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夕学レポート

2010年08月10日

佐々木 常夫「仕事も家族もあきらめない」

佐々木 常夫 株式会社東レ経営研究所 代表取締役  >>講師紹介
講演日時:2010年5月18日(火) PM6:30-PM8:30

自閉症の長男と、肝炎とうつ病を発症し、自殺未遂を繰り返す妻、という家庭内の大きな負担を抱えながらも、仕事上の重責も果たし、現在は、東レ経営研究所の代表取締役を勤める佐々木氏は、これまでの大変な日々を赤裸々に綴った著書『ビッグツリー私は仕事も家族も決してあきらめない』で、大きな注目を集めました。
この本を書いたきっかけは、ある雑誌の特集記事に佐々木氏が掲載されたことでした。


特集記事を見た出版社からの執筆の依頼に、当初はあまり乗り気ではなかった佐々木氏ですが、「家族のために書いたらどうですか」と言われて承諾されました。執筆を進めるなかで、今は忘れてしまっていた過去の出来事を補うのに、家族の協力がなくてはならならず、それにより家族のきずなが深まったそうです。
佐々木氏が‘我が家のレインマン’と呼ぶ長男、俊介さんは2歳の時、自閉症と判明しました。映画『レインマン』の主人公はダスティン・ホフマン演じる自閉症の男性で、並外れた記憶力を持っていましたが、俊介さんも同様に、辞書を頭から読み、2ヵ月半で完全に覚えたそうです。また、自動車が大好きで、100メートル先に見える自動車のメーカーや車名、型式・年式まで当てることができました。
現在では、発明王エジソンやアインシュタインも自閉症であったことがわかっていますが、秀でた能力を持っている一方、人とのコミュニケーションをうまく取れないことが多いのが自閉症の特徴です。したがって、集団行動を強いられる学校生活は難しく、俊介さんの学校生活もやはりトラブル続きだったそうです。俊介さんは、得意の記憶力を活かし、クラストップの成績を収めたこともありましたが、いじめにあって不登校になった時期もあり、また高校3年生の時に、「幻聴」の症状が出たため大学進学を断念。その後、22歳からはアパートでの一人暮らしを始めました。
一方、妻の浩子さんは、1984年に急性肝炎を発症して以来、40回ほどの入退院を繰り返してきました。浩子さんは、たいへん生真面目な性格で、障害児を生んだという負い目を感じていたそうです。そこへ長期の入院が重なって、夫に仕事だけでなく家事・育児まで任せっきりになり、「自分は何の役にも立っていない」と自責の念が高まったことからうつ病になり、自殺未遂を3回も繰り返すことになりました。
佐々木氏は、浩子さんの入院中、平日朝は5時半に起きて3人の子どもたちの朝食と弁当を作ってから出勤し、夜は18時に退社してすぐに帰宅し、大急ぎで夕食を準備。土曜日は入院している浩子さんのところへお見舞いに行き、日曜日は1週間分の家事と、休む間もない毎日が続きました。
仕事については、当時ちょうどマネージャー職に就いたこともあり、自分の裁量で会議の時間を半分に減らしました。また、部下たちの業務内容を棚卸しして、各業務の所要時間と重要度を踏まえた計画書を作らせることで、無駄な時間を追放。それまで一人あたり60時間だった残業時間を1桁台まで縮小することに成功したそうです。佐々木氏は、「仕事は予測のゲーム」だと考えています。事前にしっかり計画することで効率的に仕事ができると、ご自身の経験から確信しています。
佐々木氏はまた、先輩社員が残してくれた各種資料のフォーマットを上手に活用してきたそうです。ゼロベースで新たなフォーマットを考え出すよりも、過去資料をうまく真似た方がよほど短時間で良い仕事ができる。「プアなイノベーションより優れたイミテーション」と佐々木氏は呼んでいます。また、議事録は、会議が終わったらすぐに作成する、出張報告書も、まずは缶ビールを飲みたい気持ちをぐっと我慢して、帰りの新幹線の中で書き上げてしまう。仕事を後回しにしないことで作業時間を短縮してきました。
佐々木氏は、仕事の基本方針として、締め切りぎりぎりまで時間をかけるのではなく、多少粗いところがあってもとりあえず早めに作成して提出するようにしていました。その方が相手の追加修正を的確に反映させた仕事を期限内に仕上げることができるからです。こうした佐々木氏の仕事の進め方は、ときに周囲の人たちから、「手抜きの佐々木」と揶揄されることもあったそうです。しかし、仕事の重要度、優先順位を見切り、最重要の仕事をやり遂げたという自負をお持ちです。家事・育児・看病をやりつつ、仕事においても東レの取締役に就任されたわけですから、佐々木氏の仕事術は、大変に優れた、また社会人にとってとても参考になります。
さて、長男の俊介さんは、不規則な一人暮らしの食生活で肥満気味となったため、現在は自宅で同居しています。(既に肥満も解消)また、妻の浩子さんは、病気の症状が落ち着き、 2003年以降、入院するまでには至っていません。この理由の一つには、佐々木氏が同じ年に社長に就任したことがあるようです。それまでは、経営企画室長としてボードメンバーに仕えていたため、取締役のスケジュールに合わせることが最優先で、妻の急な呼び出しにもなかなか対応できない状況がありました。しかし、社長であればある程度スケジュールに融通がつけられます。いつでも自分の元に飛んで来てくれるという安心感を持てるようになったことが、浩子さんの病状緩和につながっているようです。
佐々木氏の半生は、ただ話を聴いているだけでもすさまじいものがあります。佐々木氏自身、時に絶望感にかられることもあったものの、しかし、決して投げ出すことはありませんでした。「いつかきっと良い日がくる」、「私の人生に神さまがちょっといたずらされたようだ」と楽天的に考えてがんばってきたのだそうです。
佐々木氏によれば、現在日本には400-500万人のうつ病患者がいます。また身体障害者は約300万人。高齢化社会の進展により、認知症の人も200万人を超えていると推定されます。それ以外にアルコール依存症の人や、なんらかの病気で入院・通院している人も含めると、全部で2000万人以上の人、すなわち、日本人の実に5人に1人がなんらかの病気の問題を抱えているのが現実です。ところが、世の中は健康な人がほとんどであるかのように見受けられます。この理由は、病気を抱えていること、あるいはそんな家族がいることを恥ずかしいと感じたり、公私混同すべきでないと考えて外部に公表しないからです。
しかし、問題を抱えた家族のケアもしつつ仕事も着実にこなすためには、仕事とプライベートを完全に分離することはできません。佐々木氏自身、会社に自分の家族の問題を明らかにして、周囲の理解と協力を得てきました。最近、親の病気の介護のために働き盛りの40-50代の男性が依願退職するケースが増えています。会社で親の介護をしていることを言えず、介護のために自分だけ先に早く仕事を切り上げるのができないために、退職に踏み切ってしまうのです。佐々木氏は、病気になることは、誰もが等しく持っているリスクなのだから、もっとオープンにして仕事と家庭の両立ができるように周囲の理解と協力を得るべきだと考えています。
佐々木氏は、軽妙なユーモアを交えつつ、淡々とした様子ですさまじい過去を語ってくれました。決して希望を捨てず、頭と体をフル回転させて家庭の危機を見事に乗り切り、仕事でも社長という地位にのぼりつめた人だけが見られる景色を私たちに教えてくれました。大きな勇気をいただいた講演でした。

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