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『マインド・ネットワーク』

2004年04月13日

著者:マイケル・シュレーグ 訳者:瀬谷重信/コラボレーション研究会
出版社:プレジデント社; &nbspISBN:4833414368 ; (1992/03)
本体価格:2,330円 (税込:2,447円); ページ数:413p
http://item.rakuten.co.jp/book/516721/


この本に出会わなかったら、私がここ(MCC)で社会人教育の講師をやることはなかっただろう。
この本は、私がライフワークとして取り組んでいる「コラボレーション」の、まさにバイブルであり、学術論文を除くとおそらく世界初の“コラボレーションの持つ力”を説いた本である。
「コラボレーション(Collaboration)」
ここ数年で浸透してきたキーワードである。辞書では単純に「協同」と訳される場合が多いが、同じ和訳を持つ「コオペレーション(Cooperation)」が役割分担による「効率を目的とした協同」というニュアンスが強いのに対し、この「コラボレーション」は“単独ではなし得ない創造的成果”、つまり「効果を目的とした協同」を指すことが多い。あえて一言で訳すと『協創』だろう。
コラボレーションという言葉がこれだけ浸透(一時期は流行語のようですらあったが)してきた要因のひとつとして、価値観の多様化を背景とした少品種大量生産時代の終焉という歴史的事実が挙げられるだろう。大量生産が目的であった時代は「いかに効率的にそれを行うか」が第一義であり、その実現のために明確な役割分担や流れ作業等の「コントロールされた協同の技術」が発展した。
しかし混沌とした現代においては、価値感は空間軸的に多様化しているだけでなく、時間軸的にもめまぐるしく変化し続けている。昨日の常識が明日も常識である保証はどこにもなく、まさに立ち止まることが許されない厳しい時代である。こうした環境下で、「新たな価値を創造し続けること」が社会システムにおける命題となっている。
以前の幸せな時代であれば、ひとりの天才(技術者であれ経営者であれ)が産み出した価値を整然と、かつ速やかに大量生産していれば良かった。一握りの天才以外の凡人(当然私も含まれる)には、そのシステムの精巧なデバイスとして決められた通りに機能することが求められたし、それが美徳だったのだ。
しかし今はそれでは許されない。我々凡人も価値を産み出さなければ、個人だけでなく属する組織までもが、ジュラシック・パークに置き去りにされた傭兵のごとく、またたく間に骨と化してしまうのだ。では生き残るためにはどうすればいいのか?我々は所詮凡人だ。知識はネットから手軽に得ることはできても、それをどう使えば良いかがわからない。自分ひとりの力なんてたかが知れているし、その限界も自覚している。自分ひとりの力なんて・・・?
「価値の生産はひとりでやらなくてはいけない」、なんてことはルールブックのどこにも書いてないじゃないか・・・!
そう、だから我々にはこの本の著者も強く主張(その根拠は私とは多少異なるが)しているように、『コラボレーションしか道は残されていない』のだ。そしてコラボレーションとは、我々凡人達のただ一つの選択肢であるだけなく、天才に優る価値を「凡人達が産み出すチャンス」を与えてくれる、実にエモーショナルなコンセプトでもあると言える。
・・・思い返せば9年前の1995年、ある企業において、新規事業企画のプロジェクト・メンバーだった私は、コラボレーションという言葉を初めて耳にし、そしてこの本と出会った。そしてそのプロジェクトで「コラボレーション支援」のメディア開発の研究を行い、「MCCという場での社会人教育」という形で普及を進めている「コラジェクタ®」の概念を産み出すことができた。
もちろんこのコラジェクタも、そのプロジェクト・メンバーとのコラボレーションの産物であり、私ひとりの力では到底この成果は産み出し得なかった。しかし、「自分単独で成果を出す」ことに何の意味があるだろう?それは単に自分のちっぽけなプライドに、誰の目にも見えない勲章を飾るようなものだ。プロフェッショナルであれば、結果としてのアウトプットの質こそが外的/内的評価の対象となるべきではないか。
ただ・・・それは少しきれい事かもしれない。というのも、コラボレーションはその結果だけでなく、プロセスでも我々を高揚させてくれるからだ。この本の中でも、著者自身の体験(いわく「強烈な体験」)や、DNAの螺旋構造の発見でノーベル賞を共同受賞したワトソンとクリックなど、いくつかのコラボレーション・プロセスがライヴ感に溢れて紹介されている。そのあたかも映画のスリリングなワンシーンを見るようなコラボレーション・プロセスの記述で、そして前述のワトソンをはじめとして、コラボレーションによってファンタスティックな成果を産み出したアクター達の経験談に、私は何度も膝を打った。それらの中から、いくつかをここで引用してみたい。
【フランシス・クリック(DNA螺旋構造のワトソンとの共同発見者)】
「私達の強みは、暗黙のうちに有益なコラボレーションの方法をつくりあげていたことだった。どちらかが新しいアイデアを指摘すると、もう一人は真剣に耳を傾け、素直に、しかし敵意は抱かずに、それをぶち壊しにかかるのだった」
【ジョン・ダイクストラ(“STAR WARS”で有名なハリウッドSFX界の巨星)】
「今や、自分達にもわかってい“ない”ものを作ろうとしているのだ。そこで、共同の精神を働かせようとする。人々の精神をもっと大きな精神の一部として相互作用させたいと考える-ある人からは論理的センス、もう一人からは視覚的センス、別の人からは聴覚的センス、というようにして共同の頭脳が生まれるのだ。」
【フランシス・ブラック(ピカソと共同でキュビスムを創始した芸術家)】
「ピカソも私も、匿名的な人格の探求であると私達が感じていたものに没頭していた。私達は、オリジナリティを発見するために、自分達の人格を抹消する覚悟だった」
仕組まれた脚本には存在し得ないこれら名台詞に私と同様に膝を打ったら、または大脳がムズムズしたのなら、是非この本を手に取ってみてほしい。ちなみにこの本の原著は1990年、今から14年前に書かれているが、全く古さを感じない。
・・・しかし、それは実は悲しむべきことだとも思う。この社会において、未だにコラボレーションが「創造活動のスタンダード」として認知されていないという、非常にネガティヴな証明なのだから。
(桑畑 幸博)

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