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リーダーとマネジャー―リーダーシップの持論(素朴理論)と規範の探求―

2005年02月08日

金井壽宏 神戸大学大学院経営学研究科教授

I.はじめに
社会人になって20年以上も過ごし、課長や部長になるころには、他のひとの行動や発想にふれるを通じて、あるいは自分自身が直接くぐってきた経験を内省する機会を与えられれば、実務家なりのリーダーシップの(素人)理論をもっていても不思議ではない。もし「理論」というのが大げさならば、「持論」iと呼んでもいい。また、その持論にしたがって、どのような発想や行動をとれるひとならリーダーシップのある人物と呼ぶにふさわしいかについての規範(これを「リーダーシップの規範(norm for leadership)」と呼ぶ)が社会ごとに、あるいは会社ごとに(場合によっては部門ごとに)あるはずだ。実務家がもつリーダーシップの持論やリーダーシップの規範は通常は暗黙知だろうが、うまく議論を導いたりインタビューをしたりすれば、その存在を明らかにしうるはずである。


組織理論における構成概念(construct)の多くは、組織の日常においてその組織のなかで生活しているひと(社会科学者ではないという意味で「素人」)にもふつうに使用されている日常語である。「リーダーシップ」もまた(外来語ではあるが)そういう言葉のひとつである。研究者が厳密に(しかし、現実とのつながりはやや距離をおいて)構築した二次的構成概念(second-order construct)に対して、素人が日常的に(しかし、豊かな現実のなかで)使用する言葉を一次的構成概念(first-order construct)と呼ぶ。リーダーシップ論の閉塞状況を打破するには、ストッグディルのハンドブックとバスによるその改訂版iiを見て、その分厚さと7000もの先行研究の多さに嘆息するよりは、現実により密着した一次的構成概念に立ち戻った方がよいのではないか。
本稿では、会社のなかには必ず存在するマネジャー(管理者)と対比させながら、リーダーの人物像とリーダーシップ機能について、働く人びとがどのような考えをもっているのかについて、若干の文献レビューとあわせて、パイロット・データの分析を報告したい。
II.マネジャーと対比されるリーダー
II.1 ゼイレツニックの問題提起
マネジャーと対比することで、リーダーたる人物の特徴とリーダーシップの育成の問題について、最初に重要な貢献をしたのは、ハーバード大学のゼイレツニックであったiii。その基本的問いは、ふたつあった。同じ社会、会社のなかにマネジャーとリーダーはともに存在することができるか。同じ人間が同時にマネジャーであるとともにリーダーであることは可能なのか。このふたつの問いに対するゼイレツニックの答は、まったく不可能だというものではなかったが、マネジャーとリーダーとは種類において根本的に異なり、一方の育成に適した条件は他方の育成を害するという悲観的なものであった。ゼイレツニックがこのような問いを発したのは、現代の大規模企業は多かれ少なかれ官僚制化しているので、マネジャーの育成にはよいが、リーダーシップを発揮できるリーダーを育成するには、メンターとの濃密な一対一の関係が必要なのではないか、と主張したいからであった。
さて、ゼイレツニックによるマネジャーとリーダーの対比は、表1のように要約できるであろう。両者の相違は、パーソナリティの相違でもあり、したがってモティベーション、生育史、思考法・行動の仕方など広い範囲にわたっている。ここで注意すべきは、この対比は一次的構成概念として提示されているのではなく、研究者として彼自身がこのように対比してみればどうかという意味で、二次的構成概念として提唱されていることである。

