今月の1冊
2012年01月17日
『代表的日本人』内村鑑三(岩波文庫)
グローバリゼーション。
ここ数年、ニュースや新聞、書籍、あらゆるところで耳にする言葉です。内需拡大には限界があるとされる多くの日本企業にとって、グローバル進出、グローバル対応といった戦略、施策の数々は、もはや当然のことになりつつあると思います。私も、企業の人材育成のお手伝いをさせていただく仕事柄、社員の教育体系や研修内容にグローバリゼーションに対応した育成視点を入れることは多く、「へぇー、グローバル人材の育成ですか!」なんて、取り立てて驚くことも今や無くなっています。
しかし、日本で生まれ育ち、日本のみで生活をし、海外へは旅行で訪れるくらいの私にとって、グローバリゼーションが本当に何を示すことなのか頭ではわかっているつもりでも、腹落ちするほどには理解できていないというのが正直なところです。単に世界進出、海外で働く、海外で暮らすといったことではないようですし、もちろん英語をはじめとする外国語を使うということだけでもなさそうです。いったい、グローバリゼーションとは何を示し、日本人がグローバルに生きるとはどういうことなのか、そしてその根底にある意識とはなにか、ゆっくりと考えてみたいと思い選んだ1冊、それが内村鑑三著『代表的日本人』です。
内村鑑三は幕末の1861年(万延2年)に高崎藩(現在の群馬県)の藩士の家に生まれ、1877年(明治10年)に札幌農学校(現北海道大学)へ二期生として入学しています。札幌農学校は校則を「ビー・ジェントルマン(紳士たれ)」というわずか一項目で貫き、そこを去る時には「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ大志を抱け)」を残した敬虔なクリスチャン ウィリアム・S・クラーク博士の教えで有名であり、内村鑑三の同期には『武士道』の新渡戸稲造がいました。
内村鑑三と言えば1891年(明治24年)の教育勅語不敬事件を思い出す方も多いかもしれません。第一高等中学校(現在の東京大学)で嘱託教員の際に起こした不敬事件による世の非難がもとで、職を辞任したのちは、各地を転々とし、妻子を抱え極貧生活を送りながら文筆生活を続けるなか、自身はクリスチャンでありキリスト教の教えに重きを置く反面、日本人の根底に流れる「武士道」や「ヤマトダマシイ」に関心を持ち、日本の「偉人伝」に親しみ、歴史認識をさらに深めていきました。
『代表的日本人』はそのような生活のなか、西欧文化が奔流のように押し寄せる時代背景にあって、自身の思想を貫き、歴史観を築きながら、日本とはなにか、日本人とはなにかについて記した内村鑑三の代表的著作です。1894年(明治27年)『Japan and the Japanese(日本及び日本人)』として刊行された著書を改版し、1908年(明治41年)、『Representative Men of Japan(代表的日本人)』というタイトルにて英文で上梓し、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介したもので、その後もドイツ語などにも訳されています。つまり、いま私たちが読んでいる『代表的日本人』は英文で書かれた原著を日本語にした訳版を読んでいるということになります。
1894年に『Japan and the Japanese(日本及び日本人)』として、当初書かれたときは、ちょうど日清戦争のときでした。やがて、日露戦争が起こり、「絶対非戦論」を唱えていた内村鑑三にとって、まがりなりにも日本が勝ったことは驚くべきことであり、これは世界の国々も同様で、「東洋の小さな国が大国ロシアに勝った」ことに驚嘆し、日本への関心がいっせいに高まった時代背景があります。特に、世界は「日本とはなにか、日本人とはなにか」という点に注目が集中しました。そこで、内村鑑三は当初の著作を大改訂し、『代表的日本人』という題名とした経緯があるそうです。
『代表的日本人』には、まさに日本を代表する分野別5人について書かれています。政治家としての西郷隆盛、地方大名としての上杉鷹山、農民思想家としての二宮尊徳、地方の教育者としての中江藤樹、宗教者としての日蓮。とはいえ、この5人が歴史上の人物として当時から現在において、人生すべてに光が当てられ、賞賛を浴びていたかというとそうとは言えない面も多いかもしれません。それは、時代によって、見る視点によって何を是非とするかの評価は異なってくるのが歴史の見方である所以です。
時の政府に背き反逆者としての解釈もできる西郷隆盛。「軍国少年の鑑」として称え日本全国の小学校にあったという銅像も、太平洋戦争後は「子どもたちを戦場に送りだした元凶」として排除された二宮尊徳。時の宗教からたった一人抗し『立正安国論』にて主張を伝え布教を始めた日蓮は、当時は宗教革命としての見方もあり異端として捉えられていました。
