KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2005年09月13日

芸術との対話

私の好きな絵に「道」(東山魁夷、1950年)がある。
約1メートル強の長方形キャンパス、美しい若緑の草原の中に1本の道がまっすぐに伸びている。キャンパスの中には1本の道があるだけで、青い空と若緑の草原と茶色の道以外のものは一切描かれていない。非常にシンプルな構図であり、その構図から作者の他の多くの作品と比べても初々しさを感じるとともに、1本の道に象徴されるようにこれから行くべき方向を確固と決意したような、迷いのない意思の強さが伝わってくる。


この絵画の講評(*1)には「作者自身の戦後の出発を象徴するとともに、近代的な造形感覚にいかに精神性を投影するかという戦後日本画の課題に、ひとつの方向を示した作品」とある。長い戦争の間に、文化的思想が抑圧されたとともに、敗戦直後はそれまでの日本文化や慣習が批判され、西洋文化が偏重されていたなか、日本画もまた他の日本文化と同じように、これからのあり方を厳しく問い直されていた。そのようななかで、多くの日本画家たちが西洋の近代的な造詣思考を学びながらも、伝統とは何か、そこからいかに新しい日本画を創造するかを模索し取り組んでいた。このような時代において東山魁夷の「道」は敗戦後の日本画の進むべき道を暗示している作品となったといわれている。
慶應MCC定例講演会『夕学五十講』2005年度前期に開催された日本画家・千住博氏の講演の中で、千住氏が「芸術とはコミュニケーションである」と強調されていたのが特に印象に残っている。
絵画や彫刻といった作品に芸術家はさまざまな思いを込める。個人的な思いとともに、その作品を製作しているときの時代の流れ、社会の風潮、国のあり方など、ある時はその時代に愛をこめ、時には意識的に批判的な視点を含み、芸術家達は作品を創りあげる。そして、作品を鑑賞する側である私たちもまたその作品にさまざまな思いを込めて作品を眺め、楽しむ。作品のなかのある風景から、小さかった頃の出来事がふと浮かんだり、家族を思い出したり、また自分の今までの出来事を見つめなおしたり、これからの事を考えたりと。
ひとつの芸術作品を通して、作者と鑑賞者は時代を超えて対話をする。さらには、美術評論家の評論や作品の解説を読み、その作品に対する理解を一段と深めることにより、それらを通して作品の良さを知ることもある。芸術家、鑑賞者、評論家・・・ひとつの作品を通して、時代を超えた対話が幾重にも繰り広げられる。
東山魁夷の「道」を観るたびに、私は清々しい気持ちになる。私にとってこの作品は、自分の奥底にある鬱屈した気持ちなど取り払い、目の前に伸びる道に飛び込み歩んでいこうという気分にさせてくれる。絵画を鑑賞することにより、私は作者のこの作品を創ったときの気持ちを思い、時代を思う。そして、今の自分を考える。絵画を鑑賞することは、慌しい日々の中で少し立ち止まって考えることのできる貴重な時間かもしれない。
日本には、芸術とゆっくりと対話のできる美術館はまだまだ少ないように思う。人気芸術家の企画展などは黒山の人だかりを見に行くようなものであり、下手をすれば、人が多すぎて、絵を正面からきちんと観ることすらできないことがよくある。ある程度のスペースが確保され、自分の好きな作品の前に立ち止まってじっくり眺めることができ、横から、斜めから、時には座って鑑賞できる場所が望ましい。
ここ丸の内の近くには、作品とゆっくり対話のできる、落ち着いた美術館がある。東京国立近代美術館である。2~4階にある常設展では、明治・大正から現代まで近代日本の美術作品を中心に、膨大な所蔵品の中から随時200点以上もの作品が並べられている。東山魁夷「道」もここに所蔵されている。また、各階にある休憩コーナーから見える皇居の生い茂った緑もまた素晴らしい。鑑賞で疲れた目を休めてくれる。これから秋も深まると、そこから見える木々も紅葉となり、また違った趣を与えてくれるに違いない。
忙しくいつも何かに追われているように感じる毎日のなかで、日々の生活に流されないためにも、芸術家達とのみならず、自分自身とも対話をする時として絵画を鑑賞する時間をつくり出すのも一考かもしれない。ぜひともお気に入りの美術館を見つけ足を運ぶのをおすすめする。
前述の千住氏曰く「アートとは答えではなく問いかけ」だそうだ。芸術を鑑賞することにより、そこから発せられるメッセージに耳を傾け、自分の中で、それらメッセージから感じることに色々と思いをめぐらす。そのように内省をすることにより、時には、今まで気づかなかった自分の一面と向き合うことすらある。芸術を鑑賞するとは、芸術との対話だけでなく、自分自身との対話でもあるのかもしれない。自分の内なる声に意識的に耳を傾けることにより、今の自分への理解を深める。おそらく、同じ絵画を観ても、昨年と今年とではその絵から感じる内なる声は変化しているのだろう。芸術との対話を通して、自分自身を見つめる時間をこれからも大切にしていきたい。
*1「東京国立近代美術館 ギャラリーガイド 近代日本美術のあゆみ」(東京国立近代美術館編集、2002年)、64ページより
(保谷範子)

東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1 http://www.momat.go.jp/

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