今月の1冊
2008年11月11日
『王妃の離婚』
著:佐藤賢一 ; 出版社:集英社(集英社文庫) ; 発行年月:2002年5月 ; ISBN:9784087474435; 本体価格:720円 (税込)
書籍詳細
第121回直木賞受賞作品ですので、すでに読んだ方も多いかもしれません。
私とこの本との出会いは、3年ほど前。当時、劇作家養成学校に通っておりまして、講師の先生から、とてもドラマチックな内容なので舞台化したらおもしろいのではと、課題の1つとして脚色を薦められたことがきっかけでした。
新王が、妻を戴冠式にも呼ばず、即位後最初に着手した事業が、なんと、その妻ジャンヌ王妃との離婚裁判だったという、スキャンダラスな事件。
王妃を弁護することとなった、反骨精神溢れる弁護士の主人公フランソワ。
法廷モノの醍醐味である、小気味良い答弁と逆転劇。
痛快なストーリー展開がとても魅力的で、実際に私も、起承転結においての劇的さを重視した作品として脚色をしました。
しかし、自分の作品を読み返すと、佐藤賢一さんの小説の良さを半分も活かせていないのです。もちろん、私の表現力不足もあるでしょう。でも、それだけが原因ではないように思えました。
私の作品には、物語の裏に隠れている人間ドラマが欠けていたのです。
そして私は、この拙い脚色作品のお陰で、小説「王妃の離婚」は、人間ドラマがあるからこそ読む人を惹きつけているのだと気が付くこととなりました。
この“人間ドラマ”の大きな要素の1つが、コンプレックスだと私は思います。
王妃ジャンヌと弁護士フランソワ VS フランス国王ルイ。
この戦いを通して、それぞれのコンプレックスが見え隠れします。
ジャンヌ王妃のコンプレックスは、「醜い」ということです。
彼女の容姿は十人並みでしたが、足を引きずってしまう障害がありました。昔は、今よりも、立ち振る舞いというものが重視されていた世の中ですので、1歩1歩肩を落としながら歩く姿は、女性にとってかなりのマイナスだったに違いありません。しかも、彼女は、「王女」、「王妃」という立場。国民から注目を浴びる存在であるからこそ、自分の醜さにひどく劣等感を抱いたのではないでしょうか。
さらには、それが原因で、ジャンヌ王妃は夫から離婚を要求されてしまいます。カトリック教は、離婚を禁じているため、「新王ルイは、ジャンヌの父であり暴君と謳われた前王に強制され、泣く泣く、形ばかりの結婚式を挙げたが、王妃が醜いゆえ、真の結婚などしていない(つまり、夫婦生活がない)。父王亡き今こそ、結婚の無効取消を求める」という訴えを起こされたのです。
結婚後、22年もの月日が流れているのに、一度も真の結婚生活をしたことがないと言われ、しかもその理由に自らの醜さを挙げられてしまった王妃。その心の傷は、想像を絶するものです。
しかし、彼女は取り乱すことなく裁判所に出頭します。そして、王妃と思えない程の地味な風貌でありながらも、その姿は凜としており、真の結婚の有無を問う為に、国民の前でえげつない質問をされても動じず、心の強さを感じさせる振る舞いを見せます。
これは、ジャンヌ王妃が自らの劣等感を認め、受け入れていることで、自分のコンプレックスと向き合っていたからこそ、できることではないでしょうか。
また、ジャンヌ王妃は、結婚後、夫とは別居しており、森の中の古城で、自分の姿を誰の目にも触れさせることなく、ひっそりと暮らしていました。
しかし、これも自分のコンプレックスを隠す為ではなく、「醜い」妻を持ってしまった夫を想うが故の行動であり、年に数度しか夫と過ごせなくとも、それが自分には「分相応」だと思うことできた、悲しいけれど、とても強い女性なのだと思います。
だからこそ、その「分相応」さえも否定されてしまうと、自分の中で保ってきたバランスが崩れてしまう、コンプレックスに押しつぶされてしまうと感じ、彼女は、離婚要求を拒否し、裁判に持ち込んだのではないでしょうか。
王妃は自分にとっての唯一の「支え」を守るために、愛する夫と戦うこととなったのです。
逆に、ジャンヌに離婚を突きつけた新王ルイは、「身分」というコンプレックスを抱いていました。新王ルイは、本家筋に男子が途絶えたので王位を継承できたものの、結婚当時は国王の娘を妻とした格下の夫でした。彼は、自分のコンプレックスと向き合えず、虚勢を張ることでしかコンプレックスを隠すことができなかったため、ジャンヌ王妃へ、必要以上の冷遇を強いたのだと考えられます。彼女への負の感情は、「醜さ」だけが原因ではなかったのではないでしょうか。
フランソワについては、将来を期待されていたパリ随一の学生でした。しかし、論文の為に調べていた過去の裁判に前国王の不正を見つけ、王家からの再三の忠告(脅し)にも拘わらず追究した為、国王の近衛兵に捕らえられ、パリから追放された過去を持っています。
自らの正義感の為、明るい未来と恋人を失った男は、自分の青春時代への悔いとともに、近衛兵に捕らわれた時に負った、誰にも言えない“ある劣等感”を密かに抱いていました。
そんな彼は、新王が起こした離婚裁判が、不正だらけの全くの茶番劇であることを目の当たりにします。自分の権力を利用して、判事を自分の寵臣と定め、王妃側の証人さえも寝返らせ、真実を闇に葬ろうとしている新王ルイ。フランソワはそんな国王に挑むことで、無くした青春を取り戻そうと、王妃の弁護士を買って出るのです。
そして、ジャンヌ王妃と一緒に離婚裁判を戦うことで、今まで蓋をしていた自分の青春時代への悔いを少しずつ認めていきますが、肝心の、彼にとっての一番の“コンプレックス”とは、なかなか向き合うことができずにいます。
三人三様のコンプレックス・・・。
物語の結末は、これから読む方の為に伏せておきますが、コンプレックスという点においては、ジャンヌ王妃、フランソワとも「勝つ」ことができます。
「コンプレックス」というと、例えば美容家のIKKOさんが性の悩み、容姿の悩み、訛の悩みを糧にしてサクセスストーリーを歩まれているように、成功要因の1つだと思われがちですし、どらちかというと負けず嫌いの私も、コンプレックスをバネにできないことは自分が弱いからだと考える方でした。
しかし、ジャンヌ王妃は、なにくそ根性を前面に押し出して、その権力を振るい、超一流の名医を探させ、足の手術をし、お金を惜しまず自分を飾り立てることで、新王ルイの心を取り戻したり、あるいは、「醜い」と侮辱した新王ルイから王位を剥奪し、前王の娘である自分が女王となることで、新王ルイへの復習を果たしたりはしません。
ましてや、フランソワにおいては、どんなにがんばっても、失われた過去を取り戻す方法など残念ながら1つもありません。
コンプレックスを力に変えることはもちろん、素晴らしいと思います。でも、1番大切で、かつ、1番難しいことは、自分のコンプレックスを認め受け入れさらけ出すことではないでしょうか。
『王妃の離婚』は、それを私に気づかせてくれた1冊です。
誰もがコンプレックスを持っていますし、誰もがそのコンプレックスと上手く付き合いたいと思っているはずです。
裁判の行方とともに、ジャンヌ王妃がどのようにコンプレックスと向き合う為の「支え」を守るか、フランソワがどのようにコンプレックスを克服するのかもぜひ注目していただきながら、この素晴らしい裁判劇を楽しんでいただけたらと思います。
(藤野あゆみ)
『王女の離婚』(集英社文庫)
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