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2008年12月09日

「自己成長」の三つの方向性

諸富祥彦 明治大学文学部 教授

自分をいかにして、高めていくか。自分をいかにして、深めていくか。すなわち「自己成長」をいかにしてなしとげていくかは、人間一人一人にとっての永遠の課題といっていいものでしょう。この永遠の課題に、心理学はいかにして答えてきたでしょうか。ここでは、カウンセリング心理学の三つの基本的なアプローチを念頭に置いて考えてみることにしましょう。
カウンセリング心理学の第1のアプローチは、「過去から解放されるアプローチ」です。フロイトの精神分析が代表的なものですが、人間の悩み、苦しみやこころの症状は、一言で言えば「過去についた心の傷」へのとらわれから生じる、と考える立場です。この「過去についた心の傷」のことをトラウマ(心的外傷)といいますが、人間はなかなか、この「過去の心の傷」へのとらわれから脱却することができない。したがって、そのとらわれからの脱却をサポートする必要がある、とこの立場では考えるのです。


カウンセリング場面で語られるトラウマのうち、代表的なものが、「親から愛されなかった」という心のしこりです。この思いは、ほかの兄弟姉妹にくらべて自分は愛を受けなかった、という記憶があるときにいっそう強烈なものになります。
以前カウンセリングをしていたある女子学生は、きわめて容姿端麗で聡明。性格も素直で、いかにも魅力的な人でした。しかしこの女子学生は、けっして幸福ではありません。その理由は「両親は、兄のことは愛していたけれど、私のことは愛してくれていませんでした」というものでした。両親は、「お兄ちゃんは、頭がいいけど、おまえはバカだなぁ」と言い続けていた、というのです。ご両親としては、この子の発憤を促すための言葉だったのかもしれません。しかしこの子自身は、そうとることはできませんでした。「両親は、兄のことは愛しているけれど、私のことなんか、どうでもよいのだ。期待していないのだ」という思いばかりがつのってゆき、その結果、この子は人生や勉学に対する投げやりな態度を身につけていきます。このように、「両親から自分は愛されていなかった」「とくに兄弟のなかで私だけ、愛されていなかった」という思いは、人を捕らえて放さないところがあります。本人も、自分が悲劇のヒロインであるかのような思いを募らせていき、自分がしあわせになれない理由をすべて両親との関係にあるかのように考え、運命をのろい、自分は一生そのために幸福に離れないかのように考え始めるのです。
カウンセリングをしているとわかりますが、人は、自分を「運命の犠牲者」の立場に置いている限り、しあわせになることはできません。「私が幸福になれないのは、両親のせい」「私が不幸なのは、最初に結婚した男性がひどかったから」などと、過去や他人に自分がしあわせになれない理由を見出している限り、けっして幸福にはなれないし、ましてや人間として成長をとげていくことはできないのです。
この意味で、この「過去のとらわれから解放されることを目指すアプローチ」は重要なことを教えてくれていると思います。
カウンセリング心理学の二番目のアプローチは、「練習するアプローチ」です。行動療法、認知行動療法などがここに入ります。
このアプローチでは、ついつい否定的なものの見方ばかりしてしまい、そのために人生の可能性を閉ざしている人を、もっと前向きな考え方をするように促していきます。本人も、自分でもっと前向きな考え方ができるように、自分の思考法を工夫し、トレーニングしていきます。そのため「練習するアプローチ」と呼ぶのです。たとえば、「私は失敗するのでは」「失敗したらもうおしまいだ」と考える癖がついてしまっている人がいます。そのためにこの人は、失敗を恐れて、仕事につくことができず、ニートになってしまっているとしましょう。自分のこうした考えを「たしかに失敗はしないにこしたことはない。けれども、失敗したからといってそれで終わりというわけではないし、人間としての価値が下がるわけでもない」と、自分で自分に言い聞かせていく。もっとも前向きな生き方ができるようにと「自己説得」していくわけです。このような前向きな思考法をとることが消極的な人生から積極的な人生への転換に有益であることは言うまでもないでしょう。
しかし、私が最も重要だと考えるのは、第三のアプローチである「気づきと学びのアプローチ」です。人間性心理学やトランスパーソナル心理学がここに入ります。
私たち人間は、愚かで傲慢な生き物です。人生が何事もなく運んでいると、それはすべて自分の力によるかのように、錯覚してしまいます。けれどそうは問屋が卸しません。この人生には、さまざまな苦難が待ち受けています。リストラ、借金、夫婦の危機、失恋、子どもの暴力などなど・・・。こうした苦難は、私たちに人生で大切な何かを教えてくれる「教師」のようなものだとこの立場では考えます。「人生のすべての出来事には意味があり、目的があって起こっている。家庭の不和や失職、病気のような、一見したところ、ないならないほうがいいような出来事も、実は、必然であり、すべては私たちが気づくべきことに気づき、学ぶべきことを学んで自己成長していけるよう促している」と考えるのです。そのためにこのアプローチでは、人生で起きているさまざまな出来事の持つ意味とメッセージを発見していこうとします。
まとめると、こうなります。人が、(1)過去から解放され、(2)より積極的な生き方を構築し、(3)人生で起きるさまざまな苦難から学び、たましいの成長をとげていく。カウンセリング心理学は、人がそんな成長をとげていく方法論を提供します。

諸富祥彦(もろとみ よしひこ)
明治大学文学部教授、臨床心理士、カウンセラー、日本トランスパーソナル学会会長
慶應MCCプログラム「自己成長のための心理学」講師

1963年福岡県生まれ。1986年筑波大学人間学類、1992年同大学博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員を経て現在明治大学文学部教授。専攻はカウンセリング、教育臨床心理学。
日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事。

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