ピックアップレポート
2022年10月11日
槇文彦と慶應義塾 II:建築のあいだをデザインする
慶應義塾大学アート・センター所管資料と研究成果を公開するアーカイヴ資料展の23回目を迎える今回は、「槇文彦と慶應義塾 II:建築のあいだをデザインする」と題して、国際的にも高い評価を得ている建築家・槇文彦(1928-)が、慶應義塾においてデザインした湘南藤沢キャンパス(以下SFC)を取り上げます。
槇文彦は慶應義塾大学で学び、東大の丹下健三(1913-2005)研究室を経てアメリカへ渡りました。クランブルック美術学院、ハーバード大学大学院修士課程を修了したのち、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルに職を得、1年後にハーバード大学時代の恩師の設計事務所であるセルト・ジャクソン建築設計事務所に入所しました。アメリカを中心として活動するかたわら、国際的にアーバニズムの動きに直接参加しています。1958-1960年にアジアや中近東・ヨーロッパを旅し、時間をかけて作り上げられた集落の姿から、建築物同士の関係性と、それが生み出す全体の効果に着目し、「集合体」の着想を得ました。1960年にはメタボリズムに参加し、大高正人とともにマニフェストの中で集合体のひとつの類型である「群造形(Group Form)」を提唱しています。建築が集まることで全体を構成する集合体の考え方は、1965年に帰国して槇総合計画事務所を設立し、多くの著名な建築物を設計していった槇にとって、重要なテーマであり続けました。
2020年度に開催された「槇文彦と慶應義塾 I:反響するモダニズム」では三田キャンパスの図書館と大学院校舎、そして日吉キャンパスの図書館をご紹介しました。しかし、すでに建築物が多数存在する既存のキャンパスに単独の建築物を作るのと、何もないところにゼロからキャンパス全体のマスタープランを描くことは全く別の構想と作業を必要とします。複数の建築物が同時に建設される必要があったSFCの設計に際して重要な要素は、やはり「集合体」という概念でした。かねてより槇は、建築群による「集合体」について意識し、研究を重ねてきていました。SFC設計の時点で《ヒルサイドテラス》(1969-1992)や《立正大学熊谷校舎》(1967, 1968)において部分的に集合体を意識した構成を試みており、それはSFCで一定の完成を見たということができるでしょう。ここで用いられたのは集合体の類型の中でも槇が注目していた「群造形」でした。群造形では、共通の因子がありながら微妙な差異をもった建築物が連関することにより、全体の建築群が構成されます。
SFCではグリッド状の幾何学的な建築物の配置にもかかわらず、地図上にははっきりと現れることのない自然の地形を利用しています。槇はこうした緩やかな起伏を「微地形」と呼び、何もないところから全体像を構成する際の起点としました。例えばSFCに特徴的なループ道路は微小な谷間をつなぎ合わせることによって得られています。またキャンパスの奥に進むに従って高くなっていく敷地も、可能な限りもとの地形を利用しており、それを全体の印象づけや、建築物ごとの機能の違いの視覚的表現としても利用しているのです。
そして特にSFCで重要なのが、建築物のない空間です。槇はこうした空間を外部空間と呼んでいますが、それはあるいは通路であり、大小さまざまな広場であり、緑化空間でもあります。槇はむしろ外部空間のあり方から建築群の配置を考え、ネットワーク化された通路が各種の広場、槇の言葉を借りればオープンスペースを結びつけ、各建築物へとアクセスするようにしました。それにより人々は交通し、たたずみ、人と出会うオープンスペースを中継地として建築物に出入りしたり、その内部を通ってまた外部空間に出たりと、建築物の内外部を貫通する流れが生まれます。この外部空間=オープンスペースが喚起する人の流れが、翻って建築物自体をも活性化するのです。
またこうした通路や広場といったオープンスペースと建築群は、人の動きだけでなく、身体と共に移動する視線にも配慮されています。キャンパス各所に見通しのよい軸を意図的に設けることによって眺望を確保しました。それにより解放感を与えると同時に、視線の移動距離を長く取ることによってさまざまな建築要素が連続的に展開します。つまりこうした軸空間では、身体的であると同時に視覚的にも空間体験の質の向上が図られているのです。より細かい通路や広場では、建築物だけでなく植栽をも利用して視界を遮る「空間のひだ」を設置しながら、部分的にピロティやガラスを利用することでその奥にも空間があることを示唆します。この処置により建築の外側である外部空間に、眺望と身体の移動によって移動した先に意味が生成されるという「奥」の思想が取り入れられたのです。ほかにも眺望の操作によって軸空間のようなパブリックな空間に対比される、プライベートな奥まった空間を必ず設けています。このように日本の伝統的な空間意識や、槇が都市に必要と考えるパブリック/プライベートの両立をも組み込むことで、SFCでは豊かな空間体験が提供されているのです。これらのことは、槇が SFCを田園の中の都市と見立てていたことに他なりません。今回の展示では、こうした建築の「あいだ」に注目し、写真や図面でSFCの空間を紐解いていきます。
この展示は2008年からアート・センターが取り組んでいる「慶應義塾の建築」プロジェクトの一環であり、「ユーザー・マインドの建築アーカイヴ」として慶應義塾内の建築について記録し、その記憶も含めてアーカイヴ化するプロジェクトの研究成果です。また、2022年3月には SFCにおいて「槇文彦アーカイブ」が発足し、槇文彦の建築世界に触れる機会をできるだけ多くの人々に提供することを目指しており、それに関連した寄附講座における学生の研究成果もあわせてご紹介します。この展覧会を通して、国際的にも高く評価されてきた槇文彦が、生涯をかけて探究してきた思想の一端に触れていただければ幸いです。普段何気なく利用している建築物に対する眼差しの意識化は、空間芸術である建築を味わうことに導いてくれるでしょう。
アート・アーカイヴ資料展XXIII 槇文彦と慶應義塾 II:建築のあいだをデザインする
- 会場:慶應義塾大学アート・スペース(三田キャンパス 南別館1階)
- 会期:10月3日(月)~12月16日(金)※土日祝休館
- 開館時間:11:00~18:00
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