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今月の1冊

2005年11月08日

山本 健吉『俳句鑑賞歳時記』

俳句鑑賞歳時記
著:山本 健吉 ; 出版社:角川書店(角川ソフィア文庫) ; 発行年月:2000年2月; 本体価格:857円税抜

過日、自宅のベランダに精霊バッタが飛び込んできた。子供の頃、草茫々の原っぱの中で、一緒に跳び回っていた旧友である。
思わぬ再会にバタバタと駆け寄った刹那、彼の後ろ肢が僅かに沈んだ。
そして、見事な跳躍。キチキチキチという鳴き声が宙を翔けて行く。
突然、一つの句が蘇った。

『しづかなる力満ちゆきばったとぶ』

はて、誰の句であったろうか。
眼前の出来事と古の名句が交錯した感動を胸に、本屋へと走った。

本書は、季語に従って分類された俳句を一句一句鑑賞していくという、極めてシンプルな様式をとっている。
春~冬、新年という5つの季節毎にまとめられた俳句は682句。
鑑賞文の中には、作家が同時期に詠んだ句や、対比句なども紹介されているので、実際には1000句近くが掲載されているものと思われる。

既に5版を重ねているということは、安定的な読者がいるという証である。
ふとした好奇心から、書店の方にPOSデータを叩いてもらったところ、2月と8月に限って、売上が1.5~1.8倍程度増えているということがわかった。
春と秋を待ちわびつつ、一捻りといったところであろうか。

目次をめくりつつ、まずは386ある季語を眺めてみる。
柳田国男は、季語を『俳句という群の芸術における結び目である』と述べた。
今日の読者が明日は作者になりうる、いわば仲間内の芸術として発展してきた俳句では、季語が共通理解のためのツールであり、共同性のシンボルでもあったという説である。

確かに、「万愚節」(バングセツ~エイプリルフールのこと)「虎落笛」(モガリブエ~冬の烈しい風が柵や竹垣に吹きあたって出る笛のような音)
といった言葉を見ていると、表現の巧みさに驚きつつも、符丁めいた、ある種の閉鎖性を感じざるをえない。

凡例を経て本文に至ると、巨匠松尾芭蕉と4Sの筆頭、水原秋桜子の句が出迎えてくれる。
こういった、時代を超えたスーパースターの競演は、読者の支持を得られ易い仕掛けであるが、反面、一貫した流れを損ないがちである。

そのマイナス面を補って余りあるのが、珠玉の鑑賞文を寄せているこの本の著者、山本健吉である。
「俳句を論ずる人は立派な作家であるべきだ」と断じた高浜虚子が唯一認めた俳句評論家である彼は、読売文学賞の常連であり、洒脱なエッセイストとしても有名であった。(蛇足だが、さだまさしの事実上の処女小説集『さまざまな季節に』(文藝春秋社、1981年)の解説では、世阿弥を引き合いに出しつつ、独自のさだまさし歌論を展開している。)17文字の日本語を、躍動感溢れる映像や一幅の静物画にしたててしまう洞察力と表現力は、彼が世に送り出した当時無名の作家達との切磋琢磨によって培われた。

論文「挨拶と滑稽」(1946年)の中で、彼はこう述べている。『僕の俳句への理解も、言ってみれば、草田男・楸邨・波響氏等が独自の世界と風格とを形成しつつあったのと、ほぼ歩みを合わせて、成熟していったのだ』。

例えば、私が立冬の日に卒然として思い出した、山本の盟友加藤楸邨の句は、次のように鑑賞されている。

『草の葉にとまった一匹のばったに眼をとめている。ばったは何か危険な気配を感じたのか、踏んばった四肢に静かに力が満ちてきて、今にも飛ぶよと息をひそめている瞬間、ぱっと勢いよく跳躍する。昆虫と自分とが向かい合った一瞬間の呼吸合いを正確にとらえている。句の調子も、徐々に強まり切迫して行った呼吸が、座五の促音に至ってみごとに転換し終止している。小動物そのものに対する作者の凝視、さらに動物そのものへの「感合浸滲」が生み出した佳句である。』(本書216頁)

これなどは、作者が意図した以上の奥深さを湛える名文であり、名句を更に惹きたてる効果をもたらしていると言えよう。
本書のもう一つの愉しみは、高名な文筆家の句が多く記載されていることである。

『水涕や鼻の先だけ暮れ残る』 芥川龍之介
『月に行く漱石妻を忘れたり』 夏目漱石

どうやら、小説の作風は俳句にも受け継がれるものらしい。

巻末にある作者別索引を駆使して、泉鏡花の幽玄・永井荷風の断腸亭風・室生犀星の叙情といった共通点を探るのも一興であろう。 
文末の解説において平井照敏氏が「俳人一読の一書」と記しているが、素人の私でも充分堪能できる一冊であった。
生と死を対比した句も多いので、読後感を陰鬱にしないためにも、出来れば明るい陽射しのもと、ゆっくりと言葉を噛みしめることをお勧めしたい。

(黒田恭一)

俳句鑑賞歳時記』角川書店(角川ソフィア文庫)

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