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『トンカチと花将軍』

2008年07月08日

著者:舟崎克彦、舟崎靖子 ; 出版社:福音館書店 ; 発行年月:2002年6月; ISBN:9784834018110; 本体価格:600円(税込630円)
書籍詳細

数年前まで、夏、冬の長い休みの前には、子供たちに本を買い与えていた。
残念ながら私のセレクトは彼女たちにはあまり評判がよろしくなかった。子供の頃の私が夢中で呼んだ戸川幸夫や椋鳩十の動物小説はうけが悪く、これも私の好みだった偉人伝記モノにも関心が薄かった。『フランダースの犬』や『小公女』などは「可哀想で読んでいられない」と訴えてきたものだ。
そんな中で、長女、次女ともにいたく気にいったのが『トンカチと花将軍』である。日本には稀なナンセンス・テールの傑作と言われているらしい。


私がこの本を読んだのは、小学校4年生頃ではなかったか。ストーリーはすっかり忘れてしまっていたが、夢中になって読んだ記憶だけが鮮やかに残っている。
何年か前の夏に、書店の児童書コーナーで、この本を見つけた時、あの時の懐かしい感動がよみがえり、買い求めた。
著者は舟崎克彦・靖子夫妻である。この拙文を書くにあたって調べたところ、舟崎氏は、日本を代表する童話作家だという。そのデビュー作が、この『トンカチと花将軍』で、出版されたのは1971年とのこと。ということは、私が読んだ時期は、出版されて間もない頃ということになる。
「かたいっぽうが先行して書いたあと、それにもういっぽうが手を入れる。そのあと、またもうひとりが筆を加えるというふうにしていました」(『現代児童文学作家対談5』偕成社、1989)という舟崎氏の回想が残されている。
あらためて、ページを捲ってみた。
ある日、町から花が姿を消してしまった。トンカチは、想いを寄せるさくらちゃんの誕生日に花を贈るために、愛犬のサヨナラを連れて、「広っぱの向こう」に、花を探しにでかける。ところが、サヨナラは「広っぱの向こう」に広がる森の中に走りこんで姿を消してしまう。サヨナラを追って森に迷い込んだトンカチは、森の奥にある広大な花畑に迷い込み、そこで不思議な体験をする...
そんなストーリーだが、ナンセンス・テールというだけあって、物語の展開は奇想天外で、脈略がない。
花畑には、花将軍と名乗るおじさんを中心に、ヨジゲンという名のシャムネコ、トマトと呼ばれるアライグマ、ブンブンというクマなどが一家をなし、巨木の中で暮らしている。彼らに共通するのは、楽天的な性格と、いたって気の良い人柄(動物柄?)である。花将軍は、世界中の花を集めているらしい。町から花がなくなったのは彼の仕業だった。ヨジゲン(シャムネコ)は、花将軍が集めた花をドライフラワーに仕上げ、永遠の命を与えることを日課にしている。トマト(アライグマ)は、毎日、花の球根をキレイに洗い、いつでも美しい花が咲くように準備に余念がない。
トンカチは彼らの家に居候しながら、サヨナラを探すことにするが、彼らも「サヨナラ探し」に力を貸しながら、トンカチとの不思議な体験を楽しんでいるようでもある。広大な花畑には、花将軍ファミリー以外にも、おばけのウイラーや、リンゴー&ジャンゴというカラス二羽組など、自分勝手でいたずら好きながら、なぜか憎めない不思議な魅力のキャラクターが散りばめられている。
皆、自分の癖があり、その癖ゆえに、他人に少しずつ迷惑をかけている。
花将軍は、世界中の花を集めてしまう。ヨジゲン(シャムネコ)は、外出にはひどく臆病で、すぐに気を失ってしまう。ウイラーは、絶えず人を驚かし、惑わせる。
自分が他者に迷惑をかけていることを自覚しているせいなのか、他者にはひどく寛容で、多少の迷惑をどこかで楽しみながら、愉快に日々を暮らしている。花畑とはそんな桃源郷のような世界である。
舟崎夫妻は、トンカチや花将軍たちの不思議体験を脈略なく書き連ねながら、ところどころに、大人にも響く珠玉の言葉を、そっと忍び込ませている。
「大切なものは、いつも一番身近なところにある」
「必要なものどうしは、いつか必ず出会うことができる」
「気持ちは誰にだってあるんだ。人にだって、鳥にだって、花にだって、おばけにだってさ」

