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金井 壽宏「私のリーダーシップ研究の旅」

2017年03月14日

講演日時:2016年10月4日(火)
金井 壽宏
神戸大学大学院経営学研究科 教授

金井 壽宏

私が若く自由なフリーランサーとして好き勝手に泳ぎ回っていた時期から、起業して、持つ名刺に「代表取締役社長」という肩書きを印刷するようになって、一番劇的に変わったことと言えば、仕事で会う相手の人種だった。
それまでの仕事相手はヒゲや長髪の自称・クリエイターや、ダブルの紺色ブレザーに派手なネクタイ(という時代でした)の広告代理店の若手営業マンばかりだったのが、いきなり、会う相手は普通の上場企業の部課長や「お偉いさん」たちに変わったのだ。

人種が変われば話題も変わる。
仕事の打ち合わせが一段落した後の雑談のテーマは、それまでの「流行のアーチスト」や「最新のデートスポット」から、「人事消息関連」に変わった。

「時に、総務部のヤマダ部長とはどんなご関係で?」
「ああ、ヤマダシューワさんは昭和○年に私が人事部の教育課係長だった時代に、隣のシマの厚生課の次長でいらした時以来でしてね」
「なるほど、そんな昔からでしたか。ヤマダ部長は確かその頃にはマーケ部にいらしたのでは?」
「いや、マーケ部はそのあとですね。あの方がマーケ部の調査課長に来られた時には、私は商品開発部の管理担当課長で…」
「ああ、当時の商品開発部長は○年採用のサトウリュウジンさんでしょ?」
「そうですそうです、ずいぶん泣かされましたよ。リュウジンさんの花見事件、ご存じですか?」
「ハッハッハ…確か営業部長のスズキケーコウさんが販売店担当課長の時代に…(以下略)」

こんな調子で社内の人物の相関図や歴史が滔々と語り続けられる。その話題に登場する人たちは、フルネームとともに、採用年次や所属部署の異動の時系列と職位(ランク)で綺麗に整理されて語られるのだ。しかも、そのそれぞれの関係までも含めて。それはあたかも高校時代によく見た世界史の対照年表のようだ。日本が平安時代のころ、中国は唐の時代で中東はサラセン帝国、ヨーロッパには東ローマ帝国とフランク王国があり…というあれだ。

私は面食らった。
フルネームで語られる人物たち。
しかもシューワだのリュウジンだのケーコウだの…ずいぶん珍しい名前の人ばかりだ。
もちろん、それが名前の音読みであることには程なく気づいた。それはたぶんそのフルネームの漢字表記を正しく想起させるためなのだろう。
大企業の「お偉いさん」たちの頭の中には、数多くの人物に関する精緻な情報が、きれいに整理されており、そして事あるごとにお互いにその知識を確認しあうことでぼんやりしていた部分の知識をリファインし、まるで世界史対照年表のような人物マップをさらに拡充するのだ。

あれから幾星霜、私もすっかりそれに洗脳され、今ではクライアント訪問時に初対面の方とお会いすると、「時に、総務部長のヤマダシューワさんとはどんなご関係で?」などと、無意識のうちにやっている。

神戸大学大学院経営学研究科教授の金井壽宏先生の「私のリーダーシップ研究の旅」という講演を聴いていて、最初の5 分ほどで感じたのは「あ!この先生もやはりフルネーム派なのね」ということだった。
この講演を希望した理由は単純で、小企業ながらも社長をやっている私には「リーダーシップ」が不可欠であるということと、それ以上に、経営学の世界のスター学者のナマ講演を聴いてみたいというミーハー心だった。

私が大学院で経営学を学んでいた頃には野中郁次郎、加護野忠男、伊丹敬之、伊藤邦雄といった諸先生方が綺羅星のごとくに学界で活躍していたが、金井教授は、そうした巨星群に継ぐ次世代の経営学者の筆頭といってよいだろう。
巨星を追う輝く彗星…そんなイメージによる期待感とともに演壇を見つめているなか、登壇した金井教授は予想に反して飄々として腰の低い印象。実年齢の割に若々しいうえ、冒頭からニコニコと愛嬌のある笑顔で、関西弁の語り口とも相俟って、重鎮感を全く感じさせない。

講演は、まず研究者前史として子供時代の生育環境の話から始まったのだが、その話の中で早々に「大阪で貿易商をやっていた親戚の家の、7歳上の従兄のマエダマサヒコさん」が登場した。
マエダマサヒコさん?ここで固有名詞のフルネームで語られるということは、著名な方なのかしら…。軽く戸惑いつつ私はメモを取った。
続いて、生家のあった商店街のご近所の「電気屋のイノウエさんと洋品店のヨシダさん」や「小学校の同級生でいちばん裕福だったタケウチくん」、「4年時の担任のナカムタ先生」、「算数の教え方がうまい塾のフジト先生」などが語られる。フルネームでこそないが、属性つきの固有名詞の連続だ。まあ…電気屋さんや担任の先生などは、恐らくメモを取るまでもないのだろう、と判断しつつも、つい流れでメモを取ってしまう。

