夕学レポート
2024年08月06日
柳沢 正史氏講演「睡眠の謎に挑む~基礎研究から睡眠ウェルネスへ~」
柳沢正史教授に聴く、眠くならない眠りの話
あのですね、担当さん。
講演を聴いてからこの原稿を書くまで三か月もかかったのは、本当に申し訳なかったと思っています。はい、そうですね。おっしゃる通りです。はい。
でもですね、私だってこの三か月を無為に過ごしていたわけではないんです。
何しろこの間に、講演で柳沢正史教授から拝聴した睡眠に関するアドバイスやノウハウのあれこれを、実際にいろいろと試してみましたからね。
天才・柳沢教授が惜しげもなく開陳してくださる睡眠に関する世界最先端の科学的知見の数々を、この私が自分自身を被験者として実践し実感した結果を原稿に反映させるという起承転結立体展開空前絶後の夕学レポート。どうです?すごいでしょう。
そのためにはどうしてもこの三か月が必要だったわけですよ。はい。
え?それはつまり、三か月もの間、原稿も書かずにたっぷり寝ていただけだろうって?
ま、三年寝太郎にならなかっただけマシということで…。
とにかく、脳を持つすべての生物は、眠ります。
ところが、睡眠については、まだわからないことばかり。
なぜ眠るのか。なぜ眠くなるのか。そもそも睡眠とは何なのか。
だいたい、眠っている状態って無防備ですよね。自然状態なら外敵にも襲われやすくなる。それでも生き物は眠るんです。眠らざるを得ない。なぜ眠るのか。
まったくのブラックボックスであった睡眠に、科学的に迫る糸口の一つが、脳波です。
脳波を見ると睡眠の状態がわかります。ノンレム睡眠とかレム睡眠とかですね。
そこまで聞くと「レム睡眠は浅い眠り」とか「眠りは90分サイクルの繰り返し」とか「最初の90分が大事」とか、どこかでなんとなく耳にした話が思い出されますよね。
でも、それらはウソ、と柳沢教授は断言されました。
「90分という時間は、あくまで平均値。すごく揺らぎがある、個人差のある値」とか。
「ノンレムとレムの隙間で起きるとスッキリ起きられる、なんてのもウソ」とか。
な、なんだってー!ずっと信じてたよ…。
一方、「高齢者は眠る体力がなくなって自然と早寝早起き短い睡眠になり深い睡眠は少なく中途覚醒が多くなる」とか知ってた通りで安心な話もありましたが、「昼間の眠気は『異常』です」と聞いた時にはビックリして目が覚めましたよ。だって私、午後の会議とかしょっちゅうウトウトしてますからね。それは結局、夜の良質な睡眠が絶対的に不足しているということなんですね。確かに時間も短めだし、睡眠時無呼吸症候群の自覚もあるし…。
世界的にも日本人の睡眠不足は顕著だそうで、欧州の国々より平均1時間ほど短いとか。
寝る間も惜しんでモーレツに働いた高度経済成長の日の名残りか?と思いましたが実はそうでもなさそうで、1960年には日本人は平均8時間13分寝てました。それが2015年には7時間15分にまで短くなっている。
謎を解くカギのひとつが、夜10時までの就寝率です。昔は67%だったものが今は27%と半分以下。夜更かし傾向が進んでいます。それってやっぱりスマホとかの影響なのかなあ。柳沢教授も「ついつい動画サイトとか見ちゃうんですよね」って言ってたし。ははは。
そもそも「24時間戦えますか」なんて問いかけ自体が間違ってるわけで、徹夜明けの作業能力は酩酊状態のそれと同程度なのだそうです。ちゃんと眠ってから仕事に向き合ったほうが生産性は高い。社員の睡眠時間の長い企業ほど利益率も高いという統計もあります。
経産省の試算では、健康問題に関する企業の損失額は肥満や運動不足が社員一人当たり約3万円であるのに対し、睡眠(休養)不足は約33万円と桁違いに大きいんです。
メンタル・メタボ・認知症も睡眠障害と高い相関があることがわかっています。
そう、睡眠不足はダイエットの最大の敵。睡眠を1時間増やせば摂取カロリーは150㎉ほど抑えられるそうです。寝る子は育つ、寝ない大人は横に育つ、とは柳沢教授の至言。
はい、横に育った大人の典型例が、今ここにおります…。
