ピックアップレポート
2020年11月10日
余田 拓郎『アクティブ・ラーニングのための マーケティング・ショートケース』
イントロダクション ― ショートケースでの学び方
ケースメソッドによる教育は、ビジネススクールはもとより企業セミナーや研修、さらには大学教育でも広く普及してきた。企業環境が大きく変化する中、「考える」ことがますます重要になっていることの結果だろう。
ケースメソッドは、考えることに主眼を置いた教育手法である。受講者は、個人研究(予習)、グループ討議、クラス討議の3段階を通じて与えられたケース教材に沿って、多面的に分析し、課題を明らかにし、意思決定を行うのである。もちろん、こういったプロセスは有価証券報告書や雑誌記事などによる資料集によっても可能である。あるいは、企業のOJT(On the Job Training)も同じような効果が期待できるだろう。ケースメソッドでは予習と授業がおおむね6時間ワンセットになっており、コンパクトに凝縮されているところにその特長がある。その結果、一日に2ケース、1週間に10ケースといった具合に回数を重ねて、分析や意思決定のトレーニングが可能になるのである。
ケースメソッドで重要なことは、クラス討議やグループ討議を実りあるものにするための個人予習である。理想的には1ケースあたり3時間程度の予習が欠かせない。ビジネススクールや企業などで1日の授業・研修を行う場合は、通常、2ケースを使用することになるが、そうなると前日までに6時間の予習時間を確保することが必要である。会社に勤務しながらこういった時間をとることは容易ではないし、ビジネススクールの学生や大学生であってもある程度の負荷は避けられないものとなる。ましてや、ケース教育になれてない受講生であれば、さらに負荷がかかることになる。
筆者は、所属する慶應ビジネススクールなどで20年以上ケースメソッド教育に携わってきた。その間ケースメソッド教育の有用性を肌で感じてきたのであるが、一方、さらに短時間の予習で実りのある研修や授業が行えないかという思いをもっていた。企業研修などでは、日常業務の合間に研修が行われることが多く、どうしても個人予習がおろそかになりがちである。予習が不十分だと、当然のこととして深い議論は期待できないし、また、ケースの事実関係を確認するだけに時間を費やすことになってしまう。
ショートケースに注目するきっかけとなったのは、われわれの恩師でもある嶋口充輝先生(慶應義塾大学名誉教授)のケース授業への参加であった。嶋口先生は、本章でも掲載させて頂く「ある日の午後の喫茶店風景」や、あるいは「片岡物産株式会社」などのショートケースを使用して、活発なクラス討議を引き出されていた。これらのケースはたかだか2ページのケースなのだが、ディスカッションの深みといえば10ページ、20ページの長いケースに引けをとらない。2時間でも3時間でも議論を続けることが可能である。
しかしながら、このケースに必要な予習といえば、およそ30分もあれば十分なのである。30分程度であれば、授業や研修中に配布して、その場で個人予習することも可能だろう。慶應ビジネススクールには、2,500点を超えるケース教材が登録されている。この中には、日本が世界に誇るカンバン方式(トヨタ自動車)やコンビニエンス・ストア(セブン-イレブンジャパン)のケース、あるいはAmazonやGoogleといった最先端をいくグローバル企業などあらゆる領域に膨大な数のケース教材が登録されている。しかし、その中で最も使用頻度が高いのが、これらのショートケースである。そして、慶應ビジネススクールでは入学と同時に行われる合宿やセミナーのオリエンテーションなどで現在も使用され続けているのである。
われわれは、この喫茶店のケースと同じようなショートケースで、授業や研修をより効率的に進められないものだろうか、という共通の問題意識とともに本書の執筆に取りかかった。
ケース教材は、ある時代の、ある国の、ある産業の、ある企業の事例でしかない。よって、扱われた企業事例をそのまま横展開すればよいということでは決してない。必要なことは、ケースの事例に沿って「考える」ことを通じて、将来受講生がおかれた環境で質の高い意思決定ができるようにすることである。そして、そのための考える力を身につけ、その上で一般化する能力を高めていくことが期待される。
そのように考えるならば、海外のケースであっても、あるいは古いケースであっても、さらには年代や企業名などが偽装されていたとしても、なんら関係のないことである。しかしながら、受講生からすれば、ケースが古すぎて現代に当てはまるとは到底思われない、あるいは生産財のマーケティングを学びたいのに、消費財の教材から何が学び取れるというのか、といった不満がしばしば寄せられる。それによってケースへの関心が薄れ、予習などの取り組みに支障があるようでは本末転倒である。この問題に対して講師がすべきことは、ケースメソッドの目的を事前にしっかりと説明するとともに、当該ケースで何を取り上げたいのかについて補足説明することが重要である。
