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夕学レポート

2011年12月20日

森は、いのちの生産工場である  宮脇昭さん

photo_instructor_592.jpg宮脇昭氏 83歳、世界各地で植樹を推進する現場主義の植物生態学者である。
「木を三本植えれば、”森”に、五本植えれば”森林”になります。まずは出来ることからはじめましょう。あなたの家族、あなたの子孫のため。いのちの森を育てましょう」
小さな身体から、湧くが如くに迸りでる言葉にはとにかく説得力がある。
そうやって、賛同者を募り、国や企業を説得し、国内外1700カ所以上で植樹指導をしてきた。植えた樹木は4000万本を越えるという。
宮脇方式はシンプルな原理である。
「潜在自生植生」にこだわる
「鎮守の森」等、僅かに残る痕跡を探り、その土地に本来生えていた自然の樹木を見つけ出す。その樹木のドングリを拾い集め、発芽させて小さな「ポット苗」を作る。しかも一種ではない、複数種の「ポット苗」を作り混植して、競わせる。
深く根が張る土壌づくり
植えるべき場所の土を掘り返し、ガレキと混ぜて、ホッコリとしたマウントをつくる。これにより根は隙間を探して深く伸び、呼吸がしやすくなる。
森の当事者と一緒に植える
実際に植えるのは、森の当事者でなければならない。社長や行政のトップが、「ポット苗」を持ち、子供達や市民・社員と、人が足りなければ宮脇先生が組織するボランティアと一緒に植える。これによって「自分たちの森」になる。
わずか30センチほどの苗木が、2~3年で人の背丈ほど、10年もあれば十数メートルの森に育つ。その間、ほとんど手入れを必要としないという。


宮脇方式を使って、新日鉄は国内の製鉄所の周囲に森を作ってきたトヨタは海外で宮脇方式のよる植樹を進めている
宮脇先生は、このメソッドで、津波の被害を受けた東北沿岸部に「森の防波堤」をつくろうという活動を始めている。
幅10メートル以上の帯状の土地を掘り返し、震災で出たガレキと土と混ぜてマウントをつくる。そこにタブノキ、シイノキ、カシノキ等の常緑広葉樹を植える。タブ、シイ、カシはいずれも深根性、直根性の樹木で、地中深く根を伸ばし、ガレキを重しとして包み込んで頑強に根を張るだろう。
高さ30メートルに育てば、「森の防波堤」が完成する。万里の長城のごとくに沿岸を回らせれば、いつか再び襲ってくるかもしれない巨大津波をクッションのように吸収するはずである。しかもほとんど手入れは必要としない。
宮脇先生によれば、先史時代の日本列島には、東北南部から関西まで、幅広い地域に渡って沿岸の平野部にタブ、シイ、カシの常緑広葉樹が生い茂っていた。内陸の高地にはブナやナラが密集し、松や杉などの針葉樹は、険しい岩山や尾根筋にわずかにあるだけであった。日本人は、照葉樹林に覆われた森林山岳で暮らす民であった。
海岸の白砂青松も、街道の杉並木も、里山の雑木林も、現在、我々が守るべき対象とされている自然は、人間が作ったもので、本来の姿ではない。維持するのに手間やお金がかかる。だから守られなくなったとも言える。
本来の森は、人間が守らねばならぬほど「やわ」なものではなかったようだ。宮脇方式で出来た自生植生森は、ほとんど手入れを必要としない。多層群落というバイオダイバーシティの中で複数の樹木が混ざり、競い合って自生している。
人間がつくった森よりも、逞しく生命力に満ちている。
自生植生の森は、生態系の生産工場でもある。昆虫、動物を育み、腐葉土の養分が溶け込んだ川の流れは魚を育てる。二酸化炭素や酸素を生産し、数十万年単位で見れば、石炭・石油といった化石燃料さえも製造してきた。森は「いのちの生産工場」であった。
森の製造物のひとつでしかなかったはずの人間が、文明的な生活を営むために、自生植生森を壊滅してしまった。
だとすれば、新たに森を育て直す責任は人間にある。それは後世のために、いのちを育てることでもある。
「木を三本植えれば、”森”に、五本植えれば”森林”になります。まずは出来ることからはじめましょう。あなたの家族、あなたの子孫のため。いのちの森を育てましょう」

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