さっき、高齢になると睡眠時間は減ると言いましたが、逆に子どもの頃に必要な標準睡眠時間は9歳で10時間、17歳で8.5時間ほど。子どもはもっと眠らないといけないんですね。
ところが、赤ちゃんの就寝時刻が世界一遅いのが日本です。月曜どころか乳児から夜更かし…。
そして、小児の頃の睡眠時間と、脳の海馬の発達度合いは比例します。寝不足の子は小さく、よく寝る子は大きい。睡眠不足の9歳児は2年後も認知機能が低く問題行動が多くメンタルヘルスが悪いという研究結果もあります。子どもの頃の寝不足は、その子に一生のハンデを負わせることにもつながるのです。
というわけで、柳沢教授直伝、誰でもすぐに実行可能な、睡眠の質を上げるために守るべきルールを紹介します。
まずは寝室の環境を整えること。
- 光。夜は照度を下げ、リビングから薄暗く。朝は光が差し込むように。
- 音。夜は静かに。特に、人の話し声に邪魔されないように。
- 温度。空調などで朝まで快適な室温を保つこと。
- 換気。二酸化炭素血中濃度の高まりは中途覚醒につながる。
なかでも特に大事なのが光です。
自然の昼夜のリズムに生きる生物群の中で、人類の祖先だけが火を操ることを覚え、この数十万年間、仄かな灯りを夜の友として過ごしてきました。
人工的な灯火で夜がこんなにも明るくなったのはせいぜいここ80年くらい。これが、夜のホルモンであるメラトニンの生成を抑制し、不眠症などの睡眠障害をもたらすわけです。まさに現代的な病ということになります。
寝室へ入る前も大事です。夜、規則正しく「眠気」に誘われるためのコツをいくつか。
- 時刻。なるべく規則的に。眠くなってから寝床へ。眠くないのに寝床に入るのは逆効果。
- 飲食。13時以降のカフェインは避けて。寝酒は睡眠の質を最悪にするだけ。
- 昼寝。パワーナップは夜の睡眠不足を補う応急処置として、14時までに15-20分間だけ。
この「眠気」というのも、考えてみれば不思議な現象です。
眠気の仕組みを、柳沢教授は「ししおどし(添水)」のイメージで説明されました。
- 起きている間に睡眠欲求が溜まる(竹筒の中に水が溜まっていく)
- 溜まった睡眠欲求により眠りに落ちる(溜まった水が竹筒を傾ける)
- 眠ることで睡眠欲求が消える(傾いた竹筒から水が流れ落ちる)
- すっきり目覚める(空の竹筒が音を立てて元に戻る) →この繰り返し
イメージはこの通りでわかりやすいのですが、わからないのはこの「水」の正体。
それが体内のどんな物質なのか、現象なのか、まだ誰も明らかにできていないのです。
「水」の正体がわからないながらも、竹筒の傾きを制御する研究は進んできました。
竹筒の、水が溜まる側の端に「ウグイス」が止まったら、それが重しとなって竹筒は傾かず、水は流れ出ません。臨床的には不眠症ということになります。
この「ウグイス」にあたる脳内物質の存在を発見したのが、他ならぬ柳沢教授でした。
その物質の名はオレキシンといいます。
このオレキシンを抑えられれば(ウグイスを追い払えば)入眠しやすくなり(竹筒が傾くようになり)不眠症の改善が期待できるので、そのような薬の研究開発が進められています。
オレキシンを抑えるタイプの薬は、既存の睡眠薬(GABA作動薬)よりも副作用が少なく、より自然に近い睡眠が期待できると言われています。
逆に、オレキシンを活性化することで、ナルコレプシーと呼ばれる過剰な眠気に襲われる病気の治療薬も研究されています。うーん、柳沢教授の発見、すごい。
私たちがこのような薬の恩恵に与れるのはもう少し先になりそうですが、柳沢教授の研究成果の中には、今すぐ誰でも享受できるものもあります。
それは、脳波測定に関すること。
睡眠障害の早期発見・早期治療には脳波測定が重要ですが、医療機関にかかれば時間もお金もかかります。そこで柳沢教授は、誰でも簡便に安価に自宅で睡眠中の脳波を測定することができる仕組みを考案し、会社を設立してサービスを提供しています。社名はS‘UIMIN。
