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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2005年12月13日

『脳と仮想』

著者:茂木健一郎
出版社:新潮社; ISBN: 4104702013
本体価格:1,500円(税込:1,575円); ページ数:222
書籍詳細

「ねぇ、サンタさんていると思う? ○○ちゃんは、どう思う?」
歳末の空港のレストランで隣り合わせた家族連れの、5歳くらいの女の子が妹に問いかける声に著者は重要な問いを見つけます。
「サンタクロースは存在するか?」
著者はちょうど脳科学者としてクオリア(質感)の問題に出会い、脳から心がどのように生み出されるかという謎に取り組んで7年が経過したところでした。
この問いをきっかけの一つにして「現実」と「仮想」のなりたちについて著者の真剣な考察がはじまります。


では、その考察について、本の中で説明されている言葉によって確認していきましょう。
現在の脳科学では、心というのは、全て脳という1リットルの空間の中の1千億のニューロン活動によって引き起こされる脳内現象だということがわかっています。私たちの意識の中にあらわれるのは、全て脳内現象としての仮想であり、心は仮想空間といえます。その仮想のうち、「今、ここ」を映し出すものを、私たちは現実と呼んでいるということです。
そして、人間の体験のうち、計量できないものを現代の脳科学では「クオリア」と呼びます。例えば、私たちが「サンタクロース」を想像するとき、心の中でふさふさの白いひげをはやしたサンタクロースをぼんやりと思い浮かべることができるでしょう。そのぼんやりとした姿の質感、やさしそうな感じ、それがクオリアです。意識の中で現実に「あるもの」と区別されて把握されるものは、全てクオリアだということです。意識が働いているとき、心の中は主観的体験の様々なクオリアで満ちているといいます。
こうした脳の働きを、私たちは生まれたときからもっているのです。新生児の脳では、神経細胞が常に自発的に活動することにより「自己」「外界」「他者」「快」「不快」といった粗い分節化の中のそれぞれのカテゴリーにいくつかの仮想が立ち上がり、それが次第に複雑に多様化していくと考えられています。そのような過程の中で言葉の獲得があり、また、サンタクロースのような仮想も次第に獲得されているのです。
ここで、今、ご自分に目を向けてみてください。いかがですか。脳のイメージがあなたの仮想空間にも現れているのではないでしょうか。
頭蓋骨の中の1リットルの脳、グロテスクにも見えますが、いとおしい存在となってはいませんか。
この脳と仮想のしくみを考えたとき、私には映画「マトリックス」の主人公が思い起こされます。冒頭シーン、実際はカプセルの中で培養されていながら、情報をコンピュータからケーブルで送り込まれ、彼は覚めない夢を見ています。現実と思っているのは実はバーチャルの世界です。「目覚め」のあと、救世主と予言された彼はバーチャルの世界でコンピュータに戦いを挑むというあらすじです。その「目覚め」前の彼の体験がコンピュータの操作によるもので主観的体験ではないという大きな違いはありますが、彼自身が“脳”そのもののように、夢が“仮想”に重なるように思えます。
それでは、著者の考察にもどりましょう。
著者は、仮想から現実を認識する脳のしくみを次のように考察しています。脳内現象である「私」という意識の範囲は、脳という神経細胞のかたまりから身体中にはりめぐらされた神経細胞のネットワークの終わるところまでです。ネットワークの外である広大な外界の間には物理的な「断絶」が存在し、だから、私たちは「現実自体」を知り得ません。この断絶の絶望的な状況に気づかずに現実を認識できるのは、私たちの脳が進化の過程で断絶を乗り越えるしくみとして感覚器を発展させ、コミュニケーションの獲得後は「他者の心」という仮想を生み出してきたからだといいます。
