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夕学レポート

2016年01月12日

遠藤 功 「現場力を鍛える~「非凡な現場」をつくるために~」

遠藤 功
早稲田大学ビジネススクール教授、株式会社ローランド・ベルガー会長
講演日時:2015年6月17日(水)

遠藤 功

山形県鶴岡市。庄内空港から海岸沿いを車で20分ほど下ったところに加茂水族館はある。
「日本でいちばん小さく、いちばん古く、いちばん貧しかった」と遠藤教授が評するこの水族館の年間来館者は、1996年には10万人を割るほどに落ち込んでいた。

水族館とて黙ってその日を迎えたわけではない。限られた予算の中、他の水族館を真似て様々な企画展示にも取り組んだ。しかし人真似ではお客さんを振り向かせることはできなかった。翌1997年、来館者は9万2千人にまで減った。

サンゴの展示も、そんなありふれた人真似企画のひとつだった。そのサンゴから白い泡のようなものが湧き出ているのに飼育員が気づいたのは、ただの偶然だったかも知れない。しかし、それが泡でないと飼育員が見抜いた時、そこには偶然以上の何かがあった。
これはなんだろう。何かの卵ではないか?好奇心豊かな飼育員が餌を与えるうち、「泡」は成長してクラゲの姿をあらわした。せっかく生まれたのだから、と何気なく展示したそのクラゲが、遠足で訪れる近隣の子どもたちの心を見事に掴んだ。他の魚には目もくれず、クラゲの水槽にかぶりつく子どもたち。
これだ。クラゲで行こう。

戦略を決定するのが簡単だとは言わない。だが、本当に難しいのは決定した戦略を実行すること(Do)、いやそれに止まらずやり抜くこと(Penetrate)だ、と遠藤教授は言う。
クラゲの種類を増やすため漁に出る。のみならず、全国の水族館に「クラゲをください」とFAXする。気が違ったか、と同業者に噂されながら、加茂水族館は自らの信じる道をひたすらに突き進んだ。

クラゲの展示を増やして、すぐに目覚ましい効果があったわけではない。1998年の来館者は9万4千人、前年より2千人増えただけ。しかし村上龍男館長は、70万人超を記録した昨年よりも、この頃がいちばん嬉しかったと振り返る。たった2千人。でもそれは、とにかく自分たちの力で凋落を止め、数字を上向かせた、その証の2千人だった。

いまや世界一のクラゲ水族館となった加茂水族館には、日本中からお客さんが詰めかける。ギネスにも載ったその成功を追いかけようと、一時は中国の水族館が陸続と視察にやってきたらしい。だがその試みの大半は無に帰した。実は、人工的な環境でクラゲを長生きさせるのは容易なことではない。いくら数を集めても、継続的に孵化させる技術がないと、水槽はすぐにクラゲの死骸だらけになってしまう。
加茂水族館が持つクラゲの孵化技術は、学術論文の域に達している。現場が長い時間をかけて培ってきたそれは、新参者が一朝一夕に手に入れられるものではなかった。

遠藤教授は言う。「ブルーオーシャン、レッドオーシャンと言うが、永遠にブルーなオーシャンはない。遅かれ早かれライバルはやってくる。レッドに転じたオーシャンで、それでも負けないだけの現場力を備えること」
トップダウンの『ビジョン』と『戦略』、ボトムアップの『オペレーション(現場力)』。ブルーを切り拓くための要素が前者なら、レッドで負けないための条件が後者だ。そして後者、つまり「現場力」こそが日本企業の競争力の源泉である。

だがこの国の全ての現場が強さを持っているわけではない。自ら課題を解決できる「非凡な現場」は全体の1割に過ぎず、8割は業務遂行力だけの平凡な現場だというのが遠藤教授の見立てである(残り1割は業務遂行すらできない「平凡以下の現場」)。
そして真の「現場力」は、ひとり現場の努力だけで作れるものではない。そこには、現場を信頼し、鼓舞し、同じ感度を持つ「プロデューサー」が必要となる。

加茂水族館で言えば、村上館長がまさに名プロデューサーだった。「クラゲ館長」と書かれたハッピを着て来館者をもてなしながら、実は当人はクラゲには全く興味がない(会場爆笑)。クラゲに対する感度があったのは現場の飼育員のほう。でも村上館長は、その「クラゲに敏感に反応する飼育員」の姿に敏感に反応した。「現場」の発見を大切に掬い、育て上げ、やがて世界一の水族館へと「孵化」させた。

つぶれかけた水族館がクラゲで世界一になるまでの過程に、特に天才的なイノベーションがあったわけではない。あったのは少しの改善、少しの工夫、少しの成果の積み重ね。ひとつひとつの違いは小さい。しかし束ねればその差は大きい。「現場力」、という言葉では表現しきれないその力を、遠藤教授は「微差力」という言葉で説明した。「微差」であれば天才はいらない。多くの社員が貢献できる。自分も少しだけ役に立っている。その貢献感が、次なる「微差」へと現場を突き動かす。
イノベーションなどという大きな言葉で現場を委縮させる必要はない。それより、実際に現場が日々達成している小さな成果を大事にしよう。単発の、一過性のものにせず、連続的にそれを生み出させよう。そうして現場のひとりひとりが生みだす微かな差が一つの大きなうねりとなる時、その「微差力」は他社との間に決定的な差異をもたらす。

さて、世界で勝つために、どうやって「クラゲ」を見つけるか。
遠藤教授が示唆したのは「外国人の目を借りる」という方法だ。

例えば東京駅の新幹線ホーム。そこでは、JR東日本グループの清掃会社「TESSEI」の清掃員たちによる、見事な現場力を目の当たりにすることができる。「新幹線劇場」と呼ばれる7分間の見事な清掃作業。外国人観光客が拍手し、仏国鉄総裁が「輸出してほしい」と言ったその一連の作業の手際よさ。

ハーバード・ビジネス・スクールのケースにさえなった彼らはまた、単なる清掃員ではない。ホームという現場で、困っているお客様に声を掛け、その旅行の安心と安全を支えつつ、そこで感じ取った顧客の声を本部へと伝えていく。そして感度良く声を受け止めた本部が、ひとつ、またひとつと、新たな改善やサービスを現場に結晶させていく。
「私たちの仕事は清掃ではない。『おもてなし』です」
そのような自負を持ったひとりひとりが考え、行動し、解決し続ける現場。ここに、グローバルに通用する「非凡な現場」のひとつのかたちがある。

大半のクラゲは、自らは発光しない。だから水族館では、色とりどりの光を当てて、クラゲを輝かせている。
人間は違う。プロデューサーから信頼され、尊敬されることで、現場の人間は熱量を持つ。そして顧客と接し、顧客と触れ合うことで、その熱量は現場を動かし始める。やがて「平凡な現場」が、貢献感という名の光に包まれて「非凡な現場」へと進化していく。
そのための一歩は大きくなくていい。必要なのは、小さな、けれど昨日と今日を確かに分ける、しっかりとした一歩である。

(白澤健志)

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