夕学レポート
2025年10月06日
橋本幸士氏講演「物理学者の思考法:クリエイティビティの源泉」
問いを問う
複雑多様化した数多の問題から、絶対的な解を見つけるのが難しい現代。正しく考えるためには、そもそも正しく問わなくてはならないが、問いを立てたり仮説を立てたりすることは、存外むずかしいものである。加齢とともに世界への驚きは失われ、頭には靄がかかり、問いを持ちこたえるだけの胆力はなくなり……ついつい棚上げにした問題だらけで、脳内の積載荷重は常にオーバー気味だ。
理論物理学者・橋本幸士先生の場合、栴檀は双葉より芳し、を地で行く利発な少年時代はもちろん、大人になって京大大学院理学研究科で教える今もなお、ピュアな好奇心と探究心はいや増すばかりのよう。何せ謎の相手は、物質の最小単位である素粒子だ。宇宙を見すえ、マクロとミクロの両極を行き来しながら考え抜くその思考の振り幅は、パンピーの人知など軽く超えている。
とはいえ、講義冒頭で「科学者はクリエイティビティがないと解雇されます」とさらりと吐露されたように、世界中でしのぎを削る物理学界隈で頭角を現すには、なまなかの「クリエイティビティ」では済まぬこともまた、想像に難くない。
しかしどうみても橋本先生から立ち上ってくるオーラは飄然として、肩の力が抜けている。湯川秀樹や益川敏英などノーベル賞受賞者をはじめ、キラ星のごとき業績を積み上げてきた、孤高にしてプレミアムな研究室を取りしきるプレッシャーはどこに。
「私も益川さんには1ミリも教わっていませんでしたが、ノーベル賞を獲ったオッサンがその辺を歩いている、その環境こそが重要。もしかして私にもできるかも、と思っちゃえるところが大事なんです」
若い学生が、落ち着いてのびのびとクリエイティブを発揮できる環境は、どのようにつくられるのか。研究室内では、教授や先輩への敬意は不要とされ、常識が破綻しているとしか思えない言動がそこここで見受けられ、華麗な失敗を競っては褒めたたえる文化が根付くという。やっぱこのぐらい世間と真逆でないと、クリエイティブなんて育たない?
そんな仲間うちで議論されるのは、何もガチな研究事案ばかりじゃない。日常に転がっている問題をすくい上げ、通勤経路の最短ルートや、効率的にうまい棒を東京ドームに詰める方法といったネタで真剣に議論しあう。思考実験の積み重ねが、やがて新しい発見につながっていくと信じて……というよりは、ただただナチュラルに楽しいからやってそう。目の付けどころ、視点がふつうとは違うのだ。
70㎏の水の球を詰め込む
乗りこんだ電車が超満員だった、ある日。
「えーー、なんでこんなに混んでんの?」
普通はスマホで音楽でも聴いてやりすごすくらいしかできないが、物理学者は違う。
■ステップ1:問題の抽出
一見、単純に見える「満員電車」という現象も、実は多様な要素が絡み合っていることに注目。よくよく観察し、ここから「適切な問題を抽出」する。この度の不満の中身を言い表すと、
「今日の満員電車、何人乗っとんねん。もうギューギューで、死ぬでえ」
である。これを腑分けし、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に。まずは各分野の専門家へ、仮定的にぶん投げてみる。すなわち、「今日の」は、鉄道ファンに。「ギューギュー」は文学部に。「死ぬでえ」は医学部に。残ったエキスを抽出すると、
「電車1両に人間を詰め込んだ場合、何人入るか。有効数字2桁で答えよ」
が残り、物理学が扱うべき問題がはっきりした。
■ステップ2:定義の明確化
続いて、問題内の曖昧表現が科学をじゃましないよう、適切な定義づけを行う。「理学部語」、つまりは数式への翻訳だ。
「縦3m、横20m、高さ3mの直方体(電車)に質量70㎏の水の球(人間)を詰め込んだ場合、球は何個入るのか?」
■ステップ3:論理による演繹
執念で、ひたすら解く。
先生の計算によると、答えは、有効数字二けたで180人。
一丁アガリである。
このように、適切な視点から問題提起し、数値化して解決のための道筋をつけ、計算によって答えを出すのが、物理学的思考のフローだ。些末と思えるような現象でも、全く異なる軸から見る「異次元の視点」さえあれば、導かれる解に独創性が宿ること間違いなし。
素粒子と芸術
素粒子物理学の伝道師でもある橋本先生の「クリエイティビティ」は、ジャンルをも軽く越境する。
たとえば、質量はエネルギーであることをしめすアインシュタインの関係式 E=mc² を墨書で表現したりするのは、まだ序の口(←それなりに、風雅に見える)。
最近では、素粒子のありさまを天才物理学者たちの分業で表したというひとつの式(橋本先生はそれを「宇宙を支配する数式」と呼ぶ)を、楽譜に翻訳するというアクロバティックをやってのけた。音楽家が数式の各項をそれぞれ和音に割り当てたという壮大な交響曲は、不協和音ぽいのになぜか心地いい、アンビバレントな調べとして耳に残った。
宇宙、自然、現象のさまざまを、言葉や数字で抽象化すれば論理に、和音やデザインに翻訳すれば直感で楽しめる芸術にもなる。最初の「視点」をどこに置くかで、道筋と解は幾通りにも変幻自在だ。
「世の中の『問題』には、実はたくさんの解がある。社会の観点からの解、物理の観点からの解、感性の観点からの解、多種多様」と橋本先生も著書で述べている。
日々を暮らす中にもヒントを探し、4D視点を養って、問いを問う訓練を怠らない。さすれば、さほどクリエイティブではないにせよ、オノレだけの唯一無二な「解」を導き出せるかも。素粒子物理学の伝道者が教える思考法は、凡愚をもその気にさせた。まずは積みあがった脳内課題の棚卸しから、レッツスタート。
(茅野塩子)
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橋本 幸士(はしもと・こうじ)
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- 京都大学大学院理学研究科 教授
正式所属:京都大学大学院理学研究科 物理学・宇宙物理学専攻 物理学第二分野 素粒子論研究室
理論物理学者。1973年生まれ、大阪育ち。2000年京都大学大学院理学研究科修了、理学博士。2000年サンタバーバラ理論物理学研究所研究員、2001年東京大学助手、2010年理化学研究所准主任研究員(橋本数理物理学研究室主宰)、2012年大阪大学教授などを経て、2021年より現職。専門は理論物理学、素粒子論、超ひも理論。世界各国で100以上の招待講演、現在は湯川秀樹が拓いた研究室の後任教授として教鞭を取る。日本物理学会理事。サイエンスとアートをつなぐ活動を行い、出演したパフォーミングアート作品 “Every day is a new beginning” で Art Innovation 2019国際会議にて京都大学総長賞を受賞。映画の科学監修、音楽とのコラボレーションなど、多方面で活躍。物理学の未来を拓く活動を続けている。
主な著書に『Dブレーン: 超弦理論の高次元物体が描く世界像』、共著に『ディープラーニングと物理学』など。一般向け著書に『物理学者のすごい日常』、『物理学者のすごい思考法』、『超ひも理論をパパに習ってみた』『「宇宙のすべてを支配する数式」をパパに習ってみた』など。季刊『kotoba』にエッセイを連載中。
WEBサイト:https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~koji.hashimoto/welcome.html
学習物理学の創成:https://mlphys.scphys.kyoto-u.ac.jp/
X(旧Twitter):@hashimotostring
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