一方、授業や研修のまとめとして、講義や当該企業のその後について補足することも、ケースメソッドの本来の目的を考えれば必ずしも必要はない。ただし、短期間のセミナーや研修では、クラス討議で議論されなかったイシューを補足したり、あるいは、分析のために必要なツールやフレームワークを説明したりすることは有益だろう。取り上げた企業のその後についても、おそらく受講生は関心があるだろうから、説明を加えておく方が満足度は高まる。
本書の活用方法
本書で取り上げるケースについて、主たるディスカッションポイントと関連するイシューを一覧表に示したものが巻頭に添付した図表(※本書4-5P)である。授業や研修で議論したいテーマにそって、本書のケース教材が選べるように配慮した。マーケティングは企業環境への対応として戦略や活動が検討されなければならないため、4つの環境領域、つまり顧客対応、競争対応、取引対応、組織対応に分けてある。
ケース教材は、ディスカッションポイントが多様である点に特徴がある。たとえば、このケースは概ねプロモーションの議論をしたい、このケースは価格付け(プライシング)のケースだ、といったねらいはあるのだが、実際の授業や研修においては、受講生の関心に重点が置かれるため、プロモーションに限らずセグメンテーションやプライシングなど関連するイシューにも議論が拡がりうる。また、それもケースメソッドの良い点である。
本書で取り上げるケースは、通常のショートケース(中級編)に加え、ケースに初めて接する学生や受講生を想定した初級編、また、より多くの情報を盛り込み少し長めの構成とした応用編の3つのレベルで構成されている。それぞれのケースには巻末もしくは各ケースの末尾に予習しやすいよう設問をもうけてある。設問は、クラス討議で取り上げる内容としてというよりは、一人で予習する際に取っかかりやすいようにもうけている。
受講生はこの設問に対する解答を準備しておくのはもちろんだが、自分なりに課題を設定し、それに対する分析や意思決定を考えておくのも重要な視点となる。設問だけに答えるような予習は、視野を狭めてしまうことから決して好ましくないことには留意が必要である。したがって、受講生がケースに慣れてくれば、巻末の設問を提示すること(みること)なく、予習~討議に臨むのも大いに推奨される。
本書の活用フローを図表(※本書17P)に示す。このフローは、討論形式での授業を想定しているが、グループごとの発表形式でも違いはない。ただし、ショートケースでは提示されている情報が限られているので、自ずと発表内容や時間は限られたものになる。発表形式の場合、ケースに含まれる情報が多い方が発表内容も充実するため、本書では応用ケースをもうけてある。応用ケースもクラス討議を想定したものではあるが、発表形式もとれるよう若干長めのショートケースとしている。
収録ケース
1. 山田太郎氏,豆腐屋を継ぐ
2. エアークローゼット
3. 富士フイルム「チェキ」
4. カーブス
5. 宗次(むねつぐ)ホール
6. 大和証券
7. まいあめ
8-1. 海水浴場に海の家を出店する(A)
8-2. 海水浴場に海の家を出店する(B)
9. 相模屋食料
10. ミツカン
11. アスクル
12. 寺田倉庫「minikura(ミニクラ)」
13. エスエス製薬「ハイチオールC」
14. オフィスグリコ
15. カジタク「家事玄人(カジクラウド)」
16. フランスベッドネット販売課
17. セブン-イレブン・ジャパン
18. ザ・リッツ・カールトン大阪
19. バーミキュラ
20. 可児市文化創造センターala(アーラ)
21. キーエンス
『アクティブ・ラーニングのための マーケティング・ショートケース』(余田 拓郎 共著、中央経済社)から「イントロダクション」を、著者の許可を得て抜粋・掲載しました。無断転載を禁じます。
余田 拓郎(よだ・たくろう)
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 委員長 兼 教授
慶應義塾大学ビジネス・スクール 校長 兼 教授
慶應MCC担当プログラム
ビジネスプロフェッショナルのマーケティング戦略
BtoBマーケティング
1984年 東京大学工学部電気工学科卒業。住友電気工業株式会社を経て、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了(MBA)、同大学大学院経営管理研究科後期博士課程修了。経営学博士。
1998年名古屋市立大学経済学部専任講師。同助教授を経て、2002年より慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授。2007年4月より同教授。
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