夕学レポート
2024年05月08日
森林 貴彦氏講演「「常識」を問い直した指導の道」
森林貴彦監督に聴く、Think、Enjoy、Education
二兎を追うもの一兎をも得ず、という言葉は、少なくとも野球においては過去のものとなった。言わずと知れた大谷翔平選手の、世界最高峰のメジャーリーグを舞台とする「二刀流」での活躍によって、だ。
しかし大谷選手の投打二刀流は、団体競技である野球において、個人レベルで達成された偉業であるとも言える。
では、チームで「二刀流」を追求することはできるのか。
そのときに追わんとする二兎は、いったいどんな顔をしているのか。
2023年、夏の甲子園。実に107年ぶりに2回目の優勝を飾ったのは慶應義塾高校野球部だった。胸にKEIOと書かれたユニフォーム、その誇りと伝統を、百年を超える時を経て再び日本一に引き上げたのが、森林貴彦監督だ。
まず森林監督自身が、二兎を追う存在である。
高校野球の監督は、その高校の教員であることが多い。しかし森林監督の場合、慶應は慶應でも、務めているのは幼稚舎の教諭。つまり現役の小学校の先生なのだ。
朝から午後にかけて子どもたちの相手をしたあと、小一時間の電車移動を挟み、夕方からは野球部のグラウンドに立つ。
「すると高校生たちが、とても大人に見えるのです」と監督は言う。
高校の教員が監督を務める場合、そこには教師/生徒という上下関係がつきまとう。社会経験豊富な大人から見れば高校生はまだまだ子ども。その関係がグラウンドにも持ち込まれ、監督と選手の間には絶対的な格の違いが生まれる。教える立場と教わる立場、指導する側とされる側。強豪校になればなるほど、経験豊富で自信に満ちた名物監督が『俺が甲子園に連れて行ってやる』と言わんばかりに作戦を考え、指示し、選手はその指示通りにプレーするだけ、となりがちなところだろう。
しかし森林監督は、「選手と自分は対等」だと言う。あるのは「ただ役割の違いだけ」とも。「選手にはいつも、『俺を甲子園に連れて行ってね』と言っています」
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。『学問のすすめ』に記された福澤諭吉翁の有名な一節が思い出される。
だが、対等である、ということは選手に大人と同じ人格を認めることであり、また同時に、選手にそれだけの高い見識を求めるということでもある。
KEIOは二つのBaseballを追っている。
ひとつはThinking Baseball。
KEIOの選手は、とにかく考えることを要求される。
なぜ初球を見送ったのか。なぜ三塁まで走ったのか。なぜ、なぜ、なぜ。
単なるミスは責めない。考え、工夫してやったことなら、たとえ失敗に終わっても決して怒られたりはしない。そこまで考えていたのか、とむしろ評価の対象になる。
その代わり、考えない選手には手厳しい。ただ監督に言われたことをやるだけ、という選手は、KEIOには居場所がない。
もうひとつがEnjoy Baseball。
楽しい野球、ではない。それではただの草野球だ。
謳われているのは、より高いレベルの野球を愉しもう、ということ。
高いレベル、つまりは日本一を目指す。当然、勝利にはこだわる。そのために地道な練習を積み上げていく。試行錯誤と切磋琢磨。ケガや故障などの不可避なプロセスまでをも含めて、野球を愉しむ。
子どもの「楽」ではない、大人の「愉」に、KEIOの選手たちは全身を投じていく。
KEIOが掲げる目標は、ずばり『KEIO 日本一』である。
昨夏の全国大会優勝は、その目標の半分ではあるが、全部ではない。
KEIOは、二つの日本一を目指している。いわく、野球力で日本一、人間力でも日本一。
言い換えれば、チームとしての勝利と、人としての成長の、両方を目標としている。
両者は、時に並び立たないこともある。
勝利を確実にするために、相手のサインを盗むことを否定しないチームがある。
しかしそれは、これから社会に出ていく高校生に、カンニングを奨励するようなものではないか。それは人としての成長を促すこととは全く反対のこと。
そう考える森林監督は、サインを盗まず正々堂々と勝利することを選手に求める。
一方、大事な試合の重要な局面で、監督の「送りバントを」という指示に対して、投手の癖や心理を分析し根拠を持って「ヒッティングで臨みたい」と訴えてくる選手がいる。
考える野球を標榜し、たとえ相手が監督でも臆せず意見を述べることを良しとするチームを創り上げてきた当事者として、森林監督は逡巡する。少しでも勝利の確率を高めるのか、それとも一定の理と覚悟を持ってなされた進言を採るのか。
数秒の迷いののち、監督は思う。
「たとえどういう結果になろうとも、この判断を尊重したほうが、彼自身やチームの成長につながるのではないか」
