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今月の1冊

2011年06月14日

『科学と科学者のはなし-寺田寅彦エッセイ集』

著者:寺田 寅彦; 編者:池内 了; 出版社:岩波書店(岩波少年文庫) ; 発行年月:2000年6月 ; ISBN:9784001145106; 本体価格:714円
書籍詳細

寺田寅彦は、日本近代を代表する科学者である。
専門の地球物理学では、自然災害の多い日本の防災のために数々の提言を行った。
「天災は忘れた頃にやってくる」
誰もが知っている防災格言を残した人物として知られている。
一方で、夏目漱石を文学の師と仰ぐ、稀代の随筆家でもあった。
この本は、寅彦が残した三百以上のエッセイの中から、寅彦と同じように科学者と随筆家の二足のわらじを履く池内了氏が、子供向けに編んだエッセイ集である。
子供向けとはいえ、旧仮名遣いを現代ことばに置き換え、漢字にルビを振っただけなので、大人向けの読みやすい科学エッセイと考えた方がよいかと思う。
少なくとも、私にはピッタリのレベルであった。


さて、38編のエッセイを通して、寅彦が伝えようとしているのは「科学する姿勢」の重要性である。
寅彦の言葉を借りれば、「尋常茶飯事の中に、何かしら不可解な疑点を認め、それを明らかにしよう苦行すること」である。
彼は、このエッセイでその実践例を紹介するべく、「茶碗の湯」「蓑虫」「お化け屋敷」「線香花火」「金平糖」など、どこにでもあるモノや事象を題材にして、「はてさて、これはいったいなぜなのか」という疑問を提示し、科学の原理につなげて、わかりやすく解説している。
中には、現在「複雑系」と呼ばれる現象や、生命の分子構造など、当時はまだ明らかにされていなかった先端的なテーマにつながる問題提起もされており、その想像力には驚かされる。
そこで、本稿では、この本に収められたひとつのエッセイを題材にして、「科学する姿勢」の現代的な意味を敷衍的に考えてみたい。
注目したのは「風呂場の寒暖計」という短文である。
寺田寅彦は、1910年代初頭(明治末)にドイツに留学をした。
その際に、ドイツの一般婦人が有する日常生活に関係した科学的知識が、日本の婦人に比べて、随分と進んでいることに気づいたという。
例えば、下宿屋のおかみさんが、呼び鈴や電灯のちょっとした故障であれば自分で直すことができた。
このエッセイが書かれた1931年(昭和6年)時点の日本では、些細な電気のトラブルでも、直ちに電気会社に連絡をするのが普通であったらしい。
ドイツでは、下宿屋のおかみさんに風呂を立ててもらうのに、「四十一度で」と頼めば、その通りにしてくれた。「四十二度」と言うと、それは熱くはないかと心配されることはあっても、ほとんど誤差なく用意をしてくれたという。
1~2度の湯温の違いが、人間の感覚に及ぼす影響の大きさを、かなり明瞭に認識していることに驚いたと記している。
帰国した寅彦が、風呂用の寒暖計を買ってきて、家内のお手伝いさんに使い方を教え、「四十一度で」注文をしたところ、下手なコントのような、ちぐはぐな対応に閉口することとなった。
最初は、所定の温度に達したと報告してきたので、浸かってみると、まだぬるま湯だった。問うてみると、湯をかき回さずに、湯面のすぐ下に寒暖計を差し込んで温度を測っていたことがわかった。
次の日は、かき回したうえで測ったことを確認して入ってみると、今度は熱過ぎた。
温度を測ったあとで、薪を大量に風呂釜に放り込んだらしく、仕度を整えて入る頃には、すっかり湯温が上がってしまっていたのだ。
あげくの果てには、こんな面倒なものは使っていられないとばかりに、風呂場の隅に打ち捨てられ、三越で購入した高価な外国製の寒暖計は、やがてどこかに消えてしまった。
「これは、適者生存自然淘汰の原理によって、元来寒暖計などあるまじき原始人の風呂場にあった寒暖計が、当然に自然に消滅しものであろう」
こんな些細な逸話を、ユーモアたっぷりに自虐ネタに仕立て上げてしまうあたりは、文学の師 夏目漱石を思わせる、寅彦の真骨頂である。
さて寅彦は、このエピソードを面白おかしく語り述べながら、日常生活に根ざした科学的な知識の重要性に言及する。
寅彦家のお手伝いさんに、ドイツの下宿屋のおかみさん並の科学的知識があれば、温められた水が上昇し、表面で冷やされて再び下降していくという温度循環の原理を承知したうえで、寒暖計を使ったであろう。
