KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2023年04月27日

梅田 悟司「言葉が果たす「言葉以上の役割」とは?」

梅田 悟司
コピーライター
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 教授
講演日:2023年4月18日(火)

梅田 悟司

梅田悟司氏に聴く、かんじんなことを見る方法

砂漠の真ん中に不時着し、半ば絶望の淵にあった私の前に現れたのは、整った顔立ちの少年だった。
「ねえ、羊の絵を描いてよ」
私と、壊れた飛行機以外に何もないはずの場所で、まるで星からやってきた王子さまのように、彼は言った。

私はポケットからペンとメモ帳を取り出した。きちんとした羊を描く自信がなかったので、代わりに、いつも相手を試すときに使う絵を描くことにした。
そのシルエットは、つまらない大人には帽子にしか見えない。だが彼は、
「違うよ、これはゾウを飲み込んだヘビの絵じゃないか」と言うのだ。
私が描いたのは外側のヘビだけだ。なのに、彼には内側のゾウまでが見えていた。
思わず彼の目を見た。
透き通るようなその目に、私は自分が見透かされそうな気がした。

「ところで、あなたは誰?ここで何をしているの?」
そう訊かれて、私は我に返った。
「私は…操縦士だ。砂漠に不時着した操縦士」
「それは見ればわかるよ」と彼は言った。
「僕が知りたいのは、あなたの内側。見えない部分のこと」
「内側…」私は、思わず自分の胸に手を当て、そこを見た。何か言葉を発しなければと思った。何も浮かばなかった。ただ、激しく喉が渇いていたことを思い出した。
「無理に言葉にしようとしなくていいよ。そんな渇いた喉じゃ、言葉だって出ようにも出られない」

そういう彼の手には、いつのまにかコップが握られていた。コップの底には、水が、ほんの少しだけ入っていた。

「これがあなたの心の器。中にあるのは、あなたの想い」
不思議なことに、コップの中の水は、少しずつ量を増し始めたようだった。

「日々を生きる中で、あなたはいろんなことを想い、感じ、考えている」
水位が上がる。三分目、四分目、半分。

「それを流さず、散らさず、心の中の器できちんと受け止めていく。そうすれば、想いは少しずつ溜まっていく」
彼がそう言う頃には、水は、もう八分目まで来ていた。

「無理に言葉を発しようとするのは、コップを振って相手に水を掛けるようなものだ。それは相手に失礼だし、何より自分のためにならない。そうではなく」
水が満杯になり、最初の一滴が外側に流れ落ちた。

「こうして、あふれ出す、にじみ出す。ただその時を待てばいい」
言い終えると彼は、水でいっぱいになったコップを私に差し出した。
私はそれを受け取り、一瞬だけ見つめ、そして一気に飲み干した。
喉が勢いよく鳴った。

「水は大事だよ。心にも、からだにも。水筒の水は飲めば減っていくけれど、心の水は、いつも少しずつ溜まっていくものなんだ」
喉から入った水が、渇いた全身を潤すのを感じながら、私は、彼の言葉に耳を任せていた。
「コップの水ならこうして僕にも満たせるけれど、あなたの心の水は、あなた自身にしか満たせない。僕に理解してもらおうとする前に、まずはあなた自身が自分を理解しなきゃ」
水を飲み終えた私は、手の甲で口を拭いながら答えた。
「そうだね。君の言うとおりだ」

「私の心に水が溜まったとして」と私は言った。
「それを、どうやって君に伝えたらいいだろう?…いや、違うな。まずは、どうやって自分自身に伝えたらいいんだろう?」
「絵には描けないね」と彼は言った。「かんじんなことは、目には見えないんだよ」
「かんじんなことは、目には見えない」私は繰り返した。
「そう、見えないものは描けない。でも、言葉にすることはできる」
「言葉…」そこまで来て、私は、少しだけ自分を取り戻した。
「さっきは言わなかったけれど、私は作家でもあるんだ。言葉のことならよく知っている」
できるだけ謙虚に言ったつもりだったが、言い方に誇らしさが紛れ込むのは隠せなかった。
そんな私に彼はこう言った。
「作家…って、なに?」
この返しにはさすがに面食らった。さっきまでの、何もかも悟ったような彼と、いまここにいる、何も知らない子どものような彼。どちらがほんとうの彼なのか。いや、どちらも彼なのだ。