結果、この判断は勝利へとつながった。そしてそれ以上に、選手の、チームの、そして監督自身の成長をもたらすものともなった。
もちろん、そううまくいかないこともある。というより、うまくいかないことのほうが多いだろう。勝利と成長、そのどちらを取るか。常に悩み、揺れながら、KEIOの選手は、監督は、二兎を追い続ける。
目標が二つなら、目的も二つある。
一つは、仲間、家族、関係者など、お世話になっている周囲のすべての人々への恩返し。
もう一つは、高校野球の常識を覆すこと。
北を目指して歩む旅人に、北極星は進むべき方角を教えてくれる。しかしどこまで歩いても旅人が北極星に辿り着くことはない。
同じように、目的は、目標を達成するための指針となる。目的に向かって進んでいけば、いつか目標に達することができる。しかし目的自体はいつも、進むべき方向の上、手の届かないところにあり、極北を志す旅人に優しい光で道を照らし出す。
KEIOが覆した常識はいくつもある。そのひとつが髪型の自由。長髪で颯爽とプレーする選手の姿がイメージとして語られるのは、いまだに多くの高校で、坊主頭が半ば強制されている現状の裏返しでもある。
ただ、森林監督は、坊主頭そのものを否定しているわけではない。
その高校の選手たちが自ら考え、しっかりと議論して、みんなで決めたのなら、坊主頭でも全く問題はない。森林監督が問題とするのは、監督が口では「自由」と言いながら、実際は全員が坊主頭にしているようなチームだ。
「高校野球は昔から坊主頭が当たり前、それでいいじゃないか、という思考停止。あるいは、自分だけ長髪で目立つのは嫌だ、と思わせる同調圧力。それこそが高校野球の弊習であり、そういった悪しき常識を覆すことが、目標のひとつなんです」と、森林監督は言葉に力を込めて語る。
学校にしろ高校野球にしろ、先生やコーチと呼ばれる人々は、多かれ少なかれ「教え好き」でもあろう。「ワシが育てた」と言うかどうかはともかく、自分の指導によって子どもの能力が開発されていくことへの絶対的な信奉、無条件の肯定がそこにはある。
しかし森林監督は、「教えることはリスク」と説く。
ある指導によって、その選手の能力は1.5倍に伸びたかもしれない。しかしそれは、その選手が、自ら内在的な能力を発揮することによって2倍に伸びる可能性を、あらかじめ摘んでしまう指導だったのかもしれない。
その恐怖、教えることのリスクを、自覚している教師や監督がどれだけいるか。
だから森林監督は、Educationを、教育ではなく「共育」と書く。
「人は自ら育つ。自ら伸びる」
「選手も育つ、監督も育つ。野球を通じて、共に育つ」
「『任せて』、『信じ』、『待ち』、『許す』。指導者の役割とは、これである」
日々、選手に任せ、選手を信じ、選手を待ち、選手を許す。
その繰り返しの中で、KEIOの選手を成長させながら、森林監督自身も成長し続ける。
人を敬い、人の可能性を信じ、その発現の環境を作ることにひたすら献身する。
「すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。」
明治の世に、福澤諭吉翁が文明教育論として問うた思想が、令和の世で、KEIOの文字を胸に刻んだ選手たちによって実現されている。
伝統を守りつつ、新たな伝統を創る。
二兎を追うKEIOは、今や、すべての野球チーム、いやチームと呼ばれるすべての組織が追うべきウサギとなった。
飼いならされたウサギではない、野ウサギの走りに、どこまでついていけるか。
今年もまた、熱い夏がやって来る。
(白澤健志)
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森林 貴彦(もりばやし・たかひこ)
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- 慶應義塾高等学校野球部監督
- 慶應義塾幼稚舎 教諭
慶應義塾大学法学部卒業。大学時代は母校慶應義塾高校野球部で学生コーチを務める。3年間のNTT勤務を経て、筑波大学大学院コーチング論研究室に在籍し教員免許(保健体育)と修士号(体育学)を取得。並行して、つくば秀英高校で野球部コーチを務める。2002年より慶應義塾幼稚舎教諭として担任を務める傍ら、母校野球部でコーチ・助監督を歴任し、2015年監督就任。2018年春・夏、2023年春・夏の全国大会出場。2023年夏に107年ぶりの全国優勝を果たす。
主な著書に『Thinking Baseball―慶應義塾高校が目指す”野球を通じて引き出す価値”』(2020、東洋館出版社)。
慶應義塾高等学校野球部 WEBサイト
https://keio-high-baseball.com
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