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夕学レポート

2012年01月12日

変化は、終わったのではなく、渦中である  夏野剛さん

photo_instructor_596.jpg夏野剛さんが、夕学に登壇されるのは3年振り(2008年10月以来)である。
2008年10月というのは、夏野さんがNTTドコモを退社して4ヶ月、iPhone3Gが日本で発売されて3ヶ月というタイミングであった。
当時、「ガラケー」という言葉が盛んに喧伝されていた。
日本という特殊な環境に適応すべく、高度に進化してしまったばかりに、世界のマーケットニーズに適合しない。日本企業の視野狭窄性、閉鎖性を象徴するビジネスモデルとして、「ケータイ」の将来性には疑問符がつけられていた。
iモードを世に送り出し ガラケー化の先鞭をつけたと言われた夏野さんには、過ごし心地のよい時期ではなかったのかもしれない。
あの時の夏野さんには、表層的な事象をみて、後付けの理屈を使って、もっともらしく「ケータイ」を論じる世の中の風潮にモノ申したいといういらだちがあったように思う。
「ケータイに出来ることはまだまだたくさんある」
Iモードが出来てまだ10年しか経っていない。IT革命の恩恵は、大企業を中心としたビジネス界とネットを所与に成長してきた若者層にすこし広がっただけ。まだまだ未開拓領域が圧倒的に大きい。「ケータイの未来」は無限に近い。
それが3年前の夏野さんのメッセージであった。


改めてその時のブログを読み直してみると、「ケータイの未来」を予測するキーワードとして夏野さんが語ってくれた言葉のひとつが目に留まった。
「For Ordinary People」
全てはフツーの人々のために。高機能化がユーザーのオタク化を招いたらダメ。iPhoneはその先駆として素晴らしい道を示してくれた。

いまにして思えば、見事な慧眼であった。
当時、iPhoneがここまで浸透すると確信していた人は多くはなかったろう。スマートフォンという言葉さえ一般化はしていなかった。
あれから3年、ケータイは大きく変わった。
11月の実績では、携帯電話全体の販売台数に占めるスマートフォンの割合は7割を越えたという。しかもなお急増中である。
20111110keitai_01.gif
ガラケーからスマフォへというメインプレイヤーの変化は、単なる機種の世代交代ではない。
電話の延長上であった「ケータイ」から、PCの延長線上にある「ケータイ」へという業界構造パラダイムチェンジである。
夏野さんは、そう断言する。
・テクノロジーは、通信技術ではなくPC技術に
・業界の覇権者は、通信業者、端末メーカーからAppleとグーグル(アンドロイド)に
・ビジネスモデルは水平分業から垂直統合へ
・発展の方向性を決めるのは、業界の都合や思惑からユーザーニーズへ
業界の力学、モデル、発展の方向までも変わってしまった。
これは、日本だけでなく、世界規模で起きたことである、日本のガラケーもダメになったが、3年前に繁栄を謳歌していたNOKIAも青色吐息になった。
夏野さんが語る近未来の予測は次のようなものだ。
まもなく、モバイルとPCは実質上完全融合する。
デバイスの主役はソフトではなく、ブラウザーになる。
ケータイ、モバイルPC、タブレット端末の壁はなくなるだろう。

要は、インターネットをどう使うかというシンプルな課題に戻っていくことのようだ。15年前インターネット黎明期に予告された「いつでも、だれでも、どこでもネットに繋がる」という環境が、より一層、しかも急速に進化するということだ。
Iモードは、ケータイをネットにつなげることで通信トラフィック量を増やした。
Googleは、利用者をひたすら増やすことに邁進し、webサービスの広告収入を極大化している。
Appleは、端末からサービスまでの一体型垂直統合で、ユーザーを囲い込んでいる。
「インターネットをどう使うか」ということは、「どんなものをつくるか」ではなく、「何で儲けるか」という発想としかけづくりの勝負である。
変化は、終わったのではなく、渦中である。
しかも、これからの変化は、これまでの変化より大きく、そして加速される。
変化に適応して自分を変えていくのか、適応するのを放棄して田園暮らしに帰るのか。
国家も、企業も、個人も、その選択を迫られている。
夏野さんが突きつける問い掛けは、前にもまして過激になった。

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