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『分身』

2004年03月09日

著者:東野圭吾
出版社:集英社; &nbspISBN:4087485196 ; (1996/09)
本体価格:695円; ページ数:463p
http://item.rakuten.co.jp/book/830014/


とにかく文章の切れがいい。無駄がないのに奥が深く、構成も精巧でページをめくらせる呪術的な力がある。この”東野マジック”に魅せられ虜になった私が、あの脳が痺れるような喜びを味わいたくて、久しぶりに手にとった一冊が本書である。
本書の主人公は、北海道育ちの大学生氏家鞠子と東京育ちの大学生小林双葉のふたり。このふたりのそれぞれの視点から描かれた章が交互に展開され、物語は進む。
氏家鞠子は、大学教授の父と優しい母のひとり娘として、なに不自由ない生活を送っていたが、その一方で子供の頃から鞠子は自分が母親に愛されていないと感じ悩んでいた。そんな鞠子を悲劇が襲う。中学生の時、母親が一家心中を図り家に火をつけ、焼死してしまうのだ。大学生になった鞠子は、一家心中を図った母親の動機、その謎を解明するため、上京した。そして、下条という女性の協力を得て捜査を進めるうち、父親にも、なにか秘密があるらしいことに気づく。さらに、自分の分身としか思えない小林双葉の存在を知るのである。
一方の小林双葉は、東京で母親とのふたり暮らし。バンドのボーカルをしている彼女は、母親の反対を押し切り、テレビ出演したことを契機に、奇妙な出来事に遭遇する。やがて、母親がひき逃げされて死亡し、その母になにか秘密があったらしいことを知る。双葉は真実を求めて、昔母親が暮らしていた北海道に向かうが、そこには彼女の身体を狙う男たちがいた。脇坂講介という男に助けられつつ、逃亡を続けながら真相を追う。その過程で、彼女は自分の分身としか思えない氏家鞠子の存在を知るのである。
本書は、このようなストーリーで展開されていく。書籍のジャンルとしては、推理小説として分類されるが、いわゆる推理小説にありがちな”トリック”と”意外性”だけでは終わらない、深く考えさせられるテーマが仕掛けられている。
なぜ、住む土地も違えば血縁上でも全く接点がなく、年齢まで異なる氏家鞠子と小林双葉は、分身といえるほどそっくりなのか。ここが本書の最大の謎である。その答えは最先端医学が深い関わりをもっている。本書は93年にかかれたものであり、その当時にはまだ一般には知られていなかった”クローン技術”がひとつの大きなモチーフとなっているのである。詳細な内容は本書を読んでいただくとして、また、クローン技術に対する賛否についてここで論じることはしないが、医療技術と人間との関わりとその明暗を熟考させられる書である。医学の進歩が、現代では科学技術の進歩と密接な関係にあることはいうまでもない。もちろん、科学技術の進歩は人類にとって必要不可欠である。だが、物事には常にプラスの面とマイナスの面があることを忘れてはならない。医学の進歩は、尊い多く命を救い、たくさんの人々を苦しみから解放してきた。だが、一方で医療技術をはじめ、科学技術の発展は人類のためというプラスの面にばかり注目するあまり、マイナス面への考慮が遅れてきたことも事実である。医療技術の進歩と法や倫理観との摩擦。こうしたことを見れば、プラスの面の裏には、人間は自らの産みだした科学技術に逆に翻弄されてしまっている事実も、またある。極めて進んだ現代科学は、現在の人間の手に余るものであるかもしれない。
もちろん科学技術そのものに善悪はない。ただ、いきすぎた科学を求めずにはいられない、人間の欲望や利己心という存在が問題なのだ。本書で自分の利益や名誉のために鞠子と双葉の身体を求める権力者や、彼女たちを実験動物のように扱い、禁断の領域と知りながら足を踏み入れる医者の姿には、作者の強い怒りと憤りが込められている。科学技術は諸刃の剣である、ということを認識しなければ、本当の意味での人類の発展はありえないのではないだろうか。
「小説は作者の手を離れると、ひとり歩きする」という言葉がある。それぞれの読者にそれぞれの読み方があるということだ。私は前述のような奥深い人類のテーマについても考えさせられたのだが、同時に、作品としての出来栄えに感動を覚えている。人間のリアルな描写力。強烈にダイレクトに目に浮かぶ情景。執筆のために得る努力をしたであろう知識の量。全体を通して精巧な構成。思わず人物相関図を書きながら、頭の中に人物たちを存在させてしまう。これは東野氏の多くの他の小説についても同じだ。一体、彼の頭の中はどういう構造をしているのだろうか・・・。
以前何かの記事で読んだのだが、”似非理系人間”と自らを称する彼は、その中で「細かいモノをきれいにまとめて、大きなモノにすることが好き」というニュアンスのことを話していた。・・・なるほど。理系的な思考回路に長けていて、こういう文章と構築が出来るのか。経験や知識は、どこかで繋がるものなのだな、と勝手に納得してしまった私であった。(ちなみに東野氏は、某大電気工学科卒業後、エンジニアとしてメーカーでの勤務を経験している。彼の自虐的自叙伝『あの頃ぼくらはアホでした』は、彼の世界をより楽しむのに役立つエッセイである。)ただ本書の場合、タイトルや登場人物の職業設定などから、ある程度内容が推測できてしまう点と、優れすぎる技巧や、また、豊富な専門知識・情報のために、心を打つところにやや欠ける点が残念ではある。
私事で恐縮だが、昔から一貫して、私の専門は私小説(とりわけ推理小説に分類されるもの)である。ただ、特に最近は単にストーリーを追うだけ、謎をただ追っていくだけの「こてこてミステリ」には魅力を感じなくなった。多少とも現実を知り、人間の裏表を眺めてしまうと、謎解きゲームだけに熱中するわけにいかなくなる。小説を読みながら、娯楽を超えて作者のこだわりや強いメッセージ-情熱-に触れたい。鮮やかな解決が示される、心地よさ。そのうえで、解かれた謎の奥に人間が見えてくる、人の心の美しさと闇、生きていくことの哀しみが見えてくる、それは、ビジネス書にはない、小説の醍醐味であり、魅力である。
今回の一冊は随分横道にそれてしまったが、たまの閑話ということでお許し願いたい。
(笠原 ちとせ)

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