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今月の1冊

2022年01月11日

山崎 ナオコーラ『文豪お墓まいり記』

文豪お墓まいり記
著:山崎 ナオコーラ;出版社:文藝春秋; 発売年月:2019年2月; 本体価格:710円

近所のスーパーで、135mlの缶ビールを見かけた。お墓でよく見かけるやつだと思った。そういえば、コロナ禍ともあって最近お墓に参れていない。とりあえず、スーパーのカートを押しながら、先祖へ向けて「元気でやってます」と唱えてみた。慶應では、福澤先生の命日である2月3日は雪池忌(ゆきちき)とも呼ばれ、麻布山善福寺の墓前には参詣者の列が絶え間なく続くというが、残念ながら私は身内のお墓参りしかしたことがない。

年末年始に帰省し、お墓参りをされた方も少なくないだろう。本書は、コーラが大好きな山崎ナオコーラさんが、身内ではなく、26人の文豪のお墓を参ったエッセイである。故人に合うお供えの花を選び、お墓の近くの店で食事をし、文豪のお墓に手を合わせ、時にはお墓の掃除をする。一人でのお墓参りだったり、書店員の旦那さんや、お母さん、時には西加奈子さんなどお友達と一緒に赴く様子が綴られている。著者が描いたというそれぞれの文豪のイラストも添えられていて、これがとてもかわいい。

26人の文豪への興味

永井荷風(先輩作家)と谷崎潤一郎(後輩作家)は七歳差です。
谷崎は少年時代から荷風の小説に憧れていたので、デビューしたとき、先輩作家である荷風から自分の小説を褒めてもらえたことが嬉しくてたまりませんでした。
月日が流れ、第二次世界大戦が始まります。
谷崎は作品をどんどん発表して、大作家になりました。きれいな人と結婚し、金をたくさん稼ぎました。
でも、荷風は、その後あまり活躍はせず、独り身で経済力もありません。
そんな二人が、疎開先の岡山で、再会します。
谷崎の仮住まいに荷風が食事をしに来るのです。
一九四五年八月十四日のこと、終戦の前日でした。
ただ、 明日終戦を迎えるなんて、 本人たちも、 周囲の人たちも知りません。
だから、 肉を食べるなんていう贅沢は、 白い目で見られる行為です。
でも、「憧れの作家が来る」「恩を感じているので、 敬意をもって迎えたい」と谷崎は高揚し、 世間よりも自分の気持ちを優先します。
谷崎に財力があるとはいえども当時はなかなか手に入れにくかった牛肉を手に入れ、すき焼きでもてなします。
……このように、 文豪たちは互いに関わりながら生きていました。
今は、お墓の中にいます。
時代が違うので、 実際には関われませんが、 お墓には行けます。

文豪のお墓参りをする。ただそれだけなのに、小難しい書評を読むよりずっと作家や作品に興味が湧いた。お墓やその人の作品に加え、文豪たちの人となりを感じさせるエピソードを織り交ぜた著者の解説が、とても分かりやすく面白いのだ。芋づる式に読みたいものが湧いてきた。

「墓」を考える

数年前、私はファイナンシャルプランナーの方にマネープランを作成してもらった。そこに組み込まれていた墓の費用。え、お墓って必要?そうか、私は実家のお墓に入るわけではないもんね。誰に管理してもらえばいいのだろうか、いやまだ先の話…か…な…。生と死は隣り合わせと頭では理解しているが、「自分の墓」の件には一旦蓋をした。なんとなく、私はお墓はいらないかな、そんな風に考えた。

墓じまい、納骨堂、樹木葬、永代供養、散骨、手元供養…。最近、お墓はいらないと考える人が増えているという。現に私もそのように思ったし、叔母からは「送骨キットを買ったから、海洋散骨にしてほしい」と言われている。そもそも従来のお墓のあり方は今の時代に合っていないだろう。同じ場所に生まれ、同じ場所に死ぬ、それを血族が世代を超えて続けていく。現代では、親と子と孫が別々の地域に住むのは全くめずらしくないし、血族が続くとも限らない。人の生き方そのものが多様に変化しているなかで、墓は非常に重く感じられる。それでも私達は、自分のルーツを感じたくなったり、亡き祖父母や親の存在を感じたいと思う。そんな時に立ち返られる場所がお墓なのだろう。

本書を通して、日常のなかで生と死が静かに淡々と交差する姿がいいなと感じた。大切な人と美味しいものを食べて、花を買って、青空を見上げて、そして墓をまいる。日常の延長線上で文豪と出会い、また日常に帰る。著者の仕事や文学、あらゆる物事に対する考え方や葛藤もお墓参りを通して書かれている。やっぱりお墓って必要かも、そう思えてくる。

お墓は亡くなった人の遺骨を埋蔵して供養する場所であると同時に、お墓参りをする人にとっても自分を見つめる場所なんだろう。今後、私にも訪れるであろう「墓」の検討。ただ遺骨の処理のための埋蔵ではなく、その後も故人や先祖とのつながりを感じられる方法をぜひとも考えたい。自分で自分の墓を建てる人生ってのも、いいなあ。

そうだ、お墓にいこう

著者は大学の授業で 「文学とは、 結局のところエロス(生)と タナトス(死)だ」 と習ったとのこと。お墓参りは永遠のタナトスではないだろうか。さらに著者はこの執筆の間に、父の死と流産、妊娠、出産を経験したのだという。だからこそ、文章から死がぐっと身近に感じるのかもしれないなと思った。

そうだ、死と言うのは時間が止まるだけのことなのだ。
死ぬのが怖くなくなってくる。

著者の自然体でありのままの文体から、「生きる」とか「死ぬ」とか、深く考えがちなテーマだが、もっと自然に考えていいのかもなと思えてきた。
お墓参りの道中に、著者はよくお肉を食べている。お腹を満たす様子は、まるで生きる証のように感じた。今生きている人が、確かに生きていた一人の人に語りかけに歩く日記のような本書。巻末にはお参りされた文豪たちのお墓の地図も載っている。

そうだ、お墓参りにいこう。

(米田奈由)

文豪お墓まいり記
著:山崎 ナオコーラ; 出版社:文藝春秋; 発売年月:2109年2月; 本体価格:710円
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