子どもの彼を前に、私は努めて冷静さを装いながら説明した。
「作家とは――物語を考えて、言葉にして、小説に書く――そういう職業だ」
「へえ、この星にはそんな仕事もあるんだ」
この星、という言い回しを、彼はごく自然に使った。
「でも、物語をつくるだけなら、僕にだってできるよ。『僕は、旅に出た。まず、ひとりぼっちの王様に会った。次に自惚れ屋に会った。そして大酒飲みに会った。実業家に会った。街灯の点火夫に会った。地理学者に会った。そして…』」
「それでは、まだ、物語とは言えないな。ただ行動をならべただけだ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「ひとつひとつの行動を、もっと掘り下げてみるんだ。君が旅に出たきっかけは、なんだったのかな?」
「…バラとうまくいかなかったんだ。僕の星に、たった一輪しかいないバラと。だから、僕は旅に出た」
「なるほど。では、旅に出て学んだことは?」
「大人って、変だ。ということ」
「…そうか」
「でもそれは、この星に来る前のことだよ。この星では、僕は、もっとたくさんのことを学んだ。世界が、いろんな誰かの仕事でできているのがわかったし、猫を拾う代わりに猫に拾われた男の姿も見てきた」
「ふうん。とにかく、すべての行動には、きっかけと学びがあるはずだ。そして、ある学びがきっかけとなって、次の行動に結びついていく」
「きっかけ、行動、学び。そしてまたきっかけ」メモを取るように彼はつぶやいた。
「君がとる無数の行動の数だけ、学びからきっかけへのつながりも無数にある。それらが無数に積み重なった、らせん状のつながりの中に、君を君たらしめているものがあるはずだ」

彼はじっと私の話に耳を傾けていた。
「行動といってもいろいろある。大きな行動は目を奪いやすいが、むしろ、ふとした時に思い出すような小さなエピソードにこそ君らしさがあらわれる。行動レベルの『見える一貫性』とは違う、学びときっかけを含んだ『見えない一貫性』。それを見つけ出せたら、君は、君自身についての、君だけの物語を手に入れたことになる」
「そして作家は、それを、読者と共有することができるんだね」と彼は言った。「すごいや」
「ありがとう」と私は礼を述べた。

「物語のたいせつさはわかった。でも僕は、作家にはならないよ」
「どうして?」
「僕は、自分の物語を、多くの人と共有したいわけじゃない。というか、ほとんど誰とも共有しなくていい」そう言うと彼は空を見上げた。
「ただ、あのバラと共有できれば、それでいいんだ」
私は、彼の横顔を見た。その目は、どこか遠いところを見つめていた。
「もちろん僕は、物語を考えて、言葉にして、バラに話すよ。でもそれは、書き言葉の小説でなくていい」
「…わかった。君は小説を書かなくていい。その代わり、私が、いつか君のことを小説に書こう。いいかな?」
「いいけど…なんていう小説?」
「そうだな」私は、彼の顔をまじまじと見つめなおして、言った。「『小さい王子』。あるいは『星の王子さま』、かな」
「なんでもいいよ。何と呼ばれようと、僕は僕だもの」
「そういえば君、名前は?」
「名前?」
「そう、名前。申し遅れたが、私の名前は、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。君は?」
「名前…。僕には、名前はないよ」
「名前がない?」
コクリ、と彼はうなずいた。
「だって、僕の星では、僕は僕ひとりしかいないし、バラは一輪しか咲いていない」
「ひとりだから、誰とも区別されないから、名前がないというのか」
彼はもういちどうなずいた。