往々にして、歴史とは時の国家が意図的に見方を押しつけたり、つくりあげたりすることがあると言えるかもしれません。なぜ、内村鑑三がこの5人を代表的日本人として取り上げたのか、単に偉業を成し遂げたからという評価だけではなく、本著を読んでいくうちに、この5人に共通する人に対する真の優しさ、人間愛があるからのように思えます。そして、人間愛、人生観も含め5人の姿を描いた内村鑑三自身の人を想う気持ち、優しいまなざしが伝わってくるようにも感じます。
『代表的日本人』は内村鑑三という大思想家が書いたものだから、難しいのではないかと思われるかもしれません。私も、最初は読むことをためらいましたが、原著が英語で書かれたということもあるのでしょうか、非常にわかりやすい表現で書いてあり、抵抗なく読み進めることができます。しかし、今回、内村鑑三がなぜ本著を書いたのか、その時代背景や思想、人生観を知るうえで助けていただいたのが、童門冬二氏の『内村鑑三「代表的日本人」を読む』です。歴史は「360度方位から光を当てることのできる多面的な存在」であり、歴史上の人物は「すべての人物は円である」と考える童門氏の歴史観は、『代表的日本人』に描かれている5人、そして著者 内村鑑三にまた新たな視点を私たちに与えてくれています。
『代表的日本人』がそのまま、いま生きているわたしたちの役に立つというわけではない、役に立つ部分もあれば、役にたたない部分もある。それは「その本が書かれたときの社会状況」と「作者がなにをメッセージとして送ろうとしたか」ということが大きく影響するからであり、「内村さんの書かれた意図や精神をわたしなりに再現したうえで、いま現在、この精神はこう生かすべきではないかという”新しい見方”を加えていこうと思う。
『内村鑑三「代表的日本人」を読む』童門冬二
代表的日本人たちの”日本人的精神(スピリット)”。内村鑑三が描きたかったのは、好戦的な野蛮な民族ではなく、儒教の教えを信奉するやさしさ、思いやりを持った人間の多い日本人の姿であり精神であると童門氏は解します。それは、内村鑑三が5人の歴史人物像を描くうえで、通常、歴史家が重んじる「一級資料」だけでなく、さまざまな俗書とも言われるような資料から浮かび上がらせているところにあるためとしています。
『代表的日本人』は、開国後、次々と押し寄せる西欧文化、近代化のなかで、日本人が日本の文化、思想を西欧社会に英語で紹介した名著として、そして決して国家繁栄の大業を成した人々ではなく、さまざまな分野で地方の活力を重んじ、日々の人々の生活に目を向け、より良く生きていくために、自分に何ができるかを真摯に考え実行した5人を取り上げたという点において、日本を代表する書のひとつと言えるのでしょう。そして、本著が書かれた当時、日本人としてどのように生きるべきか模索している点は、いまを生きる私たちにとっても何ら変わることのない共通の課題のように思います。
童門氏は日本人として生きるうえで”グローカリズム”こそが、いまいちばん大事な考え方であるとして、幕末の開明的な思想家、佐久間象山の言葉を記しています。
「わたしは二十歳のときに松代(まつしろ)人(藩人)であることを知り、三十歳で日本人であることを知り、四十歳で世界人(国際人)であることを知った」
グローバルにものを見て、ナショナルな問題意識を失わずに、ローカルに生きていく”グローカリズム”の考え方。国や世界を変革するのにも、まず個人の変革から始めなければならないということ、すべての変革は個人から始まるということ。この考え方がいまの日本にいちばん大事であることを語っています。
いま、日本そして日本人はグローバリゼーションという大きな奔流のなかで、どの方向に進むべきか模索しているように見えます。どの方向に進むか、進んでいったかは、その時代、歴史の見方によって是非が変わることを心に留め、それらは後世が判断することをも念頭に置きながら、私たちがすべきことは、地方人であり、日本人であり、国際人であることを見失わないこと。そして、その前に一人の人間として真の優しさ、思いやりをもって生きていくこと。『代表的日本人』から、私にとってのグローバリゼーションとは何かを深め、向き合うための糸口をもたらしてくれたとともに、これからも、他人事ではなく、私にとってのグローバリゼーションとは何かを考え続けることの大切さを教えてくれたように思います。
(保谷範子)
『代表的日本人』(岩波文庫)
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