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山本 昌「継続する心」

2016年09月13日

講演日時:2016年4月19日(火)
山本 昌
スポーツコメンテーター

山本 昌

野球人生の達人 山本昌さん

プロ野球選手として大成する人の中には、入団時はまったく無名ながら、数年後にスター選手に成長する遅咲きの一群がいる。イチロー、金本知憲、和田一浩etc。
今夜の講演者である山本昌氏も、そのひとりである。甲子園出場経験なし、ドラフトは5位指名。無名ぶりは群を抜いている。

このタイプの選手に共通する特徴はもうひとつ。いずれも現役が長いということである。
イチローは42歳でバリバリの大リーガー、金本は44歳、和田は43歳まで現役であった。
山本昌氏は、この点でも最たる存在である。なにせ50歳まで現役。あと一勝でもすればジェイミー・モイヤー(元ロッキーズ)の世界最年長勝利記録を破る、というところまで投げ続けた。

山本昌選手の野球人生には、何度かの転機があったという。転機を好機に変えたと言った方がよいかもしれない。チャンスの神様の前髪をしっかりと握ることができた人である。しかも一度ならず何度も。

才能に恵まれた選手ではなかった。中学三年の夏まで補欠だったというから驚きだ。同郷(茅ヶ崎市)に、小さい頃からエースで四番の怪童くんがいて、いつも控え投手であった。打撃も不得意だったので、野手として試合に出ることすらできなかった。
最後の大会の前に怪童くんが故障した。急遽、繰り上がりエースとして投げたその大会で県のベスト8まで勝ち残った。この姿をみた日大藤沢高校から誘いがあった。山本少年の野球人生は、ここで最初の花が開いた。

とはいえ、高校時代も甲子園には縁がなかった。プロのスカウトが来ることはない。
夏の甲子園予選が終わり、引退しようかという時に、神奈川高校選抜に選ばれた。韓国高校選抜の来日企画で、神奈川県でも選抜チームが組まれたのだ。しかも、本来のエース格である横浜商業の三浦投手が日本選抜に選ばれたために、またしても繰り上がりエースとして投げることになった。
この試合に好投したことで、初めてプロのスカウトの目に止まる。野球人生に二つの目の花が咲き、ドラゴンズに入団することになった。

「来てはいけないところに来てしまった!」
最初のキャンプで居並ぶ先輩の投球練習を見て、山本少年は愕然としたという。
なにしろ当時の中日には、小松辰雄や牛島和彦、郭源治等、速球派投手がゴロゴロといた。

「コイツは3年でいなくなるな」
周囲の人達が、陰でそう口にしていたことも後で知った。

クビの皮一枚で迎えた入団5年目の春。ようやく掴んだオープン戦開幕投手のチャンスは初回6失点KOで終わる。

「死ぬまで走ってろ!」
星野監督(当時)に、そう言い捨てられて、400Mトラックを百周以上走ったところで、監督室に呼ばれた。フルマラソン並に走った後に鉄拳制裁かと身構えていた山本選手に申し渡されたのが、思いも寄らないアメリカ行きであった。ドラゴンズには米大リーグドジャースとの交換留学制度があったのだ。

ここで、アイク生原氏と出会った。かつては王、長嶋も懇意にしたという熱血漢は、山本選手の道を拓く言葉を伝えた。
「お前には新しいボール(変化球)が必要だ」

アイク生原氏の熱心なアドバイスに耳を傾けながら試行錯誤していた時に、偶然出会った変化球が二百勝投手への道を拓いた。スクリューボールである。
練習後、野手が遊び半分で変化球を投げ合っていた時に教えてもらったのだという。
偶然に、しかも遊び半分で憶えたスクリューボールは、この年から山本昌投手の代名詞になった。50歳までの現役生活を支える最大の武器となる。

1996年30歳の時に、ヒザを手術した。スクリューボールを駆使して二年連続最多勝を獲得し、ドラゴンズのエースとなっていた山本選手も、年齢的な曲がり角を迎える年代である。
この時に、トレーニングコーチの小山裕史氏と出会った。
選手の身体の中まで見透しているのではないか、と驚愕するほどの的確な理論に感動し、この年から引退するまで、毎年二人三脚でフォーム改造を続けることになった。
ついには、43歳で自己最高の143キロを記録するまでに進化していった。

なぜ、50歳まで投げられたのか。
山本氏の次の言葉にすべてが凝縮されているかもしれない。
「自分のため、誰かのためにやれることを、やり続けること」

中学時代は帰宅後に4キロのランニング、百回の素振りを欠かさなかった。高校では、毎朝6キロのランニングと週に一回200球投球を引退まで続けた。50歳になっても自分で決めたルーティントレーニングを休むことはなかったという。
コツコツと積み上げたものへの自信が、「なんとかなるはずだ」という前向きな気持ちに昇華していたのであろう。

コツコツ努力はいまも変わらない。
講演の前には、クマさんのような大きな身体を屈めてピンクの手帳に熱心にペンを走らせていた。講演前には、話す内容をひと通り文字に書き起こす。何度も話した内容であっても、いつも同じようにする。いわゆるルーティンなのであろう。

「やるべきことはすべてやった」
だから上手くいくはずだ。たとえ上手くいかなかったとしても納得がいく。次にどうすればよいか工夫ができる。そう思える人なのであろう。

「モチベーションに困ったことは一度もない」
山本氏は、そう喝破する。
どんな秘訣をもっているのかと思えば、自分を使ってくれる監督・コーチ、球団に恥をかかせたくない、その気持ちが支えになるという。
自分ひとりで生きているのではない、という利他の精神が自然に身についている人なのであろう。自我の強い人が多いスポーツ選手には珍しいタイプかもしれない。

1997年、17勝して三度目の最多勝を獲得した年にFA権を取得した。巨人に行けば年俸は1億円以上上がったかもしれない。しかし中日に残留した。はじめからFA移籍は考えていなかったようだ。

「1億円を棒にふったから、50歳までやらせてもらえたのかもしれない」
「自分ほど幸せな人間はいない」

笑いながら、そう振り返ることが出来る人生は素晴らしい。人生の達人である。

(城取 一成)

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