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夕学レポート

2024年04月26日

池上 彰氏講演「世界はどう動くのか」

池上 彰
ジャーナリスト
講演日:2024年4月18日(木)

池上彰

骨と血

今回の講演はとりわけ楽しみにしていた。なんといってもあの池上さん。おまけに世の中はハマスとイスラエル、イスラエルとイラン間の応酬、ウクライナ問題、アメリカ大統領選挙戦と、もう池上さんにご登場いただくにはうってつけの「池上日和」。池上さんはどう話をするのか、こうした気持ちがやはり不謹慎であることを承知しながらも会場へ運ぶ足取りはどこか弾んでいる。

講演の構成をいえば奇を衒ったところのない、オーソドックスなものであった。語り口がソフトで紹介する情報量も多いので一見わかりにくいけれども、国のあり方や国際政治を動かす構造(宗教や選挙制度)と局所的な事象が国際政治経済にどのような影響を及ぼすのかの2つが柱となっている。

一つ目の国のあり方や国際政治を動かす構造について、池上さんはご友人の佐藤優氏の「内在的論理」との言葉を用いつつ、まずはユダヤ人差別の背景を紹介した。これはわかりやすい例だ。なぜユダヤ人(≒ユダヤ教徒)が迫害されることになったのか。かつてローマ帝国のピラト総督がユダヤ人の群衆に「この人(イエス)を本当に殺してもいいのか」と尋ねた時に群衆が「その血の報いが我らと我らの子孫にかかっても構わない」と答えたとマタイによる福音書に書かれているからだという。その後ユダヤ人たちは自分たちを支配していたローマ帝国に立ち向かったものの、結局はエルサレムから追放されて国を失う。ユダヤ人達の職業、居住差別さらにはホロコーストに見られる苦難の歴史が始まる。そうした職業差別とその結果としてユダヤ人が進出した産業について、また米国社会におけるユダヤ人ロビーの強さにも言及した。

選挙絡みでいうと、ドイツの比例代表連立制も取り上げられた。得票率が5パーセントに満たないと議席が得られないように定められており、過去の反省から極端な政党が誕生しないように歯止めをかけているが、遂に5パーセントを突破する極右政党が誕生してしまったことは衝撃だ。他事例としてネタニヤフ首相の個人的な事情(贈収賄事件で取りざたされているが戦時内閣期間中なら訴追されない)やトランプ裁判関係では米国の陪審員制度、米国がいかにキリスト教国かについても紹介された。こうした事情や制度がどう政治や社会に反映されているのかを具体例を挙げながらわかりやすく説明していかれたのはさすが池上さんだ。

日々起きている事象に惑わされないためにはこうしたことへの理解が重要だということを意外にも忘れがちで、その点への知識がなければ表面的な「出来事」によってのみ判断してしまい、何かの勢いに飲み込まれてしまい易くなる。実際にロケット弾やドローン、あるいは殺害現場の映像などは人の感情を煽りやすい。実際にはイランとイスラエルの応酬においてお互い「サイン」を出し合って抑制を効かせたものにしようとしている。池上さんは今回の講演でも数多の番組と同様、そのような事件や事象に対しての「ものの見方」を教えようとしている。流されたり煽られたりしないように。

一方で個別の事象が国際経済に及ぼす影響について取り上げたのはスエズ運河とパナマ運河の競争だった。遠く離れているようでいてこの2つの運河はライバル関係にある。パナマ運河にバイパスを建設したことで通行量が増加すると、スエズ運河は通行料を下げて対抗する。現在スエズ運河はイエメンのフーシ派のために利用できず、それならパナマ運河の通行量が増加するかといえば、雨不足のためこちらも利用できない状態だという。物が入ってこない、アフリカの喜望峰まで行くのでコスト高になる、つまり世界経済に影響が出る。正に「風が吹けば…」だ。こうした個別事象への理解も構造的なものと同様に重要だ。新聞に小さく囲み記事として出るような一見何という事のないような事件事象が実は大きな事態を引き起こしたりする。

そうした事例を多数織り交ぜながら講演は終了した。とても不思議だったのはトランプ支持者の多くを占めるキリスト教福音派の考え方だった。池上さんによると「(ユダヤ人だった)イエスが復活した時のためにユダヤ人の国を作っておく」と考えているそうだが「(イエスを)殺してその報いが子孫にかかっても構わない」といって自分を殺すことに同意した人達の中に復活して大丈夫なのだろうか。ユダヤ人の側からしても自分達が長きにわたり差別・迫害されることになった原因の「源」が現れたらどうするのか。どうも平和的な状況が思い浮かばない。新しい環境でのびのびした方が本人にとっても良いように思われるのだが。この辺り福音派の人たちの論理構造がどうなっているのか気になる。池上さんは笑いながらも「ヘンキョウの宗派だから」という。辺境、偏狭、偏狂。はて、どれなのか?

世界で起こる紛争はやむを得ない事情を個々に抱えているにしても、紛争を続けようとしている人たちの思惑を見抜き踊らされないためにも内在的論理や背景事情を押さえておく必要があるという池上さんの思いが十分に伝わる講演だった。とはいえ内在的論理を知るべき理由についてもう少し強調しても良いようにも思える。池上さんの解説があまりにも流暢でわかりやすいのでそちらに気を取られがちなのだ。講演では取り上げられなかったけれども古典文学を学習することも相手の内在的論理を理解する上で必須なのだろう。そこには相手の「納得や考え方の構造」があるから。構造や内在的論理はいわば骨で、個々の事象は血に例えられるような気もしてくる。

そうしたものをしっかり考えたいけれども次々と紛争が起きて追いかけきれない世の動きに焦りを感じる。おかしな表現になることは百も承知だけれど、池上さんにご登場いただく日が少ない程本当は世界平和的には良いはずなのに、幸か不幸か池上さんの解説は日ごと必要になっている。

(太田美行)


池上 彰(いけがみ・あきら)

池上彰
  • ジャーナリスト

1950年生まれ(長野県松本市出身)、慶應義塾大学経済学部卒業。
1973年NHK入局。社会部記者やニュースキャスターを歴任。1994年から退職する2005年まで『週刊こどもニュース』の初代「お父さん」役として編集長兼キャスターを担当する。
在職中から執筆活動を始め、現在は大学、出版、放送など各メディアにおいてフリーランスの立場で活動する。
鋭い取材力に基づいたわかりやすい解説に定評がある。

2013年には、前年放送の『池上彰の総選挙ライブ』(前述)が高く評価され、第5回伊丹十三賞を受賞。

名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学客員教授、信州大学特命教授、立教大学客員教授、愛知学院大学特命教授、順天堂大学特任教授。

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