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夕学レポート

2023年08月10日

伊丹 敬之「中二階の原理〜日本を支える社会システム〜」

伊丹 敬之
国際大学 学長
一橋大学名誉教授
講演日:2023年6月15日(木)

辻 秀一

世の中には“出羽守(でわのかみ)”と疎まれる人々がいる。自らの海外経験を鼻にかけ、事あるごとに「アメリカでは~」「ヨーロッパでは~」と訳知り顔で語り、「それに引き替え日本は遅れている」という結論に持っていくのが定石だ。

今回の講師である経営学者・伊丹敬之先生は、フルブライトでカーネギーメロン大学経営大学院に進み、博士課程を修了。その後もスタンフォード大学や欧州経営大学院(INSEAD)、スイス・ザンクトガレン大学等でも客員教授を務めて来られた輝かしき海外経験を持つ。
今でこそ欧米の大学院に進む人は珍しくない。しかし伊丹先生が留学されたのは半世紀以上前の1969年、まだ1ドルが360円の固定相場制だった時代のこと。しかもカーネギーメロンでも記録的な早さのわずか3年でPh.D.を取得されたという“伝説”の持ち主だ。

となれば、さぞや強烈な“出羽守”なのだろうとつい身構えたくなるが、実はこれが全く正反対。その研究テーマは経営戦略論をはじめ、管理会計論、日本的経営論、コーポレートガバナンス論、場の研究など多彩を極め、上梓された著作の数は130冊を超えるが、いずれにおいても一貫して「アメリカ型発想やグローバリズムになびき過ぎず、日本特有の経営スタイルで行くべき」と説いている。
『経営戦略の論理』や『人本主義企業』、『場のマネジメント』、『日本型コーポレートガバナンス』等の名著は経営学徒のバイブルであり経営者の座右の書。刊行後何十年間も改訂を経て書店に並び続けている。

コロナ自粛から着想した日本の姿

数々の受賞歴を誇り、なんといっても2005年には紫綬褒章を授与されたほどの学界の至宝だ(経営学者が紫綬褒章を受章する例は極めて稀で過去3~4名しかいない)。講演も重々しく厳粛な雰囲気だろう…と思いきや、「いえね、コロナで自粛してたでしょ、あの時に考えたんですよ」と、ずいぶんと軽妙なトーンで始まった。

新型コロナの感染が拡大し始めたころ、欧米では罰則つきのロックダウンを行った。いっぽう日本では「自粛してください」とお願いしただけ。なのに日本のほうが遥かに死者数を抑え込むことに成功した。これはどういうことか、というのが伊丹先生の着想の出発点だった。

「日本の人々は法令ではなく共同体の価値観に従ったということに気付いたんです」

伊丹先生の研究を語るとき真っ先に挙げられる『人本主義』や『場』の概念にも通じるシステムが、日本社会全体を支えているのではないかという所から、先生の発想は縦横無尽に広がって行く。

「日本語は世界でも珍しい表記体系を持っています。表音文字だけのアルファベット、表意文字だけの中国語、それに対して日本語は表意文字である漢字と表音文字である仮名とをミックスして表記します」
「統治機構もそう。摂関家藤原氏による実質統治、征夷大将軍を据えた武家政権、明治時代の立憲君主制、昭和憲法の国民主権+象徴天皇、いずれも国の統治者を天皇が任命する形をとるという面白いミックスが平安時代から1300年間ずっと続いているんです」

厳格な基本原理とその硬さを中和するような補助的原理が、うまくミックスされることで日本はしなやかに時代の変化を乗り越えてきたというのだ。

明治維新というクーデターや戊辰戦争という内戦も、同時期の外国での内戦よりも遥かに少ない死者で収まった。明治維新後の廃藩置県と秩禄処分、第二次大戦後の農地改革などの大きな社会革命も、極めてスムーズに進んだ。大義に対してこうした柔軟性を実現してきた補助的原理のことを、先生は「中二階の原理」と名付けた。建築物において一階と二階の中間に設けられる、あの中二階だ。

