今月の1冊
2024年01月16日
宮嶋 勲 著『最後はなぜかうまくいくイタリア人』
「あぁ。なんでこの仕事、引き受けてしまったんだろう。」
思い起こせば数か月前、自分が苦手だと感じる仕事を「やってみませんか?」と上司から持ち掛けられた私は、反射的に「…はい、やってみます。」と答えていました。断ることへの申し訳なさや、その仕事へ立ち向かうキャパシティがない自分に嫌気が差しそうだったこと、そして何より「労働は義務だ」という意識が根底にあったからです。
しかし、壁にぶつかり悶々とその仕事へ取り組むいま、「この仕事はできません」と言っていれば、なんと心が軽かっただろう、と考えてしまいます。あの時、「心が乗らないなぁ」という気持ちに蓋をしなければ…!
物事を頼まれたとき、たとえそれが気乗りしなくても、断ることで自分のチャンスを逃がしてしまうのではと心配したり、相手に悪いと思って、「やりません/できません」と断れない方は、多いのではないでしょうか。
しかしこれが、仕事を“「労働」ではなく「人生」である”と捉えるイタリア人だったら、好きか嫌いかで選別をして、もっと生き生きと働けるのかもしれません。
本書の著者は、ワインジャーナリストの宮嶋勲さんです。1年の3分の1をイタリアで過ごし、イタリアと日本でワインと食についての執筆活動をされています。日本とイタリアを行き来する宮嶋さんならではの視点で、イタリア人の特性やイタリア流の仕事作法が紹介されています。
私がまず最初に驚いたのが、イタリア人のアポ時間についての感覚です。先に来た人ではなく、遅れた人に合わせて進行すること、さらには、もともと守られるものとは思っていない時間設定だというのです。
時間の概念に著しく欠けているだけあって、公私の区別も曖昧だといいます。窓口に何人も並んでいても、お客さんとおしゃべりをしていることは日常茶飯事。そして常に皆がそのような状態で決して決められた通りには進まず、その不確定要素が多さから、いつでも重視すべきは“成り行き”とのこと。その分、臨機応変に対応していく能力には抜群に優れているのだといいます。
典型的なイタリア人像と典型的な日本人像は見事に正反対で、こんなことで社会が成り立つのかと、思わず心配になってしまいます。そして、「イタリア人と働くのは厳しそうだな」というのが最初の感想でした。
しかし本書を読み進めるうちに、先のことはあまり考えず、いまを楽しく生きるイタリア人の姿が生き生きと登場し、次第に惹きつけられていきます。決してどちらの生き方や働き方が正解というものではないですが、私には持ち合わせない働き方や生き方が明るみになっていき、見習うべきところがあると感じるようになってきたのです。
嫌いなことはやらない。商談よりも食事が大事。空気は読んだことがない。
イタリア人の特性やイタリア流の仕事作法は、私たち日本人から見ると一見「そんなことで大丈夫?!」と不安を覚えるものばかりです。それでも、イタリア社会全体が許容しているため全く問題がないようですし、本書に描かれるイタリアの人々は楽しそうでした。
何よりイタリアは、ファッションから車まで、世界の一流品を生み出しています。
そこには「仕事の時間」と「私の時間」が幸せに溶け合うことで生きがいを持った人々が、人生における「寄り道」や「勘」を大切にしながら生きているからこそ生み出される、独自のセンスと哲学があることがわかりました。
さらに、たとえどんなに無計画で、どれだけ寄り道をしても、最後の最後でやり遂げる力がものすごく強いというイタリア人。そう考えると、散々好きなことをやって最後はうまくいくのであれば、そういう社会で生きてみたい、とも思えてきます。
こうしたイタリア社会の根底から感じるのは、日本にはあまりないであろう「寛容さ」でした。イタリア人は多少のルール違反には目をつむり、相手を思いやる態度を持ち合わせています。短所を上回る長所を見つけて評価するのがうまいのも、直感を信じて物事を判断するのも、相手を信じているからこそできるのではないでしょうか。
***
著者は最後に、日本は「すべてがうまくいっているはずなのに、なぜすべてがうまくいっていないイタリアよりも、人に余裕がないように思えるのだろうか?」と問いかけます。
街は清潔でゴミひとつなく、お店で大きく待たされることもない、ましてや電車は1分たりとも遅れない、すべてが素晴らしく効率的で、正確に動いていく日本。けれどたちまち電車に乗り込めば、居眠りをしたりどこか疲れた印象の人々を多く見かけるのも事実で、この一文にはドキリとします。
最高のサービスが受けられる私たちの社会は、同時に最高のサービスを提供するために厳しい労働しなければならない社会、ということでしょう。しかしこの効率的で完璧なサービス、それ自体が目的になってしまって、それが働く人々にストレスを与えたり、余裕のある人生を送れなくさせてしまっていることもあるのかもしれません。
日本人が本来持っている完璧主義への性向は素晴らしい誇り。しかしながら、余裕のある労働には、もう少しサービスに対する寛容さが必要なのかもしれません。「上を目指しすぎて摩耗してしまうよりも、寛いで、ゆったりとした人生を過ごそう」というイタリア人のスタンスは、もう少し手頃なレベルの幸せを探ってみるのも悪くないのではないかと思わせます。
***
コロナ禍を経て、私も働き方が大きく変化しました。そして、それは生き方そのものにも影響し、「以前の生活にはもう戻れない」とも感じています。
2015年に刊行され2018年に文庫化された本書が、2023年に入ってから再びSNSで話題となった背景には、「今までとは違う生き方があるかも」という思いに駆られ、イタリア人的な生き方に対して、多くの日本人が憧れを持ったからなのかもしれません。いま一度立ち止まって、「働くってなんだろう」「生きるってなんだろう」「幸せとはなんだろう」と考えている方が多いということでしょうか。
本書は私にとっても、“働く”とはそもそも幸せになるためのものよ、と気づかせてくれました。「労働は義務だから」とついつい我慢して奮励する私に、「もう少し感性を大事にして。肩の力を抜いて。」と声をかけてくれているかのような一冊なのでした。
(米田奈由)
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