「今、ここ」で、私たちは「もの」を、神経細胞の活動の時空間パターンが作り出す表象を通して把握しています。現実感は、視覚や触覚など複数の感覚器からの情報の一致がもたらしているのです。そして、現実感に一層リアリティを与えるものが他者の存在です。「他者の心」とは、「もの自体」としては「断絶」している他者の脳の中に宿った他者の心の存在を、自分の心との類推において推しはかったときに生まれてくる仮想をいいます。他者とつながることは生存の可能性を高め、生命をつなぐことです。私たちは「断絶」を超えて、「他者の心」という仮想を生み出しているといえるのです。
意識は、物理的空間も、決して知りえない他者の心も含む仮想空間をつくり出し、現実を認識しようとするのです。
そして、未来は仮想であり、過去の仮想を支えているのは記憶です。脈々と続く歴史の中で祖先から現代にいたる仮想の積み重ねは、近くはトピックスとして記憶に残りますが、その他膨大な「思い出せない記憶」は、私たちに危険を避けるための「安全地帯」を与えてくれているといいます。それを、私たちは文化という形で世代を超え伝え続けます。そこでは、ある時代の仮想が次の時代の仮想の原型となり、その積み重ねとしての「仮想の系譜」が、私たちが言葉に託す仮想のイメージを決定していると著者は考えます。
サンタクロースもまた、ヨーロッパのそれを受け入れつつ日本人独特の何かが付け加わって、現代の日本におけるサンタクロースという仮想が出来上がっているのです。
近代科学の世界観は、さまざまな物質からなる現実の世界こそが、この世で唯一の確実な存在であるというものでした。意識は存在しない、科学の対象にはならないと、ずっとタブー視されてきたようです。
しかし、著者は、仮想の中の「今、ここ」の写しでしかない現実の世界よりも、自らの脳に意思が宿る、この事実のほうが確実なことではないかと主張します。
そして、これまでの考察の上に立ち、有限の現実世界と無限の仮想世界の両者の中で生きることが運命だとするならば、そのダブルバインド(二重拘束)の状況からくみあげることのできる喜びを、感謝を込めて味わうべきなのだろうと。
私たちは、様々な仮想に導かれてこの現実の世界を生き、やがて死んでいく。その先に何があるのか、誰も知らない。と結んでいます。
サンタクロースという仮想の現れ方、その私たちの現実生活への作用のしかたの中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならないなにものかがあるようです。
「サンタクロースは存在するのか?」
著者はその素朴な疑問の中に、近代の終わりのあとに何が来るのかの鍵が隠されているような気がするとあとがきに書いています。
人間にとって仮想というものが持つ意味とは、現実との接触の中で傷を受ける私たちの魂の癒しなのでしょうか。著者の考察はこれからも続くのでしょう。
最後に、少しこの本を手に取った経緯をお話ししたいと思います。
著者が小林秀雄賞を受賞したという新聞記事を目にし、まず関心を持ちました。そのときは「仮想」という言葉にとらわれたように思います。ファンタジーが大好きであったため、なにがしかの期待を持って書店に出向き、一度は手に取って止めました。分かりにくそうな印象を受けたからです。
それでも、きっと脳の不思議を理解するためのなにかがあるはずだとの予感がありました。
それは、1年ほど前からでしょうか。75歳になる母が大腿骨を骨折、手術と、入院するたびに様子がおかしくなり、自分の住まいに違和感を感じたり、亡くなった祖父が見えたりと、不思議なことを言い始めたのです。20年ほど前にはくも膜下出血で入院し、このときは花畑を抜けて三途の川まで行くという臨死体験までしていながら復活した母です。骨折で入院中のトイレに行く時、母には便器の上に女神が見えたそうです。心の中で「どうかたどり着けますように、私に羽を下さい・・・」と痛みをこらえての移動の時です。その女神の姿が浮かぶ切実さは想像でしか私には理解することはできませんでしたし、言葉には語りつくせないものがありました。それは、まさに母にとっての仮想であったと感じています。「もうこの足を切って!」と痛みに耐えかねて何度もそう言っていたのを思い出しながら、この本を読み終えました。予感はあたりました。母の心に寄り添ったとき、著者に共感をすることができましたし、脳の働きを理解することができたと思います。
購入動機の話もふくめ、長くなって恐縮ですが、知的興奮を得た本を紹介できて幸いです。
(鳥場久子)

脳と仮想

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