表1 ゼイレツニックによるマネジャーとリーダーの対比
  マネジャー リーダー
全般的な特徴
  • 問題解決者
  • 問題創出者、企業家的人物
  • 目標に対する態度
  • 受動的とまでいかないまでも、没人格的な目標
  • バランスを重んじる(妥協も実際的には認める)
  • 相手に合わせる(対応する)というよりも、アイデアを創っていく
  • 仕事の捉え方
  • 他の人びとがやりやすくしていく過程(enabling process)として仕事を捉える
  • システムや機構を通じての解決を図る(たとえば、スローンのケタリング問題の解決
  • 他の人びとの選択余地を狭める(こうすればうまくいくという道筋を創る)
  • 継続的に調整とバランスを人びとの間にとることが必要と考えている
  • 情緒的な反応を抑制する。クールである
  • リスクをとって自分のアイデアをイメージ化していく
  • そのわくわくするイメージで人びとをエクサイトさせる(たとえば、ケネディの就任演説)
  • 長年の問題に新たなアプローチ法を求めて、新たなものの見方や選択の余地を広める、オープンにする
  • リスクをとり、危険にも向かっていくので、波風が立つものだ
  • 情緒面を表出する。怒りたいときには怒る
  • 他の人びととの関係
  • 単独の活動は好まず、他の人びととともに仕事するのを好む
  • そのくせ、他の人びとの思考や感情を直感的に受けとめる共感力や度量は欠く
  • 他の人びとを通じて「いかに」ことが成し遂げられるかを気にかける。ハウが鍵
  • TAT(課題統覚法)*で「バイオリンをもつ少年」の絵図に対して、他の人びととのつながり(たとえば、少年と両親やアメフト仲間との関係など)にふれる物語を作成することが多い
  • TATでも、熱い情緒的没頭は見られない
  • ひとりでリスクをもって決めなければならないことがあると承知している
  • それだけに、自分の考えたアイデアにはこだわるが、直感的かつ共感的に他の人びととかかわることをめざす
  • 他の人びとにとって、出来事や意思決定が「なにを」を意味するかを気にかける。ホワットが鍵
  • TAT(課題統覚法)*で「バイオリンをもつ少年」の絵図に対して、楽器そのものをマスターしたいという強烈な欲望にふれる物語を作成することが多い
  • TATでも、少年がバイオリンに対して、深い愛着や思い入れを持っていることが語られ、その物語は情緒的なシグナルとからみあっている
  • 自己の感覚
  • 所属感覚を大事にし、義務や責任の理想と調和する役割を果たす自己像をもっている
  • 分離感覚(自分は、他の人びとを含め環境から超然としているという感覚)をもち、組織で働いていても、組織に所属しきらない自己像をもっている
  • 育成のあり方
  • 社会化(socialization)を通じての育成
  • その社会化とは、安定した制度としての組織を誘導し、既存の人間関係のバランスを維持できるように、個人を組織になじませていくもの
  • 特定の個人にメンターとしてべったりつくよりも、もっと広範な人びとに対して、ほどほどの愛着をもつ(多対多の関係、および同輩関係)
  • 同輩関係(peer relation-ships)は、一方で「攻撃性」や「個人のイニシャティブ」を抑制し、他方では同輩間の競争やライバル関係を奨励する
  • メンターを通じての育成は必要とされない。あるいは、情緒的な表出を伴うメンターにはなじまない
  • 集団主義の文化、管理的な文化がなじむ
  • (先のバイオリンの例のような)個人的な熟達あるいはマスター感(personal mastery)を通じての育成
  • そのマスター感によって、その個人は、心理的な変化や社会的な変化に立ち向かう
  • 感受性豊かで直感的なメンターとの接触を通じて育成するしかない(一対一の関係、および同輩ではなく年上でより経験豊かなシニアのひととの関係)
  • シニアとの関係では、同輩との関係と違って、パワーに歴然とした差があるので、かえって信頼と情緒的なコミットメントがあれば、刃向かったり、対決(コンフロンテーション)したりもできる。対決できるということは、逆にいうと深い情緒の相互交流(emotional interchange)をもてるということで、そのことを通じて、攻めるべきときは攻め(攻撃性もポジティブに発揮でき)、既存の慣行を変えたり、新しいやり方を実験したり、さらには上司にも絶えず挑戦できるような人物が育つ(だから、通常メンターになりたがるひとが少ない―自分も挑戦されるし、情緒の表出や交換も伴うから)
  • メンターとの関係において、メンターの側にも、学ぶ側にも、強い情緒的没入が要請される
  • 個人主義の文化、企業家的な文化もしくはエリート主義がなじむ
  • 注:Zaleznik (1977)の記述より作成。ただし、もとの論文では必ずしもすべての項目について対照的な記述があるとは限らないので、そこを補っている。*TAT(Thematic Apperception Test、課題統覚法)とは、投影法による心理測定(診断)法で、曖昧で多義的な図柄を被験者に見せて、ストーリーを構成してもらって、それをコーディングし、解釈する方法のことをいう。

