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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2007年03月13日

映画『世界最速のインディアン(the World’s Fastest Indian)』

新宿テアトルタイムズスクエア、109シネマズ川崎などで上映中
作品詳細

バート・マンロー、63歳。マンローの愛車“インディアン・スカウト”、 1920年式のモーターサイクル、43歳。
マンローと“インディアン”の世界最速記録、1962年のファーストラン、時速288km。この1,000CC以下クラスの世界最速記録を、マンローはその後もぬり変え続け、1967年の295.44km(片道走行では305.89km。非公式では331km。)はなんと現在も破られていません。ここに、マンローが成し遂げたことの大きさと、マンローの夢の強さがあります。


物語は、マンローがニュージーランドの片田舎で、“インディアン”の部品を創意工夫して手作りし、エンジンを改良しては、砂浜でスピードに挑戦するところから始まり、ボンネビルで初めて世界最速記録を達成するまでが描かれています。マンロー演じるアンソニー・ホプキンスの人間味あふれる素晴らしい演技と、ボンネビルを走るインディアンの迫力が印象的な、あたたかみがあり勇気づけられる作品です。
マンローには、応援してくれる仲間や隣人こそいてももちろんチームなどはなく、最低限の資金で単身、海を渡ります。米国大陸は広大で、ボンネビルまでの道のりは長くトラブルの連続です。ようやく到着したところで、登録申請をしていなかったマンローは競技には出場できないと断られてしまいます(ちなみにこのボンネビルは、米国ユタ州ソルトレイクにあり、塩の湖が乾いた真っ平な広大な台地では数々のタイムトライアルが行われる土地です)。
当時は今以上に、海外への渡航もモータースポーツも、限られた大変裕福な人たちに許される道楽。最低限の資金をようやく工面し、料理人になることで船に乗せてもらい、“インディアン”を引きながらボンネビルまで自分で車を運転して向かったマンローにとっては、楽しみではなく、苦しくても諦めたくない夢が支えだったことでしょう。
さて、このように、マンローの挑戦がどれだけ困難なものであったのか、そしてそれを支えるマンローの夢はいかに大きく強いものであったのか、予想もしないできごととそれをなんとか乗り越える彼の姿から、ひしひしと伝わってきます。しかしマンローの夢は、出会う人々に幾度となく助けられ、応援され、さらに女性にもモテ、実現へと向かいます。マンローの夢への強い思いと、多くの人々のあたたかな心に、とても感動します。
そしてこのマンローの物語に、希望について思いました。
困難な状況にある時、その事実を受け入れるのは、「負けではなく決断だ」とは、玄田有史先生編著の『希望学』の一文です。 決断が次のステップの始まりになり、次へ前へ進もうという“希望”へとつながるのです。それだけに、「人生のなかで挫折したことがある人のほうが現在も希望を持つ傾向にある」のでしょう。困難な時に希望を持つことはとても難しいかもしれません。しかし困難だからこそ、希望が必要でもあり、希望が強くもあるのです。
伝記によると、マンローはニュージーランドの農場の家に生まれ育った、機械が大好きな少年でした。その機械好きは大砲(当時世界大戦中)やグライダーを手作りしてしまうほどでしたが、父親の反対に合っては幾度となく諦める従順な子供でもありました。そんなマンローがモーターサイクルに出会ったのは 16歳の時。近所の人が英国製のモーターサイクルを買い家に遊びに来たのでした。
いつか乗りたい、しかし父親が理由がなければ許してはくれないとわかっていました。そんなマンローにチャンスがやって来ます。親戚を迎えに行く時になって車が壊れてしまい、マンローはモーターサイクルを借りることを父親に提案します。初めは渋っていた父親も他に方法がないと諦めて承諾し、マンローは事情を説明してモーターサイクルを借り、乗り方を教わって、初めてモーターサイクルにまたがったのでした。当時のマンローにとって簡単なことではなかったはずです。マンローは、モーターサイクルと出会った時から、困難だからこそ希望を持ち、夢を実現する方法を考え、挑戦していたのだと思います。
そして映画には、マンローがこの夢と希望を生涯持ち続け、追い続けた姿が描かれています。人々は、マンローと彼の夢に出会い、関わり、惹きつけられ、力になりたいと思う。その源泉は、マンローのもつ夢の強さであり、それを語るマンローの言葉であり、行動であり、マンローの人間的魅力であるのだと思いました。
現在の豊かな社会では、希望を持つことは難しくなっていると思います。オートバイに乗りたいと思えば比較的簡単に実現できてしまいますが、反対に、レーサーになりたいと思っても実現可能性が低いことにすぐに気づき簡単に諦めもするのです。自身の感性よりも、社会の中にある客観的尺度と比べられて、仮に希望をもってもすぐに諦め捨てることも多いことでしょう。しかしだからこそもう一度、純粋に希望の強さを見直したい、そして、夢実現のために方法を考え努力するマンローに学びたいと思いました。
マンローには希望があったから、年齢も資金も時代もどんな困難もマンローの夢を阻まなかったのでしょう。そしてそれが、マンローの人間的魅力でもあったことでしょう。皆さんも、そんなマンローを映画で感じてみてはいかがでしょうか。
(湯川真理)

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