夕学レポート
2008年09月09日
長瀬 勝彦「働く人のための意思決定論」
長瀬勝彦 首都大学東京 大学院社会科学研究科 教授 >>講師紹介
講演日時:2008年7月10日(木) PM6:30-PM8:30
長瀬氏は当講演において、多様な心理学の実験結果を示しながら、意思決定に関して私たちが抱いている「神話」(思い込み)が間違いであることを説明した上で、望ましい意思決定を行うためのヒントを教えてくれました。
さて、私たちは日々、さまざまな意思決定を行っています。意思決定とは、おおむね複数の選択肢からどれかひとつを選び取ることです。意思決定には、「今日の昼食に何を食べるか」といった日常的なものもあれば、進学や結婚など、人生の一大事に関わるものもあります。また、ビジネスの意思決定について言えば、経営者は経営戦略などについての意思決定を行っていますし、工場長のような管理者は工場の操業方法について、また一般社員の営業担当者は、客先をどのように回るかといったことについて意思決定を行っています。
長瀬氏によれば、こうした意思決定を行う方法論、すなわち「意思決定論」には2つの流派があるのだそうです。
一つは「規範的意思決定論」です。これは、合理的な意思決定の方法で、数学的な厳密な手順を取るものです。この流派は、人間がどのような意思決定をするかという仕組みには興味がなく、むしろ、この意思決定方法に人間が従うべきだと考えます。学問的には、経済学や工学の発想が拠り所になります。もう一つは、「行動意思決定論」と呼ばれるもので、生身の人間の意思決定がどのように行われているかを心理実験などによって把握しようとするものです。とりわけ、意思決定における「非合理性」に注目します。「行動意思決定論」は、心理学や脳神経科学が拠り所となっています。
長瀬氏は、「規範的意思決定論」が使えるのは極めて限られた状況においてのみであり、常に合理的な意思決定をしようとすることは不可能であると考えているそうです。なぜそう言えるのか、長瀬氏は3つの神話と現実を示します。
まず1番目の神話は、
「自分のことは自分が一番よくわかっている。自分が何を欲しいのかはよくわかっている。
何かを意思決定した時に、どうして選択肢を選んだのかをきちんと説明できる。」
というものです。
しかし、人間の意思決定の現実は、次の通りです。
「人間は自分が欲しいものをよく知らないし、自分が将来とる行動についてうまく予測できない。
自分の意思決定の理由を良く分かっているつもりでいるが、実際には誤解していることが多い。」
例えば、次のような学生対象の実験があります。学生たちは、これから3週連続で都合3回の講義に出席する予定です。そして、出席したごほうびとして、数種類のお菓子の中から好きなおやつを毎回1つもらえます。そこで、「向こう3週間のおやつをまとめて選んでください」という質問を投げかけたのです。この質問は、今回の夕学に出席された方たちも試しにやってみましたが、ほとんどの方は異なる種類のおやつを選んでいました。学生対象の実験結果もやはり同じだったそうです。ところが、3回分まとめてではなく、1回ごとに好きなおやつを選んでもらう方法に変えると、毎回同じ種類を選んだ学生が多かったのです。この実験が示唆するところは、自分が将来何を選ぶかはその時になってみないとわからない、自分のことでさえ、事前にうまく予測できないということです。
また、自分の性格(パーソナリティ)がどのようなものかについて、本人の見立てと周囲の友人・知人たちの見立てはしばしば異なっているものです。これも、要するに自分は自分自身のことを過剰評価、あるいは過小評価しがちであり、客観的に自分を理解できていないことを物語っていると言えます。
このように、意思決定の現実は、自分自身のことをよくわかっていない人間が、わかっているつもりになって意思決定しているということなのです。
次に2番目の神話は、
「日常の些細な意思決定はともかくとして、人生の重要な意思決定や仕事上の意思決定は、つとめて理性的、合理的に行うべきであるし、自分もそうしている。」
というものです。
これも現実には、
「日常の些細な意思決定も、人生の重要な意思決定も、仕事上の意思決定も、合理的には行われていない。合理的に行おうとすると、かえって愚かな意思決定をすることもある。意思決定の大半を担っている無意識について理解を深め、意識と無意識の折り合いをつけながら意思決定すべきである。」
ということなのだそうです。
人の意思決定が必ずしも合理的に行われていないことを証明する実験を長瀬氏は紹介してくれました。全く同じストッキングを店頭に4つ陳列します。そしてどれが一番気に入ったかを選んでもらうのです。すると、一番右に置かれたものが最も多く選ばれ、次に右から2番目が好まれました。最も好まれなかったのは、左端に置かれたものでした。被験者になぜそのストッキングを選んだかを聞くと、「手触りが良かったから」などと答えるそうですが、本来全く同じストッキングですから、そんな違いがあるはずがありません。おそらく、陳列位置の違いがどれを選ぶかに影響していたと考えられるのですが、被験者はこのことには気付いていないのです。このように、私たちは、無意識に選んだものについて、その理由を勝手に後付けしていることがあるということがわかります。