    II.2 二分法に対するケッツ・ド・ブリースの批判
    ゼイレツニックの所論におけるひとつの大きな問題点として、リーダーとマネジャーを相容れないものと悲観的に捉えすぎている点があげられる。この点について、ゼイレツニックの門下で共同研究者のケッツ・ド・ブリースは、今日の企業はあまり指導(リード)されずに、過剰に管理(マネージ)されているという反省に端を発するこの種の議論を、やや誇張して表2に見るように対比している。

    表2 ケッツ・ド・ブリースによるマネジャーとリーダーの対比
    マネジャー リーダー
  • 現在にこだわる
  • 将来に目を向ける傾向がある
  • 安定性に心を砕く
  • 変化に備えている
  • 短期的に考えがち*
  • 長期的にものを考える
  • ビジョンを欠き*、指図を受ける
  • ビジョンがあって、他の人びとを鼓舞する
  • 権限階層が権力基盤
  • カリスマ性が権力基盤
  • 「いかに」にこだわる
  • 「なぜ」を問題にする
  • 戦術、構造やシステムを重視
  • 企業哲学、根本価値、共通目的の重要性を認識
  • 視野がぼやけていて、ものごとを複雑にしてしまう*
  • 使命やビジョンを語るにあたって、ごく簡単な言葉を使う。鳥瞰図的な視点をもっていて、木を見て、なおかつ森も見ている
  • 他の人びとをコントロール(統制)する
  • 他の人びとをエンパワーする(力づける)
  • 論理にこだわる
  • 直観に頼る
  • 会社の利害がすべてになりがち*
  • 会社に関係しないことまで大きく考える
  • 注 Kets de Vries (1995), pp.7-8の記述より作成。ケッツ・ド・ブリースの真意は、このような二分法的対比を批判することであるので、この表の対比は、彼自身の考えというより、むしろ「当て馬(ストローマン)」であることに注意が必要である。*印を付けた項目は、マネジャーについてのネガティブな言明であるが、マネジャーを生け贄にしないことが彼の主張である。

    リーダーをマネジャーから際立たせることによってその特徴を捉える方便としてはこのような方法にも一定の意味があるが、すぐれた経営幹部には、両者が混在しているのが現実だと彼は指摘する。リーダーシップに付随する役割がふたつあり、表2のリーダーの側に近い役割が「カリスマ的な役割」で、マネジャーに近い役割が「用具的(インスツルメンタル)な役割」(あるいは「実施促進者としての役割」)であるというのが、ケッツ・ド・ブリースの主張である。このように両者が同居していると考える立場から、この種の対比についてはつぎのように警告する。

    ...マネジャーをビジネスの生け贄にする必要があるのだろうか。実際、それはフェアではないのではないだろうか。ある程度マネジャー的な資質をもたずには、有能なリーダーにはなれないことははっきりしている。そしてだれもがすばらしいリーダーになれるわけでもない。簡単に言えば、全員が将軍というような軍隊はありえないのである。物事を具体化する人間もまた必要なのだ。iv

    われわれもマネジャーと対比しながらリーダーのひととなりやリーダーシップ機能を議論していくが、この警告にしかるべき注意を払うべきだと考える。対比は、データ収集の方策として、また自分や観察した他者の行動の意味を内省するツールとして、理解されるべきだろう。
    注釈:
    i Argyris and Schon(1974)のいわゆる実践者が抱いている「使用中の理論(theory-in-use)」がここでいう持論に相当する。また、素朴の理論もしくは素人理論全般については、Furnhma(1988)を参照。
    ii Stogdill (1974); Bass (1990).
    iii Zaleznik (1977).
    iv Kets de Vries (1995), p.13.
    (『国民経済雑誌』第177巻第4号,1998年, 65-78より。全文はこちらから(PDF,140KB)ダウンロードしてご覧ください)

    金井壽宏 神戸大学大学院経営学研究科教授
    1978 年京都大学教育学部卒業、1980年神戸大学大学院経営学研究科博士前期課程修了。神戸大学の助手、講師を経て1994年同教授。Ph.D.(MIT)、博士(経営学)神戸大学。専門は経営管理、組織行動、キャリア、リーダーシップ、創造的な組織、ネットワーキング。

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