備えたサブ・テキストでもある。
もちろん、通常のコラム集として読むことも可能だ。
いずれにせよ、執筆者の意図や技巧を軸に、書く側の視点からコラムの種明かしをした書籍は、これまでに本邦では出版されていなかったものだと自負している。

一読すればわかることだが、本書に集成されたコラムは、章ごとに手触りも読後感もまるで違っている。バラけていると申し上げても良い。とはいえ、本書の作風が醸している統一感の欠如は、そのままコラムという形式の懐の深さの証明でもある。

各章の冒頭に、簡単な解説を付してある。
また、各コラムの初出の出典と執筆時期は、それぞれページの末尾に付記している。
読者の皆さんが、本書をご自身のコラム執筆のテキストとして利用してくれるのであれば、著者としてこれ以上の喜びはない。あるいは、食後の消化促進に、運動後の疲労回復のために、でなければ受験勉強の合間の避難先として適宜利用してくださっても良い。三冊ほど重ねれば、枕にもなる。ぜひ、お役に立ててほしい。

第5章

裏を見る眼

あるタイプのコラムは「視点」の置き場所を発見できれば、それだけで完成に持っていくことができる。ついでにタネを明かせば「視点」の構文は「If~then(もしも~だったら)」でできあがっている。「もしもフーテンの寅が女性だったら」「もしも外科医のアルバイトが板前だったら」。設定は突飛なほうが良いかもしれない。奇天烈な設定をもっともらしく着地させる技巧が、すなわちコラムだと言っても良い。ウソだが。

医学部入試

順天堂大学が医学部医学科の入試で女子や浪人生に一律不利な扱いをしていた旨を認め、その不適切入試の経緯を説明するべく記者会見を開いた。
会見の中で新井一学長は、小論文、面接試験の点数(1.0~5.4点)で合否を決める際の基準点について、女子を男子より0.5点高くしていたという、不可解な説明をしている。要するに、女子は男子より高い点数を取らないと合格できなかったわけで、実質的には一律に減点していたことになる。

女子の受験生に不利な合否判定を採用していた理由について、大学側は、
「大学受験時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い傾向にあり、判定の公平性を確保するために男女間の差を補正したつもりだった」
というさらに奇妙奇天烈な解説を展開している。つまり「能力が高いことを理由に減点」していたわけで、入学試験の意義の完全否定に聞こえる。こんなバカな話があるだろうか。
百歩譲って、入試時点の成熟度に男女差があるという大学側の説明をそのまま認めるのだとしても、そんなことが入試の公平性を放棄して良い理由になるはずもない。当たり前の話だ。
それに、性別で合否に差をつけるのであれば、その旨を受験生に対してあらかじめ告知の前提だ。

かくのごとく、順大の会見は、一から十までお粗末だったわけなのだが、それにしても不思議なのは、彼らが、なんでまたこれほどまでに稚拙な弁解を並べなければならなかったのかだ。
普通に考えれば、誰にでもわかることだが、順大が性別によって合否の判定基準に差をつけたのは、男子学生をより多く確保したかったからだ。その理由も、多くの現役の医師が異口同音に指摘している通り、必ずしも女性蔑視や差別意識ではない。むしろ経営的な判断によるものだ。

どういうことなのかというと、医学部医学科出身の医師を雇用することになる大学病院にとって、妊婦や出産を理由に予測不能の職場離脱をするリスクのある女性医師の増加は、ただでさえ過酷な医療現場の人員配置シフトを、より危険な状況に追い込むということだ。結局のところ、慢性的な医師不足に苦しむ大学病院は、過酷な勤務に耐え得る若い独身の男性医師を求めているのである。
これはこれで、現場の声として切実なものだと思う。順大は、なぜこの本当の理由を言わなかったのだろう。
あるいは、彼らは、本当のことを言ってしまうと、大学病院の勤務実態が若い独身の医師たちの過酷なブラック労働で支えられていることを公然化する結果になると考えて、そのことをむしろ恐れたのではなかろうか。

個人的には、大学病院のブラック労働実態を認めることになるのだとしても、「女子はコミュ力が高いから減点」みたいな女性差別にしか聞こえない弁解を並べるよりはずっとマシだったと思うのだが、順大や東京医大のような大学病院をかかえる医大は、それでもなお現実を直視しない。
もしかして、彼らがあえて女性差別の汚名を着てまで、医療現場のブラック労働実態を隠蔽せんとしているのは、医大の意思であるよりは、厚生労働省や医師会の使嗾によるものなのであろうか。だとすると、闇はさらに絶望的に深いわけだが。
(「日経ビジネス」2018年12月)

 

コラムの切り口』(小田嶋 隆著、ミシマ社)から「はじめに」と「第5章」序文および「医学分入試」を、著者・出版社の許可を得て抜粋・掲載しました。無断転載を禁じます。

コラムの切り口
著:小田嶋 隆 ; 出版社:ミシマ社; 発行年月:2020年3月; 本体価格:1,500円(税抜)
小田嶋 隆(おだじま・たかし)
  • コラムニスト
1956年、東京都北区赤羽生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、味の素ゼネラルフーヅに入社したが数ヶ月で退社。その後小学校事務員見習い、ラジオ局AD、ロックバンド座付き作詞家、テクニカルライターなどの職を転々とする。
1988年、コラム集『我が心はICにあらず』で人気を博してから、コンピュータ、テレビ、サッカーから学歴社会、憲法9条、資本主義まで、大小の事象に対し独自の極辛批評を展開。
現代社会への意地悪な視点と容赦ない分析力、それを爆笑とともに表現する圧倒的筆力で幅広い層の支持を集めている。
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