夕学レポート
2014年09月09日
菊澤 研宗「いまこそ経営に哲学を!」
菊澤氏はカリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院の客員研究員として米国に2年間滞在され、この3月に帰国されたばかりです。米国の学術・ビジネス分野の現状を直接体験された菊澤氏によれば、米国では近年、「科学主義」が台頭しているそうです。
科学主義とは、調査や実験によりデータを収集して主に統計的な分析を行い、数量的・客観的に理論の検証を行うアプローチをいいます。この科学主義が台頭していることにより、研究対象となる事象に対し、データ分析して数量的に実証していない理論や考え方は’科学的でない’として、あまり高い評価を受けない状況になっているそうです。
理工系の学問ではもともと数量的に実証する科学的アプローチが前提です。しかし、現在は数量的な分析がなじみにくい人文系の学問や経営学についても、科学主義への傾倒が起きているのです。そして、人間の純粋な「思索」から生み出される世界観や価値観等を体系化した「哲学」でさえ科学化すべき、という流れになっているのだそうです。
しかし、菊澤氏は、混迷し、先の見えない時代に必要なのは、米国流の科学主義的マネジメントではなく、「哲学」であると考えています。なぜなら、科学だけではすべての領域をカバーできず、科学的な知識を補完する役割として哲学が必要だからです。菊澤氏は、この論点を「科学主義敗北の歴史」を語ることを通じてより詳しく解説してくれました。
かつて、20世紀の初頭にも、ウィーンを中心に、哲学を排除し、あらゆることを科学化しようとする動きがありました。彼らはウィーン学団と呼ばれ、例えば、ヴィトゲンシュタインは、実際に存在する「モノ・コト(実在)」と対応する言明のみが有意味であり、またバートランド・ラッセルは、五感を通じて対象を観察できるものに対する言明だけが意味があると述べました。したがって、見たり触ったりできない「概念」を扱う哲学は科学的ではなく、無意味だとされました。
また、科学主義では、「事実」や「経験」について観察し、それについての言明をたくさん集めることで普遍的な理論を導く「帰納法」が、優れて科学的な方法論として重視されました。ところが、実際に経験することができず、事実としても観察できない「哲学」の場合、帰納法による実証が不可能です。したがって、この観点からも「哲学」は非科学的であり、価値がないとして当時、抹消されかかったのだそうです。
しかしながら、帰納法的実証に立脚する科学主義は、内在する「自己矛盾」によって自滅します。カール・ポパーは、「言明と実在の一致」を証明するのは論理的に無理だと反駁しました。なぜなら、ある言明が実在と一致していることの正しさを証明するためには新たに言明が必要となり、その言明の正しさ自体も証明する必要があり、そのために再び新たな言明が必要となること、そしてその新しい言明の正しさもまた別の新しい言明によって証明されなければならないという「無限後退」のサイクルに陥ってしまうからです。つまり、科学主義的アプローチでは、いつまでたっても実在と結びつけることによる言明の有意味性や真理性は証明できないというわけです。
また、帰納法にも根本的な問題があります。たとえ100万羽のカラスを観察して「すべてのカラスは黒い」という結論(普遍的言明)を得たとしても、仮に100万1羽目のカラスが黒ではなかったとしたら、この結論は一瞬にして覆ります。すなわち、有限の観察結果から、無限の普遍的な真なる言明を論理的に導くことはできないのです。もし帰納法にこだわり、観察から真なる普遍的言明を導こうとするなら、無限の事象を観察しなければならないことになりますが、これは実行不可能なことです。ですから、帰納法でなければ科学的でないとしたら、「相対性理論」や「量子力学」でさえ、非科学的で無意味とみなさなければならなくなってしまうのです。こうして、論理実証主義である「科学主義」はその限界を露呈し、哲学は科学主義者からの抹殺を免れることになりました。
ところが、前述したように、現在、米国において科学主義が再び台頭しているということなのです。この背景のひとつには、科学技術のさらなる高度化により、観察可能な対象が増えてきたことがあるようです。例えば、医療機器の発展のおかげで、人の心理状態について脳を直接測定し、科学的に分析することが可能になったことから「脳科学」が注目を浴びています。そして、現代の科学主義者は、将来的には、哲学が扱ってきた倫理、善、美といったものも脳科学を通して分析可能となるだろうと考え、科学は、哲学、美学、倫理学を支配することができると主張しているのです。
しかし、菊澤氏は、20世紀初頭に科学主義が自滅したのと同様、今回もやはり、人文学の分野における「科学化」は失敗すると考えています。なぜなら、美学や倫理学は、経験・観察に基づくアプローチでは分析も解釈もできない世界だからです。例えば、かのドストエフスキーの、大酒飲みだった人生や行動をいくら分析したところで、彼の名作「罪と罰」の内容それ自体を説明することはできません。また、相対性理論に対する人の脳の反応を観察したからといって、相対性理論の内容を理解することにはなりません。