それが出来ないのは、ひとえに日本の婦女子の科学的基礎教育の普及が劣っているのではないか。そして、その程度の教育は、学校で教えるというよりは、家庭にあって、日常生活の中で、親や年長者から教えられるべきものだ。
寅彦は、そう考えて論を展開していくのである。
「風呂場の寒暖計」の使い方で、後世まで残るエッセイのネタにされたお手伝いさんには気の毒だが、家庭における何気ない事象の中に、科学教育の問題点を見出していく、寺田寅彦の目のつけ所には敬服する。
お手伝いさんの肩を持つ訳ではないが、彼女だって、風呂を沸かすにあたって、湯船をかき回す必要があることは知っていたに違いない。
もし、寅彦が「よい湯加減になったら教えてくれ」と指示すれば、湯船をかき回し、湯加減を自らの感覚で確かめたうえで、知らせたであろう。その際に、薪を更に追加することもしなかったであろう。
ただ残念なことに、彼女には、「四十一度」という湯温と「よい湯加減」を、直接的につなげて思考を展開することが出来なかったのだ。
寒暖計という便利な道具を通して、具体的な指標を知ることができ、それに従えば、「よい湯加減」が実現できると、当初寅彦は考えた。
お手伝いさんは、「四十一度」という具体的な指標があるがゆえに、「よい湯加減」を判断するための経験的な知見を置き忘れ、結果として指標に翻弄されることになった。
両者をつなげるものが、当時のドイツにあって日本にはない、「日常生活に関係した科学的知識」だと寅彦は見通していた。
私は、このエピソードに、科学的な知識を持たない問題(人間)に対して、具体的な指標を示すことの難しさが凝縮されているような気がしてならない。
やや強引に簡略化すれば、必要な科学的な知識を持たないままに、わかりやすい指標を提示することで、人間が当たり前に持っていたはずの判断力までも奪うことになることを示唆していると言えないだろうか。
私たちは、近代以降、寅彦家の「風呂の寒暖計」の類の課題、つまり、科学的な知識を持たない問題に具体的な指標を示される課題、を幾度となく経験し、試行錯誤しながら乗り越えてきた。
自動車が普及すれば、制限速度は何キロであるべきか。
工業化社会が進展すれば、労働時間は何時間が適当なのか
多くの科学者が、実験や統計といった科学的手法を用いて、適切な指標を探っていったであろう。
私たち使用者も、数多くの失敗と多大な犠牲を払いながら、新しい技術を使いこなすための実践的な判断力を獲得していったであろう。
そしてなにより、「科学的な知識」と「経験的な判断」をつなぎ合わせる学習を蓄積してきたのであろう。
科学の進歩とは、便利な道具や機械を生み出すことではない。それを使いこなす知恵にこそ、本質がある。
現在、福島原発の放射性物質の拡散が心配されている。
特に、文部科学省が、福島県の学校で年間に許容できる放射線量を通常の1ミリシーベルトから、上限20ミリシーベルトに緊急措置として上げたことが問題になった。
子供の健康を心配する親御さんは、1ミリシーベルト/年の目標値を守るべきだと主張する。至極もっともな意見である。私が同じ立場であれば、きっと同様の主張をするだろう。
福島県の教育委員会や学校は、また異なった反応をする。
現実に、原発の影響が続く中で、1ミリシーベルト/年の目標を遵守しようとすれば、野外の体育は一切出来なくなる。それどころか、子供たちの被ばく線量の増加は、学校だけのことではなく、日常の生活の中でも起きることなので、文科省や学校による制御可能な範囲を超えた問題ともいえる。
3月11日からのピーク時一ヶ月間で、すでに2.56ミリシーベルトになるとの試算もあり、すでに破綻した目標値になっているという意見もある。
安全の目安となるべき指標が、混乱や論争を増長してしまっている。
どうやら私たちは、原子力の安全性に関わる適切な指標を探るという、極めて初歩的な科学的知見を、十分に備えぬままに、随分と危ない道を走り出していたようだ。
「いますぐに、国が絶対安全な指標を発表するべきだ」と声高に叫ぶ側にも、欠けているものがある。科学に絶対はない、という認識を持たぬままに、国家の責任にすべてを帰すことも如何なものか。
日常生活に関係した「科学的知識」を積み上げ、「経験的な判断」とつなぎ合わせる責任は、私たちもある。
いまこそ冷静になって、必要な「科学的知識」を身につけ、「経験的な判断」に照らし合わせることから始めるべきである。
(城取一成)

科学と科学者のはなし-寺田寅彦エッセイ集』寺田 寅彦著、池内 了編(岩波少年文庫)

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