そんな言葉を紐帯に、仲間たちは友情を深め、勇気を与え合っていく。
私が、そして子供たちが惹かれたのは、きっとこの辺りに違いない。
トンカチは、仲間たちと不思議な体験を続けながら、サヨナラのことを忘れることができない。やがて、サヨナラが、花畑にあって唯一の暗闇である「もしもしの森」に迷い込んだことを確信し、ひとりで救出に向かうことを宣言する。そこは、迷い込んだら二度と戻れないという「闇の世界」であった。
花将軍は、トンカチの言葉に驚きながらも、その決意にこころを打たれ、自らを鼓舞するように、「皆で一緒に行こう」とファミリーに呼び掛ける。ファミリーはもちろん、カラス二羽組やおばけウイラーも同行を約束する。
「もしもしの森」には、巨大なミミズクが住んでいた。大ミミズクは、「もしもしの森」に迷い込んだサヨナラを唯一の友として、手元に置いて、暗闇の寂しさを紛らわせていたのだ。
花将軍たちは、サヨナラをトンカチのもとに返してあげるべきだと大ミミズクを説得する。大ミミズクは、自分の「幸福」のためにはサヨナラが必要だと主張し、忠告に耳を貸そうとしない。
舟崎夫妻は、大ミミズクを、人間だれもが持っている、小さな「エゴイズム」の象徴として描いているのだ。
花畑の住人たちは、皆、なんらかの「エゴ」を抱えている。その「エゴ」は、周囲に小さな迷惑をかけることがある。
花畑の住人たちは、他者の「エゴ」が、許容出来る範囲にある限りは、寛容で温かく見守っている。しかし、誰かの「エゴ」がある一線を越えた時、花畑という共同体の秩序は、危機を迎えることになる。彼らの「幸福」は、実は、ギリギリの危うい線上に保たれていたのである。
「幸福とは誰のものでもない。皆のものだ」
「君がほんとうに幸福なら、ぼくらも幸福なはずじゃないか」

トンカチの訴えは、大ミミズクのみならず、花将軍や仲間達のこころにも強く響くものだった。
花将軍達は、飛ぶことを忘れていたミミズクに、翼を広げて飛び立ち、森の外に出ることをすすめる。森の外に広がる明るい花畑で、自分たちの仲間に加わればよいと...。
世界を変えるのは、実はたいそうなことではない。
ほんのちょっとした知恵、すこしばかりの勇気、そして支え合う仲間達の存在。それを忘れないでいて欲しい。
舟崎夫妻が、クライマックスに込めた想いは、そんな願いではなかったのだろうか。
大ミミズクが、翼を広げ、森を飛び立つと同時に、花将軍と仲間達は大きな歓声を上げ、その声とともに、自らの姿を消した。トンカチとサヨナラだけが残された。
町には、花が戻り、いつもの賑やかさを取り戻していた。
かつて私のこころを揺さぶった『トンカチと花将軍』は、30年の時を経て、いまの子供たちのこころをも捉えたようだ。長女から次女へと受け継がれたこの本も、いまでは次女の本棚の片隅で静かな時間を過ごしている。やがてその感動も、彼女たちの記憶庫の奥底にしまい込まれ、長い眠りの時を迎えるに違いない。かつての私がそうだったように。
はたして、彼女たちは30年後に、この本の感動を思い出してくれるだろうか。
きっとそうあって欲しいと願う。
(城取一成)

トンカチと花将軍』(福音館書店)

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