では、なぜ、科学主義は、とりわけ経営学の分野で勢力を増しているのでしょうか。それは優れたビジネスパーソンが学ぶMBAの教育が科学主義を重視したものになっているからだと、菊澤氏は指摘します。MBAでは未だ、企業の目的を「株主価値最大化」、あるいは「利益最大化」に置いています。こうした「最大化」を目的とするとき、実は微分積分を活用した分析が可能となり、数量的・実証的な理論、数理モデルの構築が容易になるのです。MBAの教育が「アカウンティング」や「ファイナンス」といった数値を主に扱う科目に重きが置かれているのもこうした背景があります。
しかし、すでに一度自滅している科学主義に立つMBA的な教育は、経済合理性を追求しすぎるが故に、倫理的ではない企業行動、「不条理な行動」をもたらす可能性があります。不条理とは、合理的な判断が結果として不正を犯すことになり、場合によっては企業の破たんにつながるような失敗のことです。
例えば日本では、医薬品メーカーのノバルティス社が、高血圧の治療薬の臨床研究に子会社の社員が統計解析者として関与し、論文のデータを不正に操作した疑いで追及されていますが、この事件は、新薬の安全性を検証するためのコストを削減することが優先された経済合理的マネジメントの結果です。つまり利益最大化を目指すと、合理的に安全性がないがしろにされる可能性があるということです。
菊澤氏は、米国流の科学主義的マネジメントの有効性を認めつつも、上記のような不条理を回避するためには哲学が必要だと主張します。菊澤氏は、まずカントの哲学を紹介してくれました。カントは、人間は「他律的」であると同時に「自律的」であると考えました。
他律的行動とは、上司に言われたからやる、お金をもらえるからやる、といった自分の外にある原因に反応して行動することです。これは、後ろを押すと物体が倒れるのと同じ「刺激に対する反応」行動に過ぎません。この人間の他律的側面に焦点を当てているのが「経済学」「経営学」であり、制度やお金によって人間の行動を操作できるという考えが根底にあります。したがって、他律的な行動は人間固有のものではなく、そこには「人間の尊厳」はないとカントは喝破したのです。
一方、自律的行動とは、上司の命令があろうがなかろうが、自分の意思に従い能動的に判断し行動することです。カントは、自ら始める能力、原因が外ではなく自分自身にある自律的行動を「自由意思」「自由な行動」と呼びました。自律的行動は、自分の中に原因がありますので、もし失敗したとしても、その責任は自分に帰することになります。したがって、自由意思、自由行動は常に責任を伴うものとなるのです。菊澤氏は、人間のみが持つと考えられる自律的な意思や行動を促進することで、安全性や正当性をないがしろにするような経済合理性優先の企業行動がもたらす「不条理」を解決できると考えています。
菊澤氏によれば、カントは、人間の自律性を引き出すためにはひたすら啓蒙し、実践させることが必要だと説いているそうです。カントは、人間は生まれながらして自由で自律的ではなく、むしろ他律的で責任逃れをするような存在である、したがって、人間として生まれたからには、自律的で責任を伴う道徳的な行動をすべきであるとし、自律的行動をとることは人間の「義務」であり、そこに人間の「尊厳」があると啓蒙することで、自覚と実践を促せと述べているのです。
菊澤氏はさらに、カントが主張した「自由」と「責任」の概念を経営学に持ち込んだドラッカーの「人間主義的マネジメント」の意義を説明してくれました。ドラッカーは、企業の目的を「顧客の創造」だと述べ、他律的な「利益最大化」を認めませんでした。そして、顧客の創造のため、企業トップから中間管理職、そして一般の従業員に至るまで、自己の責任に基づく自律的で自由な行動を通じてイノベーションを起こすことを求めたのです。すなわちドラッカーは、人間の他律性を利用した「命令と服従」のマネジメントだけでなく、人間の自律性を利用した「自律と責任」のマネジメントを展開するため、自律分散型組織、あるいは連邦分権制組織が有効だと主張したのです。
実は日本の企業・組織は、これまでドラッカーが説いたような人間主義的マネジメントを行ってきたと菊澤氏は指摘します。米国流の「経済合理的マネジメント」に、日本企業も大きな影響を受けてきたとは言え、日本においては今でも、自律的な行動が発揮されたと考えられる事例には事欠きません。たとえば、2011年の東日本大震災後の福島原発事故における、自らの危険を顧みない勇気ある行動を示した消防隊や自衛隊の方々は、単に命令されたから行動したわけではないだろうと菊澤氏は考えています。当時の危機的状況を、自分たちの能力が発揮できる最高の舞台だとみなし、日本のために命を投げ出す覚悟で命令とは関係なく、自律分散的に行動したのではないかと説明してくれました。
菊澤氏は最後に、改めて経済科学的な米国流マネジメントの必要性を認めつつも、経済合理性の追求がもたらす「不条理」を回避するため、カントが示した人間の自律性・自由意思を引き出す哲学的な人間主義的マネジメントの必要性を述べました。そして、先の見えない今だからこそ、人間の他律性を操作する科学的マネジメントを補完するものとして、ドラッカーが説いた「哲学的マネジメント」によって、人間の自律性を引き出すことが有効だと強調しました。菊澤氏曰く、「哲学を基礎とするマネジメント」こそが、一歩上を行く最強の経営なのです。
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