私は、少し考えてから、思ったことを口にしてみた。
「確かに君の星では、君もバラも、ほかの誰とも間違えられはしないさ。でも、ただ誰かと誰かを区別することだけが、名前の役割ではないよ」
「名前というのは、そのひとを、そのひとの物語を、ぎゅうっっと凝縮した言葉なんだ。過去も、未来も、見えない一貫性も、ぜんぶひっくるめて表わしている、小さい宇宙のようなものなんだ」
「名前で呼ぶ、呼ばれる、というのは、相手を想っていますよ、想われていますよ、ということ。名前をつけるというのは、その対象と共に生きる約束をするということなんだ。名前で呼ぶ、呼ばれる。その幸せを、私は、君に、君の星に持ち帰ってほしいな」

彼は、私の言葉をゆっくりと咀嚼するように、小さくうなずいた。そして言った。
「ありがとう。僕は、帰ったら、バラに名前をつけてあげることにするよ。そして、僕の物語を聞いてもらったあとで、バラに、僕の名前をつけてもらう」
「それはいい」
「でもその名前は、あなたには伝えないよ。だって、それは僕たちの名前であって、他の誰かのための名前ではないからね」
「わかった。小説の中の君には、名前をつけないでおこう」
「でもまあ、百年ぐらいたったら、またこの星を訪れてみたいな。その時は、何か適当な名前を名乗るかもしれない。例えば、『梅田悟司』とか」
「ウメダサトシ?」
「例えば、の話だよ」
どこまでが無邪気さでどこからがからかいなのかわからないまま、私はため息をついた。
「いずれにしろ百年後には、私はもうこの世にはいない。この砂漠を生き延びたとしてもね。しかし作家としての私は、作品という形で、百年後の君に会えるかもしれない。それは、私にとっては、大いなる希望だ。…そのためにも、とにかくここから生きて帰らないと」
そう言って私は、砂上で私を待つ飛行機を見た。壊れたエンジンの修理は、二日がかりかもしれないが、できなくはない。私は、自分の心が、前向きな気持ちを取り戻したのを感じた。彼の言葉が、今の私に最も必要なもの――目標に向かっての、新たなスタートラインを引いてくれたのだ。
「ねえ、君――」
お礼の言葉を言おうと振り向いた先には、もう彼の姿はなかった。
ただ、昼間の空に、星が一瞬またたいた、気がした。

(白澤健志)

梅田 悟司(ウメダ サトシ)
梅田悟司
  • コピーライター
  • 武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 教授
1979年生まれ。大学院在学中にレコード会社を起業後、電通入社。マーケティングプランナーを経て、コピーライターに。2018年にベンチャーキャピタルであるインクルージョン・ジャパン株式会社に参画し、ベンチャー支援に従事。2022年4月より現職。
主な仕事に、ジョージア「世界は誰かの仕事でできている。」、タウンワーク「バイトするなら、タウンワーク。」、Surface「すべての、あなたに、ちょうどいい。」のコピーライティングや、TBSテレビ「日曜劇場」のコミュニケーション統括を担当。大手事業会社のみならず、ベンチャー企業のコミュニケーション戦略を立案する。 CM総合研究所が選ぶコピーライターランキング・トップ10に5年連続選出。カンヌ広告賞、レッドドット賞、ギャラクシー賞、グッドデザイン賞、観光庁長官表彰など国内外30以上の賞を受ける。
著書に、シリーズ累計30万部を超える『「言葉にできる」は武器になる。』(日本経済新聞出版社)など。4ヶ月半におよぶ育児休暇を取得し、その経験を踏まえた『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。』(サンマーク出版)を執筆、大きな話題となる。近著に『きみの人生に作戦名を。』(日本経済新聞出版)。
メルマガ
登録

メルマガ
登録