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今月の1冊

2005年06月14日

『無縁・公界・楽(むえん・くかい・らく) ―日本中世の自由と平和』

著者:網野善彦
出版社:平凡社(平凡社ライブラリー) ISBN:458276150X(1996/06)
本体価格:1,165円 (税込:1,223円); ページ数:380
http://item.rakuten.co.jp/book/809820/

「エンガチョ」遊び。幼い頃に誰もが一度は経験したことのある、なにげない遊びの解説からこの本は始まる。不浄なものに触れたり、踏んだりした子供を「エンガチョ」とはやし立てながらからかう一種の仲間はずれ遊びだが、この遊びには不思議なおまじないがある。両手の親指と人指し指でくさりの輪をつくり、誰かに「エンきーった」といってそのくさりを切ってもらうと、もう「エンガチョ」はつかなくなる。
網野善彦氏は、この遊びの意味を深く洞察することから、「縁を切る」ことで、それまでの世俗のしがらみや不幸から逃れられる「縁切りの原理」へと推論をすすめ、やがて壮大な仮説とその検証作業へと入っていくのである。


網野氏は日本中世史、日本海民史を専門とする歴史学者である。どちらかといえば、歴史家として道の真ん中を歩いた人ではないだろう。生涯を通して異端・傍流の側に身をおいた人かもしれない。彼は、渋沢敬三(渋沢栄一の子息)が戦前に設立し、「歩く巨人」と称せられる宮本常一らの活動拠点となった常民文化研究所の出身である。常民文化研究所は、歴史の表舞台に出ない“普通の人々”の暮らしに関わる記述を丹念に掘り起こし、整理・記録することを使命としていた。網野氏はその系譜を継ぐ最後の人だとも言われている。
私は学生時代、歴史系サークルに所属し、木地師、タタラ師、サンカといった山の民や漂泊する技術者集団について興味を持って調べた時期があった。初期の柳田國男や宮本常一の著作を手繰る延長線上で網野善彦氏を知り、氏の著した何冊かの本も書棚の一隅を占めている。特に岩波新書『日本社会の歴史(上・中・下)』は新たな日本人像を描いた通史として話題になったので、網野氏が、傍流ではあっても歴史学の世界で確固たる地位を有する人だという認識はあった。しかし素人にはあまりにスペシフィックな内容の本が多かったので、正直に言うと「おもしろそうだけでよくわからない人」という印象があった。
そんな私が、この本を読んだのは、皮肉にも昨春の網野氏の死がきっかけだった。逝去の半年程後出版された中沢新一の『僕の叔父さん網野善彦』という本を手にしたのである。不明にも、中沢新一が網野氏と姻戚関係にあったことを、この本ではじめて知ったわけだが、何よりも『無縁・公界・楽』が網野氏の代表作で、生涯を貫く主張が結晶した歴史学創造の書であることを知り、そしてその本をまだ自分が読んでいなかったことに愕然しつつも早速頁をめくってみたのである。
この本の主題は、人間が本来的に持っていた自由と平和の原理が、日本の自然の中で生きてきたわれわれの祖先たちの生活に及ぼしてきた、はかり知れない影響の大きさと、中世に興隆をみた後に近世・近代に衰微していったその原理の再生への展望を表現することであった。網野氏によれば、この書で解き明かそうとする自由と平和の原理は、近代西欧で花開いた民主主義原理としての自由と平和ではなく、またその原型モデルとされる古代ギリシャやローマの市民社会の自由と平和でもない。もっと原始的で、無自覚的なものだが、それでいて人間の創造的な営みを可能にする場を構成し、エネルギーを供給する力強さを持つ概念である。
人々は進歩の中でさまざまな規律や社会的枠組みを作り出してきた。しかし、その一方で、自らが作った規律や枠組みからはみ出ようとする根源的なエネルギーをもあわせ持っていた。たとえば「エンガチョ」というラベルを貼ることで、分類や管理のための枠組みを構成しつつも、「縁を切る」ことでその管理から自由になることもできる二項背反的な社会を許容してきたというわけだ。
本のタイトルである「無縁・公界・楽」というのは、いずれも、規律や身分といった世俗社会の中で、自由で平和な活動を保証される特異な意味空間を表す言葉である。男尊女卑が制度化された近世にあっても、女性からの離縁を可能にした「縁切り寺」。社寺の境内や辻で開かれた「市」。自由な移動を制限された時代にあって、一種の通行手形を持って山野を遍歴した芸能民、職人、宗教集団の存在がそれにあたるという。
「市」は平安末期から鎌倉・室町期に起源を持ち、戦国時代には「自由都市 堺」に代表される自治機能すら持つこともあった。漂泊の芸能者や宗教集団は、やがて能や狂言、歌舞伎を生み出し、法然、親鸞、日蓮といった宗教家を輩出した。
中世の日本には、全国いたるところに「無縁・公界・楽」があり、“普通の人々”によるエネルギッシュな活動が営まれ、時の経済や文化の一翼を確かに担ったのである。
一方で、「無縁・公界・楽」は“貧・飢・賎”に満ちた厳しい世界でもあった。俗権力は無縁・公界・楽の場や集団の存在を認めつつも、その活動範囲を極力狭く限定しようとしたし、一般社会から排除された差別の世界に押し込めようとした。自由な境遇とは、野垂れ死にや餓死と背中あわせの現実でもあった。
「無縁・公界・楽」の原理は、意識化された社会機能ではなかったので、公の文書や史書に記録が残されることが少ない。また、徳川幕藩体制による管理社会の浸透により、その存在そのものが著しく衰微してしまった。網野氏はわずかに残された残滓を、それこそ落ちた針を探すがことくの執拗な文献読み込みで見つけ出し、照射を当て、独自の解釈を加えることで理論として形成した。本書が「新たな歴史学創造の書」と言われる所以である。
さて、この本がわれわれに語りかける根源的な問いは何であろうか。現代社会は、精緻な計画や管理システムによって実現した効率化社会の究極の到達域に達していると言われている。いまほど自由・自律が産み出す創造的エネルギーが希求されている時代はないだろう。多くの企業で「自由と自己責任マネジメント」の旗頭のもと、組織と個人の関係性原理の再構築が進んでいる。「無縁・公界・楽」の原理には、“自律と保証”の二つの側面があった。“普通の人々”による自由と自己責任に基づいた自律的なセルフマネジメントシステムの存在とその活動を俗権力が保証をするという緩やかな保護政策のバランスの妙が決め手になっていた。そのバランスがわずかに傾くだけで一瞬のうちに崩壊する脆弱な社会システムでもあった。現代のわれわれは、この高度な関係性原理の構築ができるであろうか、われわれの知恵が問われている。
また、組織と個人の関係性原理の再構築とともに、われわれは自由や自己責任の社会が宿命的に持つ不安定さ、弱者への視点の欠如、敗者への差別観にも気づきはじめている。
「無縁・公界・楽」の原理は、華やかな文化や宗教の創造の裏側に、無数の貧困・飢餓・差別という負の側面を受け入れざるをえなかった。“普通の人々”が主役である時代とは、実は“普通の人々”の中から産み落とされる一握りの天才が時代を変える可能性を秘める一方で、無数の“普通の人々”の屍が累々と積み重ねられる厳しい世界でもある。現代のわれわれは、その緊張感に耐えることができるだろうか、われわれの勇気が問われている。
(城取一成)

無縁・公界・楽 -日本中世の自由と平和
日本社会の歴史(上)
日本社会の歴史(中)
日本社会の歴史(下)
僕の叔父さん 網野善彦

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