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夕学レポート

2020年04月14日

玉川 大福「浪曲というエンタテイメント」(曲師:玉川みね子)

玉川 大福
浪曲師
講演日時:2019年11月8日(金)

「浪曲」という新たな世界との出会い

玉川 大福

生まれて初めて「浪曲」に触れた。まさか夕学で浪曲を聞く(見る、というべきか?)ことになるとは思わなかった。玉川太福さんの講演でのことである。
今回の講演は大変に贅沢な内容で、前半30分で浪曲の成り立ちについて解説され、後半60分では浪曲の演目を披露してくださった。しかも新作と古典の二本立て。なんとも豪華だ。

浪曲とは別名「浪花節」。恥ずかしながら、私はこの日まで二つを別物と認識していた。というか、浪曲のことを全く知らなかった。
浪曲とは、おじいさんが朗々と歌い上げるもの(今思えば「詩吟」か何かと勘違いしていたのかもしれない)で、浪花節のほうは、義理人情を題材にお涙を誘うような…歌?演歌の一種なのか?いや関西の民謡か?確か三味線も使っていたような。
・・・という程度のひどい認識であった。

今回、太福さんの解説でその概要を知ることができた。
「浪曲」、別名「浪花節」が成立したのは明治期のこと。寄席で行われる演芸としては当時、講談、落語の二つがあり、それらの「いいとこどり」をする形で後から誕生したそうだ。
講談と落語は壇上で座って演じるのに対し、浪曲は演者が立った状態で物語を語る。三味線を伴奏にしながら、演者が歌ったり(=「節」)、一人で何役ものセリフを話したり(=「啖呵」)しながら演じられるものだ。「浪花節」という名から関西が起源と思われがちだが、「浪花節」という名で東京で誕生したもの。関西では「うかれ節」と呼ばれていた。

浪曲は後発ながらいつしか先行の二つの演芸を凌ぐ存在となり、最も人気のある演芸として成長。劇場での流行から始まり、レコードが誕生すると大ヒットとなり、ラジオでさらに人気が広がった。戦時中は戦意高揚のための「愛国浪曲」が続々と作られた。全盛期は浪曲師が全国で3000人もいたというから驚きだ。
ところが戦後を経て日本が成長期に入ると、人々は「お涙ホロリ」よりも軽やかな笑いを求めるようになり、また演者が動かないスタイルはテレビ受けもしなかった。浪曲は急速に人気を失い下火となった。

こうした中でも「芸を残していこう」という思いから一部の劇場で細々と浪曲が演じられ続けたというが、太福さんに言わせれば「これが間違い」。浪曲をよく理解する、いわゆる「通」の人たちにさえわかれば良い、細々とでも続けて残せば良い、というのが良くなかったというのだ。太福さんに言わせると「エンタメ性を備えてこその浪曲。浪曲の知識がなくても楽しめるものでなければいけない」。

もともとお笑いの世界に憧れを持っていた太福さんは、師匠である玉川福太郎さんの「話芸」の力に惹かれ、この世界に入門。新作の浪曲が作りたいという強い思いを持っていた。新作をやるとお客さんの反応が変わるという。浪曲はその独特のスタイルに「耳が慣れる」ことが必要らしいが、そんなものがなくたって新作では客が大笑いしてくれる。
太福さんが浪曲の世界に入ってから今で12年。太福さんの意欲的な挑戦のおかげで新しい客がずいぶんと増えた。これまでの功績が認められ「渋谷らくご創作大賞」「文化庁芸術祭・大衆芸能部門新人賞」なども受賞されている。

さて、ここからが太福さんの実演の話。
二つの演目を始める前に、太福さんは天気予報を浪曲の調子で語ってくださったのだが、これがおかしかった。「今日の東京の天気は晴れでした。明日は…」というただそれだけの内容なのだが、これを太福さんがやると途端に面白くなるのだから、凄い。
これぞ、「話芸」。
声の調子や抑揚のつけかた。間のとりかた。目線。話を切るタイミング。
わずか1分程度のものだったと思うが、終わってみれば大爆笑で、会場全体が引き込まれているのがわかった。いやはや大したものだ。

続いて新作。お弁当のおかずを交換しようとする二人の男性の掛け合いなのだが、太福さんの表情を見ているだけで笑ってしまう。作業服を着て、年齢差のある二人の男性が座りながらお弁当を食べようとする様子が脳裏にはっきりと浮かんでくるし、登場人物の斎藤さんはあまり仕事の出来る人ではないんだろうなあ…とか、その背景まで想像できる。

口調もおかしいし間のとりかたも絶妙。そして歌が上手い。それでいてただのお笑いと違う、どこか格調高いというか日本的な感じがしてしまうのは、三味線の伴奏と、独特の歌(「節」)、そして紋付袴姿のせいか。素人の私からすると、太福さんが文楽の「太夫」の姿に重なるところもあり、古今が目の前で入り混じるような不思議な感覚を味わった。

二つ目に披露してくださった古典は「情けは人のためならず」をテーマとした『陸奥間違い』という演目で、江戸時代が舞台。こちらも何度も笑いながら、終盤では少しハラハラもさせられつつ、最後はどこかホロリとさせられる素敵な物語。古典といっても堅苦しさはなく、浪曲に初めて触れた私でも難なく理解できる、おかしくも人情味のあるいい話だった。

太福さんの舞台を見ながら、浪曲の面白さにはいろいろな要素があるのだろうと感じた。

「ストーリー」の面白さ。台本の字面を読んでも笑ってしまうようなユーモラスな内容であればそれだけで笑いを誘う。面白さだけでなく、悲しいストーリーなら涙を誘うし、勇ましい内容なら人々を昂らせるだろう。

「話芸」。声の良さ。話すテンポ。間の取り方。抑揚。目線。手や体の動き。メインのストーリーの間にはさむ、ちょっとした小話やアドリブの面白さ。いずれもが高等なスキルなのだろうが、陰の努力を微塵も感じさせずに大爆笑をさらったり、涙を誘ったり。

「歌」のうまさ。畳みかけるような笑いの間にある「静」の時間であり、物語のナレーション的な役割も果たすものなのかなと思う。太福さんの歌がうまくて私はつい聞き入ってしまった。浪曲では歌の部分を「節」と呼ぶらしいが、この時間が底流にあってこそ、語りの時間である「啖呵」も生きてくるのかなと感じた。

いずれも一回聞いただけの素人の感想であるが、いろいろな要素が入り混じり、とにもかくにも面白かった。世の中にこんな芸能があったとは。浪曲を知らないなんて、絶対に損!!

浪曲師は現在、全国で60人、曲師(三味線を弾く人)が20人しかいないそうだ。たったこれだけの人数が支えている浪曲の世界が、じわりじわりと広がっていくのが今回の講演で感じられた。
先頭に立って旗を振りながら、世界を切り拓いていくのが玉川太福さん。浪曲という世界が広がっていく様を、目撃できるのが嬉しい。

(松田慶子)

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