話が灘中高時代に入ると、登場人物はほぼフルネームとなった。「1つ年上で学年は2つ上のカナイフミヒロ」「一緒にロックバンドをやっていた同期のカワサキユウスケとドイイチゾウ」など、次々と属性つきのフルネームが繰り出される。
大学時代から大学院時代の話に差しかかると、そのフルネームも一気に絢爛になってくる。「大学院の恩師で日本企業を対象とした実証研究をされていた占部都美先生」とか、「進路に迷っていた時に丁寧な助言を下さったマーケティングの田村正紀先生」等々、ここに書ききれないほどのさまざまな著名学者やコンサルタントのフルネームが登場する。野中郁次郎や加護野忠男といった、私からすれば経営学の本の表紙でしか目にしたことのない大先生方の名前も、体温と表情を持ち、生きた言葉を交わした相手として、笑顔とともに語られる。
研究者となって以降の話には、名だたる名経営者たちの名前もそこに加わってくる。

講演の冒頭で「あ!この先生もやはりフルネーム派なのね」と感じた時、私は最初、金井教授が経営学者として多くの大企業やその幹部を調査するうちに、大企業の“フルネーム文化”が伝染したのかと思った。しかし講演を聴いているうち、そうではないことがわかってくる。

金井教授は経営学の、中でも「リーダーシップ」の第一人者だ。しかも、「文献研究だけではなく実践的研究を」、また「理論志向だけでなく実証志向を」というスタイルの研究で知られる。その実践や実証の分析対象となるのは、まぎれもなく「経営者」という人種だ。

灘高校時代に河合隼雄教授のもとで臨床心理学を学びたいと思って京都大学に入ったという出自の金井教授。しかしその分野を究めるには医師の資格がないと限界があると知り、専攻を選択する際には臨床心理学と同じ問題意識を“組織の中の人間行動”から捉えるため、経営学に進んだという。それだけに、最初から「人間」への興味が根っこの所にあるのだろう。
だからこそ、これまでの半生において出会った数々の人物ひとりひとりの名前や人となりを、愛おしそうに紹介されるのではないか。その表情はまるで、自分の大切な宝箱の中身を披瀝する時の少年のようだ。

金井教授の追究してきた「リーダーシップ」とは、つまるところ、「人」の研究だ。リーダー自身や、そのリーダーに従う組織の人々を、少年のように素直な目で見つめるところから始まる。
そのようにして数多くの経営者を研究するうち、金井教授は「卓越したリーダーには必ず、言語化された持論がある」という事実を見出す。持論とは「Personal Theories-in-use」ともいうべきもので、実践的であり、かつ実践者自身にしっくりくる持論=実際の使用に耐えるセオリーは、学者が構築した理論=抽象度が高すぎて使い物にならないフォーマルなセオリーとは異なる、という。
そして “僕自身が紺屋の白袴にならないため”に、自分が学会の会長や経営学部長、ゼミの指導教官等という立場でリーダーを務める際の持論を言語化し、日々実践しているという。その持論には10 項目があるが、その1が「描く」、2 が「語る」、3 が「聞く」だ(以下略)。
なるほど、だからこそ金井教授は自分の研究対象である「人」をかくもイキイキと細大漏らさず紹介するのだろう。

一方、大企業の幹部がいろんな人物を詳細に語る動機は、金井教授とは少し違うのではないか。
アメリカの経営学者ロバート・カッツは、その「カッツ理論」の中で、「ヒューマンスキル(対人関係能力)」はあらゆる管理職に求められるスキルであると提唱した。卵が先か鶏が先かはわからないが、企業内で出世している人というのはヒューマンスキルが人並み優れて高い。だから大企業の「お偉いさん」たちは皆、人に強い関心を持っているのだろう。出発点や動機はそれぞれ違うものの、金井教授もお偉いさんも「人間オタク」なのだ。オタクだから、ついつい自分のコレクションアイテムそれぞれのスペックを熱く語ってしまうのだろう。

企業をクライアントにする仕事を20 年やっているうち、私も知らず知らずのうちに「人間オタク」になってしまっていたようだ。金井教授や大企業のお偉いさんには敵わないまでも、私の頭の中にも数多くのビジネスパーソンのフルネームや生年、採用年次、経歴、出身地、出身大学、趣味や愛読書などのスペックが蓄積されている。そして今日も、知らず知らずのうちに面談や打合せの終わりには、その知識のリファインに努めてしまうのだ。

(三代貴子)

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