中二階を無視することによるダメージ

これを詳しく解説したのが先生の近著『中二階の原理 日本を支える社会システム』(日本経済新聞出版/2022年)だ。
その序章にはこうある。「二階に全体を動かす基本原理があり、一階にその原理のもとで生きている人々が住んでいる現場がある。そして中二階の位置にじつは二階とは別の原理のようなものが挿入されていることが多いのが、日本の社会システムであり、企業組織である。そして中二階の原理は、二階の原理を現場(一階)に貫徹しようとすると現場で生まれるねじれ感覚を、中和するために挿入される」

この中二階の原理は20世紀までの日本の経済や企業経営に重要な役割を果たして来た。しかし2001年頃から、日本の大企業は中二階を無視することでどんどん異常な姿に変貌してきた。
新自由主義や官主導のコーポレートガバナンス改革により株主原理主義が行き過ぎてしまい、とうとう2021年には大企業の配当総額が設備投資額を上回ってしまった。「愕然とした」と先生は言う。逆に労働分配率(企業の付加価値から人件費として従業員に分配される比率)はリーマンショック以降、急激に低下している。
つまり、大企業は株主(その4割が今や外国人機関投資家だ)に渡すお金を増やすために、設備投資も従業員の給与もどんどん削って来ているのだ。これでは日本企業の成長は望むべくもない。
本来、「会社の主権者たる従業員や、取引先も含めた人のネットワーク(共同体)という中二階」を重視するのが日本企業の行動原理だった。その中二階を無視し、アメリカ由来の株主原理主義を盲信し続けたこの20年あまりで、日本企業のダメージは危険水域にまで達してしまったのだ。

中二階への後ろめたさを捨てよう

コロナの緊急事態宣言下の「自粛要請」の劇的効果を見ても分かる通り、日本では、そこまで国家と市場の原理(二階の原理)が現場に貫徹していない。家族や共同体という中二階がまだ存在感を保っている。だからこそ、企業も中二階の意義、カネの原理(二階の原理)にヒトの原理(中二階)を重ねるという二重がさねの効用を見直すべきなのだ。
もちろん株式会社制度には大きなメリットがあり、正しい基本原理である。しかしこの二階の原理だけで貫徹しようとすると、一階である“現場”にねじれ感覚が生まれる。だからこそ、二階の原理を時代遅れと否定するのではなく、それを補完できる中二階の原理を信じ、それを活用すべきなのだ。

八百万の神々とともに生きてきた日本人にとって、2つの原理の共存という曖昧さを受け入れることに何ら抵抗はない。一神教の国の論理にひれ伏して2つの原理を持つことに後ろめたさを覚える必要はないのだ。
「最近の大企業は許せないから、今日はぶちまけに来た。言うべきことをきちんと言う学者でいたい」と力強く語る伊丹先生は、1945年生まれというご年齢が全く信じられないほどに若々しく精力に溢れている。2023年の暮れには『日本企業はどこで間違えたか(仮)』という著書を東洋経済新報社より刊行予定だという。この碩学泰斗の渾身の糾弾により、大企業たちが一日も早く目を醒ますことに期待したい。

(三代貴子)


伊丹 敬之(いたみ・ひろゆき)

伊丹 敬之
  • 国際大学 学長
  • 一橋大学名誉教授

1945年愛知県生まれ。1967年一橋大学商学部卒業、1969年同大学院商学研究科修士課程修了。1972年カーネギー・メロン大学経営大学院博士課程修了(Ph.D.)、スタンフォード大学経営大学院客員准教授、一橋大学商学部教授・同学部長、商学研究科教授、東京理科大学イノベーション研究科教授、同研究科長等を歴任。2008年一橋大学名誉教授、2010年ブロツワフ経済大学(ポーランド)名誉博士号。
紫綬褒章(2005 年)受章、宮中講書始の儀御進講者(2009年)。
日経・経済図書文化賞(1978年)、経営科学文献賞(1981年)、日経・経済図書文化賞(1982年)、日本公認会計士協会中山MSC基金賞(2002年)などを受賞。
JFEホールディングス株式会社、商船三井株式会社の社外監査役を歴任。

国際大学WEBサイト:https://www.iuj.ac.jp/jp

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