私をつくった一冊
2025年07月08日
吉川 克彦(至善館准教授・副学長)
慶應MCCにご登壇いただいている先生に、影響を受けた・大切にしている一冊をお伺いします。講師プロフィールとはちょっと違った角度から先生方をご紹介します。
1.私をつくった一冊をご紹介ください
2.その本には、いつ、どのように出会いましたか?
中学生だった1980年代後半ですね。当時は、今でいうライトノベルというジャンルが立ち上がった時期でした。僕は、笹本祐一さんや新井素子さんといった、日本のライトノベルの源流ともいえるような方々の作品でSFやファンタジーに出会い、熱狂的にこれらのジャンルの本を読み漁っていました。小遣いのほとんどを、小説を買うのに注ぎ込んでいましたね。そうした中で、海外作家のものも読むようになり、エルリック・シリーズはその中でも確か、かなり初期に読んだものの一つだと思います。
3.どのような内容ですか?
著者のマイケル・ムアコックはイギリスのファンタジー・SF作家で、この本は彼の書いたエルリック・サーガというファンタジーシリーズの第1巻です。このシリーズは、エルリックという主人公が、世界をめぐる混沌と法の神々の間の戦いに巻き込まれ、翻弄されていく物語で、なかなか暗いお話です。エルリックは常人を遙かに超える非常に強力な力を持つのですが、文化を愛する繊細さも持っており、物語の中で恋人と同胞の多くを失い、さまざまな冒険と戦いの中で苦しみ、自身の欲求と理性の間で葛藤し、最後は親友を自らの手で殺さざるを得なくなり、自分も悲劇的な最後を迎えます。
4.それは先生にとってどんな出会いでしたか?
衝撃を受けました。それまで僕が読んでいた小説の多くは、いろいろな事件が起こりつつも、最後はハッピーエンドになるものがほとんどでした。ですが、エルリック・シリーズでは、主人公が自分ではどうにもならない大きな力に振り回され、もがき、最後には悲劇的な死を遂げるという、どうにもやるせない終わりを迎えます。いろいろな出会いがあり、そこには喜びや達成感、冒険のワクワクもあるのですが、それで話は終わらず、いずれ別れや悲しみ、無力感が訪れます。
今振り返ると、この小説は、私が「人の生とは何か」「生きる意味とはなんなのか」を考えるきっかけの一つになったように思います。人は自分で道筋を選び、決めているようでいて、状況の中で特定の選択肢を「選ばされている」ことも多い。自分の力で未来を切り拓いていきたい、と考えても、自身ではどうにもならない要因に振り回されてしまうこともある。そもそも、一人の人間が世界に残せる影響は限られていて、自分が何を行おうとも、大きく見ればなんの意味もないのかもしれない。じゃあ、なんのために生きるのか。日々は楽しく過ごしつつも、こうした問いが時折頭に浮かぶ中で、10代の後半や20代を過ごしていました。その意味で、この本は、僕の長い内省の旅のきっかけになった一冊です。
その後、「どのみち人生に絶対的な意味はないから、この世界に生きる一人の人間として、自分が意味を感じることに挑戦するだけだ」と腹を括ることになるのですが、それは30代の前半でした。この腹が決まったことが、その後の人生でのさまざまな選択に繋がっていったと思います。
5.この作品をおすすめするとしたら?
ファンタジー小説というと、魔法や竜、神々といった舞台設定の特殊性が目立つのですが、実は多くの作品は、そうした舞台の中での人間の心の動きや葛藤を描き出しているところに面白さがある、と私は思っています。この作品はそういうタイプの作品の一つの例だと思います。ファンタジー小説に馴染みのない方にとっては、とっつきにくいかもしれませんが、巨大なものに振り回される人間の悩ましさと、そこでの決断、といったテーマに興味のある方は、読んでみられると楽しんでいただけると思います。
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- 吉川 克彦(よしかわ・かつひこ)
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- 至善館准教授・副学長
- 慶應MCC担当プログラム
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- これでいいのか日本の人事!ゲスト講師
- 研究分野は、グローバル化、デジタル化の影響を受けて変化する今日の組織における組織行動、人材マネジメント。Journal of Applied Psychology、Journal of Worldビジネスなど、世界で堅実な学術誌に研究論文を発表。研究と教育の傍ら、多国籍企業に対して人と組織の課題に関するコンサルティングを提供、また、スタートアップ企業2社の顧問を務める。人と組織の領域において「アカデミックな研究」と「企業における実務」という二つの世界の橋渡しを目指している。前職では、中国の上海交通大学の安泰経済与管理学院にて助理教授、リクルートにてコンサルティングディレクター、主任研究員などを務めていた。経済政治学部にて経営学修士、経営学博士号取得。
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