自分の脳波を自分で客観的に把握して、自ら睡眠の質の向上を図る。そんな時代が来たのですね。
というわけで、担当さん。
この三か月間に私が実践した取り組みは以下の通りです。
- 平均的には毎日30分間、以前より長く眠りました。
- 寝室環境の4ルールはほぼ完璧に整えました。
- 飲み物ルールは完全に守りました。
で、主観的にはどうなったかというと、
- 精神的には、概ね快調です!
- 肉体的には、微かに痩せた?
- 仕事の生産性は、横ばいかな…。
朝の自然な目覚めが増えたのは、精神的な効果がとても大きいです。幸せな一日の始まり。
一方、柳沢教授のアドバイスで守れなかったのは、時間です。中でも規則性に関すること。
実際のところやはり仕事が忙しく、絶対的な睡眠時間はやや不足、シフト勤務なので不規則、イレギュラー対応のために徹夜も二晩あったし、海外事業所とのやり取りは時差もある…。
で、それでも仕事の質を落とさないようにしつつ、睡眠時間を長くとっていたら、原稿を書く時間が後回しになってしまったというわけです。はい。
え?
言い訳はいいから、あと三か月でメタボ解消の結果を出せ?
それまで原稿は受け取らないって?
そ、そんなキビシイこと言わないでー!
…と叫ぶ自分の寝言で目が覚めた。
「ああ、夢か…。夢とはいえ、三か月も原稿を待たせるなんて、そりゃ担当さんも怒るよな。で、夢から覚めたら、末は胡蝶か邯鄲か、実際は三分も経っていませんでした。っていうオチだな、きっと」
言いながら、ふと見たカレンダーの日付は、なぜか講演日から三か月後を指していた。
とりあえず二度寝しよ。
(白澤健志)
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柳沢 正史(やなぎさわ・まさし)
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- 筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 機構長・教授
- 株式会社S’UIMIN 代表取締役
筑波大学医学専門学群・大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中であった 1988年に血管制御因子エンドセリンを、 1998年に睡眠・覚醒を制御するオレキシンを発見。1991年に31歳で渡米、テキサス大学サウスウェスタン医学センターとハワードヒューズ医学研究所にて、2014年まで24年にわたって研究室を主宰した。2010年に内閣府 最先端研究開発支援プログラム(FIRST)に採択され、筑波大学に研究室を開設。 2012年より文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム 国際統合睡眠医科学 研究機構(WPI-IIIS)機構長・教授。2017年、筑波大発のスタートアップベンチャー企業「S’UIMIN」を起業。 2021年よりムーンショット型研究開発事業のプロジェクトマネージャーを務める。
2003年にアメリカ科学アカデミーの会員として迎えられたほか、2016年には紫綬褒章を受章、その他多くの研究成果による受賞歴がある。朝日賞、慶應医学賞(2018年)、文化功労者(2019年)、ブレークスルー賞(2023年)、クラリベイト引用栄誉賞(Citation Laureate) (2023年)など。今後、ノーベル賞受賞が有力視される研究者として期待を集めている。
筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構:https://wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/japanese
株式会社S’UIMIN :https://www.suimin.co.jp
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