実際、様々な実験結果によれば、意思決定に「無意識」が大きな影響を与えていることがわかっています。無意識の力を証明する実験のひとつに、裏返しにおかれた4つのカードの山(A,B,C,Dとそれぞれ山には名前がつけられています)から、適当にカードを引いてもらうというものがあります。カードの表には、プラス、またはマイナスの数字が書かれていて、引いたカードの数字の合計が大ければ得をするという一種のギャンブルです。
実はこのギャンブル、A,Bの山は結果的に損をし、逆にC,Dの山を引くと得するようにカードが構成されているのですが、実験をする人にはそのことは知らされていません。そのため、被験者は、試行錯誤的にあれこれ様々な山のカードを引いてみることになるのですが、しばらくすると、自然にC,Dのカードを多く引くようになるのだそうです。興味深いのは、初期の段階で「なぜ、C,Dの山のカードを引くのですか?」と聞いてもその理由を答えられないことです。これは、無意識レベルでは、既にC,Dの山の方が得だということに気づいていても、意識レベルではそれをまだ把握できていないということを示唆しています。
また、「カクテル・パーティ効果」と呼ばれる現象も無意識の力を示すものです。大勢の人が集まるパーティのようなざわついた会場の中で人と話していると、通常は周囲の会話はまったく耳に入ってきません。ところが、離れたところで話している人たちの口から、あなたの名前が出ると、ふいにその会話が聞こえてくるという経験をすることがあります。こうしたカクテル・パーティ効果は、私たちの無意識が常に周囲の情報を受け止めていて、状況に応じて、選択的に意識にその情報を送っていることがわかります。
そして、こうした無意識の力を借りた方が結果的に正しい意思決定をすることができる場合があるのです。例えば、一般の人にいくつかの種類のイチゴジャムを試食してもらい、どれがおいしいかをランクづけしてもらう実験では、ランク付けした理由を挙げてもらうよりも、一切理由を挙げずに単純にランク付けしてもらった結果の方が、専門家の評価と近くなりました。これは、下手に理由を考えさせると、無意識レベルで下された的確な評価がぶれてしまうということを示唆しています。
ただ、無意識は、しばしば早とちりをしますし、また、どうしても目先の利益、つまり短期的に得することを選びがちです。なぜなら、自然界においては、生き残りのために、目の前のえさを取ることが最優先になりますし、また差し迫った危険はあれこれ考えずにすぐに回避するということが望ましいわけです。動物としての人間もそうしたルールに従っているのです。したがって、無意識と意識の両方をうまく活用し、うまく折り合いをつけて意思決定することを長瀬氏は勧めます。
そして3番目の神話は、
「自分にできないことを意思決定してもしかたがない。自分にできることを意思決定すべきであるし、自分はそうしている。」
というものですが、現実は、
「人間は自分にできないことでもできると思って意思決定してしまう。人間は長期を見据えて計画を立てるが、実行には短期的な意思決定を積み重ねなければならない。ところが短期的な問題に直面した人間は短期的な利益に目がくらんで、長期的計画を台無しにしてしまう。長期を志向する意識はそれを理解していないし、意思決定に及ぼす影響力も弱い。」
なのです。
前述したように、動物としての人間は本来短期志向です。しかし、人間だけが「意識」や「意思」によって長期的な将来を見据えた意思決定ができます。多くの人がダイエットに失敗するのは、そもそも「痩せる」という目標への思いが、「目の前にあるケーキを食べたい」という欲求に負けてしまいがちという点を理解していないためです。ですから、逆に言えば、無意識レベルでの短期志向の強さを踏まえた上で、どうやったら、意識レベルで長期的視点での行動を行うことができるかを考えることが成功のポイントとなるのです。
最後に、長瀬氏は、無意識の早とちり(錯誤)の具体例として、経営者がうまくいっていない事業の撤退になかなか踏み切れないことを挙げました。「撤退を嫌う心理」については各種の研究が進んでいて、要するに、これまでつぎ込んだ努力やコストが無駄になることを恐れる心理が撤退を躊躇させるのだそうです。これは専門的には「埋没コストの錯誤」と呼ばれているそうです。もはや、既に投下した努力やコストは戻ってこないことから、むしろ今後発生するであろう損失を防ぐためには撤退することが合理的な判断となる状況においても、なかなか撤退の決断ができないのは、無意識の力に意識が負けているということになるのでしょう。
豊富な実験結果に基づく、長瀬氏のわかりやすい講義のおかげで、今後は様々な場面でより適切な意思決定ができそうです。
主要著書
『意思決定のマネジメント』東洋経済新報社、2008年
『図解 1時間でわかる経済のしくみ』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006年
『賢いあなたがお金で損をしない37の切り札』講談社、2001年
『意思決定のストラテジー』中央経済社、1999年 ※組織学会高宮賞受賞、日本経営協会経営科学文献賞受賞
『うさぎにもわかる経済学』PHP研究所(PHP文庫)、1999年
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